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作家の読書道 第128回:原田マハさん

アンリ・ルソーの名画の謎を明かすためにスイスの大邸宅で繰り広げられる知的駆け引きと、ある日記に潜んだルソーの謎。長年温めてきたテーマを扱った渾身の一作『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞を受賞、直木賞にもノミネートされて話題をさらった原田マハさん。アートにも造詣の深い著者が愛読してきた本とは? 情熱あふれる読書、そしてパワフルな“人生開拓能力”に圧倒されます!

その1「兄・原田宗典さんと競うように本を読む」 (1/5)

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――小さい頃の読書って憶えていますか。

原田:結構憶えていますね。幼稚園の年長さんの時に、鈴木三重吉という有名な児童文学者の「赤い鳥」というシリーズを父親に与えられて、私と兄で競争して読んでいました。

――おお、お兄さんの原田宗典さんと。

原田:そうです。タイトルは忘れてしまったんですけれど、その中にすごくいい話があって。あるお金持ちが大きな自社ビルを建てて、といっても大正の頃なので5階建てくらいだと思うんですけれど、そのいちばん上の階の社長室から、ドアが開かなくなったか何かで出られなくなってしまうんです。お腹がすいてしまい、カゴにお金を入れて「何か食べ物を買ってここに入れてください。お釣りはいりません」と書いた紙をいれてひもをつけ、するするっと窓から下ろす。1時間後くらいに上げると、りんごとおにぎりと、お釣りがちゃんと入っていて。今まで自分は人のことを考えずにきたけれど、どこの誰だか分からない人間のために食べ物を買って、しかもお釣りも残してくれる人がいるんだ、と、人情に触れて改心するんです。それを涙をこぼして読んだ記憶があります。

――人情モノに涙する幼稚園児。

原田:そう。私も人のことを思いやらないといけないなと思いました。本は好きでしたね。私と兄は柄の大きい子供だったんですけれど、幼稚園児の頃から田舎に行く時などに電車の中で本を広げて読んでいたんです。それが小学校低学年が読むようなものだったので親に「本はしまっておきなさい、小学生と間違えられてお金とられちゃうから」って言われました(笑)。兄もすごく本を読む子どもで、私にとってライバルだったんです。競争して読んでいました。父が買ってきた「ドリトル先生」のシリーズに二人とも食いついて、挿絵のキャプションを競って憶えあいっこしました。「ぞうのマッサージ」「猫肉屋のマシュー」などと交互に言い合って、言えなくなったら負け。だから全巻のキャプションを憶えたんです。挿絵は著者のヒュー・ロフティングが描いているんですが、それをチラシの裏に模写していました。「ドリトル先生」は全部読み終わるのが惜しくて、最後はゆっくり読んで、その後で何回も読み返しましたね。それが小学校1~3年生の頃かな。兄は3つ上ですけれど。

――おうちは本がたくさんあったのですか。

原田:父が百科事典や美術書のセールスマンをやっていて、取次もやっていたので家にそうした本があふれていました。ゲームはもちろんテレビすらあまり普及していなかった時代ですから、娯楽がなかったので、それらの本を毎日毎日見ていました。絵を観るのが好きで、ダ・ヴィンチの絵やダビデ像をチラシの裏に模写していました。子どもですし、ピカソみたいに天才ではないので、模写といっても○やら△やらで描かれたものでしたけれど。でもそうした環境はとてもよかったと思います。あとは国語辞典も兄と憶えあいましたね。広辞苑のラリーをやりました。例えば、「さ」で始まる単語をどちらかが尽きるまで交互に言い合うんです。兄がやはり辞書を愛読していて、これは負けられないと思って私も国語の辞書と英語の辞書の両方を読みました。だから三浦しをんさんの『舟を編む』が出た時は、これは私の本だ! と思ったくらい(笑)。

――高尚な兄妹ですね...。

原田:まあ兄妹げんかもしました。でも兄がいたから本を読み合うということができたのでよかったです。兄を追っかけていたんですよね。兄が観た映画は観るし、兄が読んだ本は読むし。洋服も兄がファッションリーダーで、彼がアイビールックをしていたら「私もやる!」と思って。生まれ育ったのは東京の小平、国分寺のあたりですが、小学校6年生の時に岡山に引越したんです。岡山の奉還町にアイビーファッションの「VAN」のショップがあって、兄がそこでボタンダウンのシャツとか靴下とかを買ってくるんですが、お店の袋にリポートとか入れて持ち歩いているのがうらやましくて。「その袋ちょうだい」って言ったら「袋はあげられないけれど、じゃあこれ」と言って掌にのせてくれたのが、靴下を留めてある金具。そこに「VAN」って書いてあるんです。「わあ、ありがとう!」って喜んでそれでレポートを挟んだりしていたけれど、あとから考えたらすごく意地悪ですよね(笑)。

――あはは。本は他にどんなものが心に残っていますか。

原田:岡山には父が先に単身赴任していたので、東京から会いに行くのに長時間新幹線に乗ることが多かったんです。長い移動をする時は親が本を買ってくれるので、小平の一橋学園駅の前の書店で選び抜きましたね。動物好きだったので、「ミス・ビアンカ」シリーズという、白いハツカネズミが主人公の童話などを読みました。号泣したのは『帰らざる渡り鳥』。絶滅した渡り鳥の話が主人公です。一羽だけになった渡り鳥がお嫁さんを見つけて、夫婦になって北の空へいこうとするんですが、お嫁さんを猟師が撃ってしまう。渡り鳥はずっと奥さんのそばからはなれず、そうしてその種は絶滅してしまうという話。動物が大好きだったので、涙がとまりませんでした。しかも本当にあったお話です、って書かれてあったんです。もちろん実際には鳥は何も喋っていないと思うけど(笑)。こういうことはあってはいけないなと思ったし、それを物語で伝えていることにも感動しました。生き物を大切にしなくちゃと思いましたね。

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プロフィール

1962 年東京都生まれ。東京都在住。 関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。 伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなり、2006年より作家となる。2005年『カフーを待ちわびて』で第一回日本ラブストーリー大賞受賞。2012年『楽園のカンヴァス』で第二十五回山本周五郎賞受賞。 主な著作に『一分間だけ』『#9』(宝島社)、『さいはての彼女』(角川書店)、『ごめん』『風のマジム』(講談社)、『キネマの神様』(文藝春秋)、『翼をください』(毎日新聞社)、『インディペンデンス・デイ』(PHP 研究所)、『星がひとつほしいとの祈り』(実業之日本社)、『本日は、お日柄もよく』(徳間書店)、『まぐだら屋のマリア』(幻冬舎)、『でーれーガールズ』(祥伝社)、『永遠をさがしに』(河出書房新社)、『旅屋おかえり』(集英社)などがある。