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東京都を廃して東京府に変える試案を作ってみた

東京府案1「東京都」と東京特別区23区の制度は、昭和18年、戦時体制下の統制強化のために作られたもので、それまでは東京府・東京市の制度だった。今、地方分権の流れの中でも東京一極集中は止まらず、東京都の人口は現在も増え続けている。

2007年には東京都副知事で作家の猪瀬直樹氏が「東京DC特区」構想を発表したが、これは不十分なものであるとして反対の声が大きい。一方で、23区の中には「特別区」よりも「政令指定都市」として独自の政策を行ないたいという声も上がっている。

そこで、東京都を廃して東京府とし、極めて限られた範囲の政府直轄地を除いて、区を統合して政令指定都市を生み出すアイデアを試みに作ってみた。

あくまでもお遊びではあるが、地方分権が叫ばれている今、その中心にある東京「都」を真っ先にバラしてみるという発想を提案してみたい。

2010年5月 4日16:01| 記事内容分類:都市計画・建築学| by 松永英明
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増え続ける東京

asahi.com(朝日新聞社):東京都、1300万人を突破 区部の人口増目立つ(2010年4月28日)」によれば、「東京都は27日、4月1日現在の推計人口が初めて1300万人を超え、1301万279人となったと発表した。」「都の人口は1967年に1100万人を超え、33年後の00年に1200万人に到達。その後は年10万人程度のペースで増加し続けた。97年以降は毎年、転入者数が転出者数を上回っている。 」という。

人口縮小時代に入っても、東京は人口を増やし続けているのである。そんな中、戦時中の遺品である東京「都」と「特別区」という制度はもはや時代錯誤でしかないように思われる。

試案の前提

今回の試案はあくまでも「机上の空論」ではあるが、少なくともゲリマンダー(選挙において特定の政党や候補者に有利なように、選挙区を区割りすること)などには左右されず、ある程度客観的なアイデアとなるように条件を作った。

まず、基本は以下のとおりである。

1) 千代田区の一部(詳しく言えば旧・麹町区のおよそ南半分と皇居)を「首都特別区」として政府直轄地とする。

住所で言えば、丸の内、大手町、内幸町、有楽町、霞が関、永田町、皇居外苑、日比谷公園、千代田、北の丸公園、隼町、平河町一丁目、平河町二丁目、紀尾井町、一ツ橋の範囲、すなわち旧・麹町区の南半分と皇居である。この範囲の住人は現時点でおよそ3000人ほどしかおらず、主に国会議事堂などの政府機関が集中している地域である。およそ5平方キロ足らずの面積であろうかと思われるが、この範囲をワシントンD.C.のように「日本の首都としての特別地区」として政府直轄とし、都道府県や市町村に属さない地域とする。

猪瀬直樹氏の「東京DC特区」構想では、「東京駅を中心に新宿駅までの約5キロを半径とした円の中を、首都機能に特化した国直轄の東京DC特区にする」としており、ゆとり教育に準じて円周率をおよそ3として計算すると約75平方キロというかなり広い範囲が含まれる。「東京DC特区の範囲は、千代田区、中央区、港区、品川区、新宿区、江東区など、おおむね12区にわたり、人口は約300万人」「中央省庁のある霞ヶ関、オフィス街の丸の内、日銀のある日本橋、六本木、お台場などが含まれる」(参照→第1章 第3説 第2項 東京DC特区構想 - 世田谷経営改革クラブ)とのこと。この豊富な法人税を地方自治体に回すという構想だ。

しかし、私の案はそのような巨大な「特別区」ではなく、面積で15分の1、人口で1000分の1という小さな政府直轄地のみ(つまりほとんどが政府機能)というものである。狭義の「都」はここのみを指すことになる。かつて、「平城京」は都市部、「平城宮」は政府の置かれた場所という表現の使い分けがあったのと同じような感覚である。

2) 東京特別区(23区)は廃し、すべてを東京府下の市とする。適宜合併して政令指定都市または中核市レベルとする。

東京都内で人口最大の区は、世田谷区(2010年4月現在86万5429人)である。これは単独で浜松市・新潟市・堺市よりも大きい。もはや単独の政令指定都市として運用した方が柔軟な運用ができるのではないかというレベルである。

そこで、「東京都」は「東京府」と「首都特別区(狭義の「都」)」に分離し、23区はすべて東京府の市として再編する。

ちなみに、現在の日本において特別な市については以下のような3レベルがある。

  • 人口50万以上で資格を有する「政令指定都市」
  • 人口30万以上で資格を有する「中核市」
  • 人口20万以上で資格を有する「特例市」

23区をそのまま市にした場合は小さな市が乱立することになるが、「都心部」の特殊性をかんがみてできるだけ「政令指定都市」、悪くても「中核市」レベルになるように統合することを考える。

なお、新宿の「東京都庁」はそのまま「東京府庁」へと移行する。また、「警視庁」は「東京府警」に改組する。

3) 新市の規模(人口・面積)は、現在の区の最大レベルを超えないようにする。

このようにして統合すると、23区の範囲に十数の政令指定都市レベルの市が出現することになる。あまり統合しすぎるて巨大な市になるとバランスが悪いので、現在の最大の区のレベルを超えないことを条件としてみる。

具体的には、区を統合した新市において、人口は世田谷区の86万5429人、面積は大田区の59.46平方キロを超えないようにする。

こうして、大きすぎず小さすぎずのレベルを維持できるようにアイデアを組み立ててみることとした。

2010年4月の現況

まずは、2010年4月現在の東京23区の人口と面積を、「東京都の人口推計トップページ」から「2010年4月」のExcelファイルにて取得する。男女比などは今回考慮せず、区と総人口・面積だけを抜き出してみる。単位は、人口:人、面積:平方キロである。東京都表

  • 世田谷区 865429 58.08
  • 練馬区 713995 48.16
  • 大田区 683464 59.46
  • 江戸川区 671981 49.86
  • 足立区 645267 53.2
  • 杉並区 540871 34.02
  • 板橋区 536891 32.17:↑政令指定都市レベル
  • 江東区 459728 39.94
  • 葛飾区 433367 34.84
  • 品川区 363577 22.72
  • 北区 334306 20.59
  • 新宿区 318106 18.23
  • 中野区 314646 15.59:↑中核市レベル
  • 目黒区 268962 14.7
  • 豊島区 262954 13.01
  • 墨田区 246257 13.75
  • 港区 215467 20.34
  • 荒川区 203642 10.2
  • 渋谷区 202857 15.11
  • 文京区 200349 11.31:↑特例市レベル
  • 台東区 174914 10.08
  • 中央区 117367 10.18
  • 千代田区 46043 11.64

ちなみに当試案での「首都特別区」は千代田区の半分以下、人口では3000人程度なので、誤差の範囲としてこの数字をそのまま使うこととする。

東京都(2010)

ちなみに、23区外で人口20万人を超えているのは以下の4市である。ただし、23区外の市の合併等についてはいろいろな住民感情もあるだろうから、とりあえず今回は考えない。

  • 八王子市 575453 186.31:政令指定都市レベル
  • 町田市 420414 71.63:中核市レベル
  • 府中市 254141 29.34:特例市レベル
  • 調布市 224476 21.53:特例市レベル

これを図で塗り分けてみると、以下のようになる。政令指定都市レベル(人口50万人以上)の区は23区の外側をぐるりと取り巻いており、中心部に行くほど人口が少ないことがわかる。そこで、外側はあまりいじらず、中心部を大胆にまとめてみることを考える。

東京都特別区23区

今回は第1案(13市)と第2案(14市)を作ってみた。「こちらをひっつけると規模が小さい、あちらをひっつけると規模が大きすぎる」等々、いろいろ試行錯誤した上での組み合わせであることをご了承いただきたい。

第1案:13市

東京府案1

世田谷・練馬・太田・江戸川・足立・板橋の各区はそのまま市に移行する。

東京府案1表中野区の立ち位置が難しく、新宿区とセットにすることも考えたが、最終的に「杉並区と中野区を合わせて新市とする」のが最も落ち着きがよくなるように思われる。中央線、西武新宿線など、交通的にもつながりが深い。もともと中野区は「中野町・野方町」から取られた名称であり、杉並区は杉並木に由来する地名なので、おそらく「杉野市」あたりが無難だろうと思われる。

北区は板橋区と足立区に挟まれているが、両区とも単独で政令指定都市レベルなので、他の区と合わせることを考える。交通的には豊島区・文京区とのつながりが深い。そこでこの三区を一つにし、豪族・豊島氏の治めた豊島郡という歴史ある地名を残して「豊島市」とする。池袋・大塚・駒込・田端・王子を結ぶ範囲は、山手線・埼京線・京浜東北線・都電荒川線・地下鉄南北線・三田線・丸ノ内線で縦横に結ばれている。

東京の南西部では渋谷区と港区の人口が少ないのでどうひっつけるかが難問だったが、第1案では新宿区・渋谷区・港区をまとめて「新宿市」としてみた。各区の人口は少ない方だが、早稲田・大久保・新宿・代々木・原宿・渋谷・表参道・青山・赤坂・六本木・麻布などが含まれる賑やかな市の誕生である。

南西部で残るは目黒区と品川区。目黒駅は品川区にあり、品川駅は港区にあるというのは有名な話だが(ちなみに新宿駅新南口は渋谷区)、目黒と品川を合わせて「目黒市」というのは悪くないだろう。目黒不動は平安時代の創建で由緒がある。ちなみに、品川とは目黒川の河口あたりの呼び名である。政令指定都市になれば「目黒市品川区」という地名を作れるのでブランド的にも悪くない。

一方、北東部も難問だった。葛飾区・墨田区はやや人口が少ない。特に葛飾区はもう少しで50万人突破なのだが、足立区・江戸川区と合わせるには人口が多すぎ、墨田区と合わせるといびつな形になって市内の連携が悪くなる。そこで「葛飾市」は郊外型住人の増加を見込んでもらうことにして、単独で中核市レベル人口にとどまってもらうこととした。一方、墨田区はどこかとひっつける必要があるが、隅田川・荒川に挟まれた地域の一体性をかんがみ、第1案では江東区と組み合わせてみた。合わせて「墨東市」の誕生である(さんずい付きの「濹東」だともっとカッコイイのだが、常用漢字外なので断念。参照→永井荷風『濹東綺譚』)。

さて、最後に都心部である。「首都特別区」(旧・麹町区の南半分)を除いた千代田区(旧神田区全域と、旧麹町区の九段北・九段南・富士見・飯田橋・麹町・一番町~六番町)を、いわゆる「下町」の荒川区・台東区・中央区とひっつける。浅草・上野・湯島・御徒町・秋葉原・神田・日本橋・銀座などを含み、まさに江戸の中心地だ。「江戸川市」とまぎらわしくないように「大江戸市」と名づけてみた。

こうして13政令指定都市と1中核市(葛飾市)が誕生する。各市の人口差も少なく、それぞれの地域ごとの特色も残るのではないかと思われるがいかがだろうか。

第2案:14市

第1案はかなりよくできているのではないかと自画自賛してみたのだが、一つ気になったことがあった。江東区の存在だ。現在約46万人で50万人に手が届きそうである。しかも、江東区は埋立地を多く擁するため、面積も人口も増える可能性が高い(まあ人口減少時代はやがて訪れるだろうが、短期間的には最も成長要因のある区と言えよう)。とすると、ここに墨田区をひっつけてやる必要はないのではないか。

東京府案2

東京府案2表では、墨田区はどことひっつけるか。隅田川の対岸の台東区・荒川区と組み合わせると、62万人になってほどよいサイズとなる。区の中心に浅草。上野・浅草・両国を擁する下町情緒溢れる「浅草市」というブランドも悪くない。

しかし、そうすると「大江戸市」の人口が大きく減少する。千代田区・中央区のセットは揺るがないとして、港区を取り込んでいくことにした。それでも人口的には約38万とやや少なく、「首都特別区」のまわりをぐるりと取り囲むことになるのがちょっと厄介だが、赤坂・麻布・銀座・大手町・日本橋・神田を擁するという意味では、やはり「大江戸市」の名前がふさわしいと言える。

こうなると玉突きで、第1案の「新宿市」から港区が抜けることになるが、新宿区+渋谷区で52万人。辛うじて50万を超えているのでよしとしよう。

第2案では11政令指定都市+3中核市(江東市・葛飾市・大江戸市)が誕生する。

試案を作ってみて

今回の試案では、「首都特別区」の範囲を除いて、現状の区を分離して組み合わせるところまでは考えていない。たとえば、新宿区はもともと牛込区・四谷区・淀橋区であるが、これを分けて考えていない。

なお、市名はあくまでも仮に当てはめただけの案である。「大江戸市」が「新江戸市」でも「千代田市」でも「芝浦市」でも何でもかまわない。ただ、できるだけ古い地名を残したいと考えたネーミングである。もっとも荏原郡に由来する「荏原市」は読めそうにないので断念した。また、大森区+蒲田区に由来する「大田」も何とかしたいと思ったが、「羽田市」というのもどうかと思ってやめた(羽田という地名自体は由緒の古いものなのだが)。

また、住民感情や地域感情などもあまり勘案していない。とはいえ、中野区と杉並区が明治初期の「東多摩郡」の領域だからといって、今「東多摩市」という名称をよしとする人は少ないだろうという程度のことは考えている。

そういうわけで、これは単なる思考実験ではあるが、「ありえる」案だとは思う。

ちなみに、東京市に15区ができたのは明治十一年(1878)、大東京市35区に広がったのが昭和七年(1932)、昭和二十二年(1947)に統合されて22区(同年、板橋区から練馬区が分離して23区)となった。つまり、東京の特別区自体が130年くらいの短い歴史の中で3度も変遷してきている。「地方分権」が叫ばれる現在、東京特別区のありかたについても今一度考え直していいのではないだろうか。

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2010年5月 4日16:01| 記事内容分類:都市計画・建築学| by 松永英明
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明治初期に薩長が作り変えた府県の枠組みを律令時代からのものものに戻し、市町村は昼間人口も考慮して考えるべきでしょう。すなわち、武蔵国を復活、武蔵県とする。その中で江戸市を創設。皇居は京都(現京都御所)を正式とする。明治天皇は正式に江戸に移住すると宣言された記録はない。その後の軍国主義体制で東京在住を強いられた。794年~1868年までの京の伝統と重みを再認識すべき。さもなければ、「京都」という単語は廃止すべきだ。山城県山城市でよいはず。御座所としていまたまたま江戸を利用しているだけと解釈しなければならないと思われる。ちなみに、私は京に縁もゆかりも無い者です。

このブログ記事について

このページは、松永英明が2010年5月 4日 16:01に書いたブログ記事です。
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