政府統計は信用出来ない?
日本政府による政府統計、その正確性は世界に誇れるものだと言われてきた。それは役所で作業をする職員の苦労だけではなく、調査に協力する国民の理解もあってのことだが、日本政府が出した統計の数字はこれまで信頼性の高いものとして扱われてきたのだ。
それが昨今、揺らぎを見せている。
政府統計は間違っているのではないか。こともあろうに、日本銀行がそう疑義を唱えて、政府に元データの提供を迫るという事態が起きている。
森友学園問題における財務省の文書改竄を経験してしまった今、もはや日本政府の仕事は信用出来ないものになってしまった。政府統計も、どこかで数字を間違えたり、あるいはデータを改竄したりされてしまっているのではないか。少なくない国民はそう思っているはずで、日本銀行も元データを提供せよと言うのも一理ありそうだ。
GDPが怪しい
少し前になるが、『アベノミクスによろしく』という書籍が話題になった。この本のポイントのひとつがGDPを捏造しているのではないかという主張である。
アベノミクスによろしく (インターナショナル新書) 明石 順平
著者自身によるブログで詳しく解説もされているので、参照して欲しい。
2016年12月8日に、内閣府は新しい算出基準によるGDPを公表した。その際に各種の調整が行われたのであるが、その調整で安倍政権以降のGDPがかさ上げされた一方、過去のGDPはかさ下げされたというのである。
特に、「2015年の家計最終消費支出を思いっきりかさ上げしたのではないか」というのが、上記の本の著者の主張の核心である。アベノミクスにより結果として落ち込んでしまった消費。その失敗を糊塗するために、改定のどさくさに紛れて、家計最終消費支出をかさ上げし、GDPが大きくなるよう捏造を行ったのではないかと言うのである。
上記の書籍はブログが元になったので、上に貼ったURLをたどることで、書籍の概要も把握することが出来るが、いずれの議論も大変説得的である。そして、そこで呈される疑問に、少なくとも内閣府は答えていない。
とうとう、日本銀行が内閣府に切り込もうとする。それが今回の日本銀行による元データ開示の要請であると言える。
元データが開示されれば、上の書籍の疑問にも答えることが出来るのだが、どうやら内閣府は元データの開示を一部拒否したようである。この「一部拒否」というのは、おそらく、上のブログでも取り上げられている、調整に関するデータであることは間違いないだろう。
EBPMはどこへ?
さて、内閣府は元データの開示を一部拒否しているわけだが、この対応は看過しがたい誤りである。
こちらは内閣府Webサイトにある「内閣府におけるEBPMへの取組」のページである。
EBMPとは、エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング(Evidence-based policy making)のことである。日本語にすれば、証拠に基づく政策形成。内閣府だけではなく、日本政府全体で、このEBMPに取り組もうということが2016年末に確認され、2017年から具体的な取り組みが進められているところだ。
上にサイトを紹介したように、内閣府もEBPMに取り組むことを表明している。にもかかわらず、第一の証拠となるGDPの元データは出せないというのである。
EBPMの根幹を成すのがデータの存在である。政府が行う様々な政策はデータによって根拠付けられている。今回問題になったGDPもまさにそうだ。GDPは経済状況を指し示す一つの重要な指標として位置付けられ、その増減や総額を見ながら、例えば経済政策が構想されている。
元データに間違いがあれば、それは間違った根拠で政策形成がなされたことになってしまう。
日本銀行にも統計やデータ分析の専門家がいる。内閣府からGDPの元データが提供されれば、当然、日本銀行側でも精緻な分析が加えられることだろう。そもそも、単に集計をするだけであれば、基本的には誰が行っても同じ結果が得られるはずで、内閣府の出した集計結果を日本銀行が確認するだけのことだ。内閣府が正しい結果を公表しているというのであれば、別に隠し立てするようなことはそこにはない。
そうであるにもかかわらず、内閣府が一部の元データを提供しないということは、そこに何か良からぬことが隠されていると疑ってみるのが正解だろう。
日本銀行の思惑?
もちろん、この段階で日本銀行が内閣府にGDPの元データを提供するよう要請することには何らかの思惑があるはずだ。もしもGDPに大きな誤りやデータの捏造などあれば、それは安倍政権を揺るがす大きなスキャンダルになるが、その危険を知った上で日本銀行はGDPの元データの提供を要請しているである。
例えば、黒田総裁の下で進めてきた大規模な金融緩和につき、その出口戦略を本気で考え始めた。そのシグナルを安倍総理に対して日銀側から発した。そんな想像が掻き立てられるところである。