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作家の読書道 第111回:梓崎優さん

2008年に第5回ミステリーズ!新人賞を受賞、その受賞作を第一話にした単行本デビュー作『叫びと祈り』で一気に注目の人となった梓崎優さん。今後の活躍が大いに期待される新鋭の読書遍歴とは? 覆面作家でもある著者に、特別にお話をおうかがいしました。

その1「幼少期はマレーシアで」 (1/5)

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  • 『エルマーのぼうけん (世界傑作童話シリーズ)』
    ルース・スタイルス・ガネット
    福音館書店
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  • 『ドラゴンボール (巻1) (ジャンプ・コミックス)』
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  • 『半七捕物帳〈1〉 (光文社時代小説文庫)』
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  • 罪と罰〈上〉 (岩波文庫)
  • 『罪と罰〈上〉 (岩波文庫)』
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――まずはじめに。梓崎さんはお顔は非公開なんですよね。

梓崎:諸般の事情で表に出せないということがありまして。実は、身近な人もほとんど、私が作家デビューしたことを知らないんです。ただ、個人を特定できるような面白いネタはないので、こうやってお話しするのは大丈夫だと思います(笑)。

――ご出身は東京なんですよね。

梓崎:そうなんですが、親が転勤族だったのであちこち移動しています。幼稚園から小学4年生まではマレーシアのジョホールバルにいました。それから埼玉、横浜...と転々としています。

――マレーシアでは日本人学校に通っていたんですか。

梓崎:そうです。でも学校では英語の授業がありましたし、家に帰ってもテレビはマレー語だし、日本語の本はほとんどないし...と、日本語の文字文化から隔絶されていました。小さい時に『エルマーのぼうけん』や江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズを読んだ記憶はあるんですが。本が具体的に記憶に出てくるのは中学に入ってからです。それまでは外で遊んでいる野生児でした。当時流行っていたのがソフトボールで、日本人だけで大会もありました。それでずっとやっていたんですが、日本に帰ってきたら自分の腕前がたいしたことはないと分かりました(笑)。

――ジョホールバルはどんなところだったんですか。

梓崎:ジャングルがすぐ近くにありましたね。家の近くに、森に囲まれたゴルフの打ちっぱなし場があったんですが、そこでときどき現地の人がイノシシを追いかけていました。集落のまわりが水路で囲まれていて、ワニが出たりとか。蛇もよく出たんです。小学校にはガードマンがいたんですが、蛇を殺せることがガードマンの必要条件でした。

――日本語、英語、マレー語のトライリンガルだったのでしょうか。

梓崎:その頃は喋っていたみたいなんですが、今は片鱗も残っていないです。

――本はなくても、アニメや漫画、ゲームなど何か夢中になったものはありましたか。

梓崎:私が小学校低学年の頃にファミコンが流行っていたんですが、向こうではファミコンを持っているのはごく一部の人だけで、自分は全然触れていなくて。唯一触れていたのは漫画、しかも『ドラゴンボール』限定です。『ジャンプ』もなかったので単行本で。クラス中で回し読みしていた記憶があります。

――小学4年生で帰国した時はカルチャーショックを受けたのでは。

梓崎:最初に山手線に乗った時、2駅くらいの距離で酔ってもどしました。電車に乗る経験がはじめてだったんです。都道府県も日本地図も分からない、漢字は書けないという、基礎教養のない状態だったので大変でした。海外にいた頃は転勤族の方が多くて、外から新しい人が入ってきても日本人ということで受け入れられていたんです。でも帰国して最初に住んだ場所が地域の縛りが強いところで、転校生自体が珍しいくらいで。それではじめはなかなか馴染めませんでした。

――では、本を読んだ記憶といいますと。

梓崎:小学生のうちは都道府県を覚えるのに時間を使いましたから(笑)、中学2年生くらいの時になります。きっかけはゲームだったんです。父親が歴史好きだったので、その影響もあってコーエーの「三國志」や「信長の野望」をやっているうちにゲームでは物足りなくなったというか、本物が知りたくなったんです。それで『三国志演義』などの歴史小説を読み始めたのが最初です。何のバージョンかは分からないですね、吉川英治でなかったことは確か。広辞苑のような厚さで単行本2冊分ありました。でも簡明に書かれていて、中学生でも読めたんです。それを読んで歴史小説って面白いと思って、ようやく本を読む気になりました。父親が歴史小説好きですからそういう類の本は家にあって、司馬遼太郎さんなんかをよく読んでいました。一番ハマったのは藤沢周平さん。家にほぼ全冊揃っていて、秘剣ものや「用心棒」シリーズを読みました。当時は面白さの本質を分かっていなくて、活劇的なところを楽しんでいました。でも、ミステリ的なものも読んでいて、『秘太刀馬の骨』や、あとは岡本綺堂さんの『半七捕物帳』シリーズは大好きで繰り返し読んでいましたね。今思うと、それがミステリ的なものに触れた原点かもしれません。

――同級生たちと本の貸し借りをしたりはしなかったのですか。

梓崎:学校では部活中心で過ごしていました。テニス部だったんです。ソフトボールには見切りをつけて、他人に迷惑をかけない競技にしよう、と(笑)。まあ腕前はあがりませんでした。

――文章を書くことは得意だったんでしょうか。授業の作文や読書感想文などの課題はどうでしたか。

梓崎:大の苦手でしたね。もう時効でしょうけれど、読書感想文で巻末の解説を一部流用したことがありました。『罪と罰』です。いろいろな版が出ていて解説もたくさんあったので、それを読んでだいたいみんなが言っているところを言及しておこうと...最低ですね(笑)。『罪と罰』はちゃんと読んだし面白かったんですけれど、何がどう面白いのか、それを文章に起こすことができなかったんです。

――日本の歴史小説だけでなく海外小説も読んでいたんですね。

梓崎:古典的なものは読んでいました。学校の方針で、毎回試験には古典から採点の3割4割出題されるので、読んでおかなくてはいけなかったんです。それで読むと意外と面白いので、徐々にいろんな小説を読むようになりました。

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プロフィール

梓崎 優(しざき・ゆう) 1983年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。2008年、短編「砂漠を走る船の 道」で第5回ミステリーズ!新人賞を受賞。 受賞作を第一話に据えた連作化した『叫びと祈り』で単行本デビューを果たす