住んでいる自治体の運動公園の行事で、子供と一緒にブーメラン競技の体験教室に参加したことがある。かなたへと投じたブーメランが、きれいな弧を描いて自分の元に返ってくるのは確かに気持ちがよいものだった。民進党は、まるでこの快感のとりことなっているかのようである。
2月27日の衆院予算委員会では大西健介氏が、28日の参院予算委では小川敏夫氏がそれぞれ、独特な保守色が注目されている学校法人「森友学園」をめぐり、安倍晋三政権との密接な関係を印象付けようと追及した。ところが、ともに民主党(現民進党)時代にも同様の関わりがあったことを指摘されて自爆した。
これらは、本紙既報のため詳述は避けるが、いずれもお手本にしたいような正確なブーメランだった。相手への攻撃が寸分違わず自分に跳ね返る姿には、一種の様式美すら感じた。
今や民進党といえば、ブーメラン現象を思い浮かべる人も少なくないことだろう。それにしても、事前に少しでも調べていれば誰でも分かることなのに、どうしてわざわざブーメランを投げようとするのか。何かやむにやまれぬ動機や理由はあるのだろうか-。
この点について、日本維新の会の足立康史衆院議員が以前、自身のブログで整理していたので紹介したい。足立氏によると、民進党議員のブーメランには、(1)反射型(2)指令型(3)信念型-の3つの類型がある。
(1)は当人が深く考えずにその場の都合で反射的に口にするもので、(2)は当人の意向にかかわらず上からの指令でやっているもの、(3)は当人の思想・信条、強固な思い込みや勘違いなどによるものだろう。足立氏は、ほとんど無意味な(1)や(2)に比べ(3)は「反面教師くらいにはなりそう」と皮肉っている。
また、ジャーナリストの山村明義氏は新著『日本をダメにするリベラルの正体』の中で、足立氏の言う「反射型ブーメラン」についてこう分析している。
「リベラルな議員特有のもので、その特徴は、『過去をいつの間にか忘れる』というもの」
「リベラル主義者は、その理念として常に『進歩主義』でなければならず、自分の歴史や過去を振り返ってはいけない、という先入観があるよう」
確かに、民進党議員の国会質問を見ていると、3年3カ月にわたる民主党政権の失政への反省はほとんどみられない。国会では、政府側が「その政策判断は民主党政権時代のものだ」と指摘すると、堂々と「(今は)民進党だ」と反論する議員も見受けるほどだ。
こういう議員らには、相手は「悪」「邪」だが、自分たちは「正義」「善」だという根拠のない決め付けがあるように思える。正義はわれにあるのだから、何を言っても許されるとばかりに相手のすべてを否定しようとするから、自分自身の過去の言動と矛盾してしまうのではないか。
筆者が初めて署名記事で民主党に関しブーメランという言葉を用いたのは平成22年5月、当時の鳩山由紀夫首相に対してだった。
「何か本質的な間違いというか、本質的な考え方がどうも違う。それが結果として表面的な失言につながっているのではないか」
鳩山氏が20年11月に、麻生太郎首相(当時)に浴びせたこんな言葉を引いて、「見事なブーメランとなって跳ね返っている」と書いたのだった。あの時からもう7年近くたつが、この党は変わらない。
(論説委員兼政治部編集委員)