地政学とは、地理的な環境や条件が、一国の政治、軍事、経済に与える影響について考える学問。たとえば、「なぜ中国は、尖閣諸島にこだわるなど太平洋への野心をむき出しにしているのか」「なぜロシアは、西欧諸国と相入れようとしないのか」「なぜ西欧諸国は、EUとして団結しているのか」「なぜアメリカは、世界の警察官になって自国のロジックを振りかざすのか」などがその範疇に収まるわけです。
きょうご紹介する『世界のニュースがわかる! 図解 地政学入門』(高橋洋一著、あさ出版)は、そんな地政学に基づき、「日本はこれらの国々とどう向き合い、どう世界の外交舞台で立ち回っていくべきなのか」を理解しようという観点から書かれた書籍。
現在は嘉悦大学ビジネス創造学部教授、そして株式会社政策工房代表取締役会長を務める著者は、大蔵省(現・財務省)を経て、小泉内閣・第一次安倍内閣では「霞ヶ関埋蔵金」の公表や「ふるさと納税」「ねんきん定期便」など数々の政策提案・実現をしてきた人物。「『大きな視点から大局観的に物事を考える』という意味での真のグローバル思考を、多くの人に身につけてほしい」という思いが、本書には込められているようです。
プロローグ「よりよい、より広い土地をめぐる『戦争の歴史――地政学』」から、いくつかの要点を引き出してみましょう。
地政学とはなにか?
"地理的な条件が一国の政治や軍事、経済に与える影響を考えること"である地政学をひとことで定義するなら、「世界で起こってきた戦争の歴史を知ること」になると著者は主張しています。地理的な条件とは、すなわち領土やその周辺地域のことであり、領土は国同士が争い奪い合ってきたもの。つまり戦争がつきもので、だから「地政学とは戦争の歴史を学ぶこと」だという考え方になるというのです。
重要なのは、歴史は偶然の産物ではないという事実。歴史の背景には例外なく、「国家の思想」「目論見(もくろみ)」「野心」が存在しているということ。世界史とは、それらが複雑に絡み合い、争いながらつくられてきたものだという考え方です。
ただし「戦争のなかの壮大なドラマ」というような情緒はむしろ邪魔で、細かい歴史の知識も大して必要ではないと著者はいいます。求められるべきは、冷静に事実関係だけを把握する姿勢、そして「だいたいの流れを把握する」という大雑把な視点だというのです。別ないい方をすれば、情緒を交えることなく、世界で起こってきた戦争を大局的な視点で見なおしてみると、「なぜ世界がいまの形になったのか」がすんなり理解できるといいます。
そこで、大きな要素となるのが「地理的条件」。理由は明白で、国家の野心とは「領土にまつわる野心」にほかならず、戦争とは領土および領土に付随するもの(より広い、よりよい土地)をめぐって起こってきたものだから。
そういう意味においては、もし日本がユーラシア大陸に極めて近い位置に浮かぶ島国でなかったとしたら、日本の歴史はまったく違ったものになったかもしれないと著者。あるいは、朝鮮半島がユーラシア大陸のくっついていることが、韓国の外交情勢をつくってきたということ。よって、冒頭で触れた中国、ロシア、ヨーロッパ、アメリカの問題も、地政学的な視点でみると理解できるわけです。(16ページより)
いまも昔も、土地を巡って国同士が「押し合って」いる
たとえ実弾が飛び交っていなくても、この世界には、つねに国家同士の地政学的な「押し合い」が起こっているもの。最近の例でいえば、アメリカと中国との関係などはまさに「押し合い」そのものです。
アメリカは長年にわたって「世界の警察官」を自任し、つねに世界の安全保障の軸となってきました。ところが2013年9月10日、オバマ大統領は、当時の最大の懸案のひとつだったシリア問題に関するテレビ演説において、「アメリカは世界の警察官ではない」と述べました。つまり、「これまではお金も人もつぎ込んで世界の安全保障の中心に立ってきたけれど、これからは少し手を引く」と宣言したということ。
だとすれば、これを好機と見ているのはどの国でしょうか? この問いに対して著者は、ソ連時代にアメリカとしのぎを削ったロシアよりも、さらに露骨な野心を見せているのが中国だとしています。中国はいまや「海」への進出に熱心で、長く帰属問題でもめている台湾、「核心的利益」と位置づけている尖閣諸島のほか、南シナ海の南沙諸島を埋め立て、滑走路などを建設してベトナムやフィリピンを圧迫しているのです。
さて、そんな中国では2013年3月に、習近平が国家主席となりました。習近平はそれ以前から「中華民族の偉大なる復興の実現」を掲げており、2012年に国家副首席として初めて訪米した際には、「中国とアメリカとで太平洋を二分すること」を匂わせました。そして、国家主席となって以降の2013年6月の訪米時にはオバマ大統領に対し、「太平洋には両国(アメリカと中国)を受け入れる十分な空間がある」と明言し、さらに露骨な野心を見せつけています。
「相手が引けば自分が押す」というのが、国際政治の常道。だから、アメリカが「世界の警察官をやめる」と宣言したことで、習近平は勢いづいたわけです。そしてそれが、2014年に南沙諸島の埋め立てを隠そうともせずに、急ピッチで完了させるきっかけになったということ。アメリカが世界の安全保障に睨みを利かせている限り下手な手は打てなかったけれど、「引く」姿勢を見せたため押してきたというわけです。
こうした動きについて著者は、国際社会は「なめるか、なめられるか」の世界だと主張しています。「戦争を好まない」という触れ込みでイラクからの米軍撤退を表明したオバマは、そのことでは評価されました。しかし、その後の協調路線、穏健姿勢によって、見方次第では中国に「なめられる」ことになってしまったということです。
このように、お互いの実力、行動力の探り合い、「相手が引いたら自分が押す」式の駆け引きが、国際政治の舞台ではつねに繰り広げられているということ。すべての国がほぼ均等な力で押し合うことによって均衡が保たれている間はなにも動きませんが、ひとたびどちらかが引けば、もう一方が押す。弱みや隙を見せれば、一気につけ込まれる。だとすれば、時刻が不戦を誓っていても、そうでない国が存在するなら、対抗策をとらざるを得ない場合もある。これが、ずっと繰り返されてきた国際政治の常識だということです。(20ページより)
なぜ戦争になるのか?
ところで、なぜ過去にも多くの戦争が起きてきたのでしょうか? それは先にも触れたように、人が「より広い、よりよい土地」を求めてきたから。しかし、いまや世界の趨勢(すうせい)が「不戦」に向かっているのも事実。いわば、積極的に戦って土地を奪うより、戦争を避けようという力学が働きはじめているということ。それは、戦いに懲りた人類がより「賢く」なり、戦いを避けて共存共栄を目指すようになったからだと著者は分析しています。
とはいえ、いまは本当にかつてよりも平和な時代なのでしょうか? もしそうなのだとしたら、人はどう賢くなって、どう戦いを避け、どう共存共栄を目指すようになったのでしょうか? この問題を考えるにあたり、著者は人類の戦争の歴史をまとめた『暴力の人類史』(スティーブン・ピンカー著)を引き合いに出しています。同書によると、人類が起こしてきた戦争という愚行のうち、じつに3分の2が19世紀以前に起こっているというのです。死者数を人口換算してみても、上位8位までが19世紀以前の戦争で占められているのだとか。
つまりピンカーはこの点に注目し、いままで戦争を起こして残虐の限りを尽くしてきた人類だけれども、20世紀以降はぐんと平和的になったと指摘しているのです。
民主主義国家同士は戦争しない?
人類が20世紀になって平和的になったのであれば、そこで注目すべきは「民主的平和論」。「民主主義国家同士は戦争をしない」という国際政治理論です。これはいまや国際政治論や国際関係論では「もっとも法則らしい法則」とみなされているもので、数々の学者によって検証されてきたもの。ピンカーもそのひとりだといいます。
では民主的平和論は、いまの世界に照らし合わせて正しいといえるのでしょうか? もちろん、民主主義国家同士は「絶対に戦争をしない」わけではないものの、民主国家は独裁国家にくらべ、「戦争を起こす確率が絶対的に低い」といえると著者。なぜなら民主主義という政治システムは、根本的に戦争とは相容れないから。
民主主義国家では「個人の価値」が「国家の価値」に勝るため、一国のリーダーが自らの欲や名誉のために自国民を動員し、他国に進出するという独断専行がくだされにくいシステムになっています。民主主義という社会通念のもとでは、国を動かす政治家は個のために政治を行わなければならない。いいかえれば、個を危険にさらさない、つまり、なるべく戦争を避けるために策をめぐらせることこそが、政治家の仕事になったといえるといいます。
戦争を避け、他国とうまくやっていくには、いろいろな可能性を考えてみなくてはいけない。そのために、異なる考え方を持つ複数の政党が寄り集まり、民衆によって選ばれた政治家たちが、話し合いによって国の方針を決める。(中略)この価値が高まったことで、民衆もまた当然の権利として、気に入らないことには声を上げるようになった。基本的には選挙による賛成だが、それがときにはデモという形で現れることもある。(35ページより)
こうして個の価値が高まったことで、いわば「戦争の抑制効果」が政治家、民衆、軍部の三重にも働いているのが民主主義国家だということです。そして著者は、「20世紀になって、人類はそれ以前にくらべると「マシで、少し平和的になった」といいます。それは、「民主主義という政治システムが成熟し、定着しつつあるからだ」とも。
たしかに個の価値が高まり、自由と権利が尊重される国は、戦争を起こしにくいといえるでしょう。国土も国民も無駄に消耗せず、互いに栄える道を模索するようになったという意味においては、たしかに人類はより「賢く」なったのかもしれないということ。
独裁主義国家では個の価値が低く、独裁者や特定の政党の独断によって国の方針が決まるもの。国家のリーダーが「隣国と戦争をして領土を奪う」といえば、誰も逆らえないわけです。一方、民主主義とは基本的に「話し合い」によって問題を解決するシステム。だからこそ、この政治システムを共有する国同士は「話せばわかる」間柄だということになるわけです。
わかりにくい、あるいは聞きにくい問題も、本書ではこのようにわかりやすく解説されています。だからこそ、多くの疑問を解消することができるはず。社会情勢が緊張するなかでフラットな視点を持っておくためにも、ぜひ読んでおきたい内容だといえるでしょう。
(印南敦史)