WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第36回:恩田 陸さん
ホラーからミステリ、コメディまで、テイストのまったく異なる作品を“矢継早に”発表し続けているエンターテインナー、恩田陸さん。たいていの作品は過去の小説へのオマージュとなっているというだけに、やっぱり幼少の頃からジャンルと問わず、相当数読んでおられる様子です。とにかく出てくる出てくる、いろんな本のタイトルが。絶版本もあるので追体験ができないのが残念! しかし読書の楽しみを、改めて思い出させてくれるのでありました。
(プロフィール)
1964年、宮城県生れ。早稲田大学卒。92年、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となった『六番目の小夜子』でデビュー。活字でこんなことが出来るのか、という驚きと感動を提供して注目を浴びる。ホラー、SF、ミステリなど、既存の枠にとらわれない、独自の作品世界で沢山のファンを持つ。著書に、『球形の季節』『三月は深き紅の淵を』『光の帝国 常野物語』『図書室の海』『禁じられた楽園』『Q&A』などがある。
――勝手な想像ですが、恩田さんは小さい頃から本好きだったのではないかと…?
恩田 陸(以下 恩田) : 本は家にいっぱいありましたね。あと、たしか「こどものとも」というのがあって、毎月絵本が送られてきていました。全部新作のお話で、そこからロングセラーになったものもありましたね。小学生になってからは、図書室で借りて読んでいました。
――思い出深い本はありますか?
恩田 : ものすごく覚えているのはロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』。親に買ってもらったのですが、そこではじめて寝食を忘れて本にのめりこむ、という体験をしました。あと、それまでは絵を描いた人の名前は分かっても、作者の名前に関しては「誰なんだろう、この人は」くらいの認識しかなかった。それが、この本で、「ああ、ロアルド・ダールというのがこのお話を作った人なんだ」って認識したんですね。表紙に書かれている"作"の意味をはじめて知ったんです。
――海外モノが多かったんですか?
恩田 : そうですね。『くまのプーさん』『秘密の花園』『若草物語』…。日本人モノは、まずハマったのが江戸川乱歩の、ポプラ社の少年探偵団モノ。小学3、4年生の頃は星新一でしたね。クラスの男の子でも本好きで読んでいる子がいたので、貸し借りしていました。5歳年上の兄の影響でアガサ・クリスティやエラリイ・クイーンも読んでいました。まさにエンターテインメントの王道。クリスティでは『七つの時計』ではじめてドンデン返しに驚いたのを覚えています。とにかく、ミステリ系はすごく好きでした。それと、テレビで『ミクロの決死圏』をやっていたので、アイザック・アシモフの原作を読んだのが、はじめてのSF作品。あと、漫画もすごく読んでいました。
――少年漫画?少女漫画?
恩田 : 兄は少年漫画を、私は少女漫画を分担して買って読んでいました。最初に買ったのは『なかよし』。いがらしゆみこさんや里中満智子さんが描いていて。全然関係ない話ですけれど、ヨン様が『キャンディ・キャンディ』のアンソニーに似てるって言われてるのを聞いて、すごく共感しました。笑った顔なんて特に。最近の一番のヒットです(笑)。で、あとほかには『りぼん』や『マーガレット』を並行して買っていたので、一条ゆかりさんとか山岸涼子さん、美内すずえさんなんかを読んでいました。
――その頃、特にひいきにしていた作家は?
恩田 : 小林信彦さんの『オヨヨ大統領』シリーズの影響は大きかったですね。シリーズの後半はだんだん大人向けにシフトしていって子供には難しくなるんですが、それでも小林作品はずっと追いかけて読んでいました。そこからミステリ関係のエッセイも読むようになって、小学5年生の時に植草甚一さんの『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』っていう分厚い本を、嫌がる親にねだって買ってもらって。外国作品を星の数で評価しながら紹介した本です。それを読んで覚えたミステリ作品は多いですね。ジョン・ル・カレとか、ジョン・ファウルズとか…。
――ホラーは読みませんでした?
恩田 : 小学生の頃ホラーブームがあって、映画で『エクソシスト』や『ヘルハウス』が公開されて。『ヘルハウス』の原作がリチャード・マシスンの『地獄の家』で、これはものすごく面白かった。
――純文学系は…。
恩田 : スタンダードに『しろばんば』『次郎物語』『坊ちゃん』なんかを読んでいました。でも、やっぱり一番しっくりきたのは海外ミステリでした。
――学校で読書感想文の課題が出たら、ほかの生徒とは違う本を選んでいそう。
恩田 : それはちょっとありました。課題図書というのが大嫌いで。何でこんな趣味の合わない本を読ませるんだ、と毎年一人で怒っていました(笑)。
――中学生になってからもその傾向は続くのですか?
恩田 : 乱読に拍車がかかっていました。うちに文学全集があって、それも読んでいましたし。とにかくあれば読む、という感じで、全然選んでいませんでした。
――そこまで読んでいると、何を読んだか忘れてしまいそう。
恩田 : 面白くない本はすぐ忘れますね。
――読書日記はつけていたのですか?
恩田 : たぶん中学生の時から、今に至るまでつけています。でも昔の読書ノートがどこにあるのかは今となっては分からない。まあ、単純に「面白い」「面白くない」と書いていただけですが。
――同じ本を繰り返し読むということは?
恩田 : 中井英夫さんの『虚無への供物』は小学6年生で読んだのですが、今でも年1回は読みたくなりますね。文体にものすごくツヤがあって、不思議な魅力がある。あとはエッセイ本。中学生の頃読んだ、石井好子さんというシャンソン歌手の方の『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』は、オニオングラタンスープの作り方がすごくおいしそうで、肌寒い季節になると読みたくなる。
――そして高校生になってからは…。
恩田 : さらに乱読。これまでのジャンルに加えて、ノンフィクションが入ってくるんです。立花隆さんの『宇宙からの帰還』を読んでものすごくショックを受けました。宇宙飛行士って、宇宙に行ったあと宗教家になる人が多いそうですが、宇宙体験で神の存在を感じるみたいなんですね。その心理的変化を書いたノンフィクションですが、それがすごく印象に残っている。外側から人類や地球を見る体験に衝撃を受けました。
――同じ作家をずっと読んだりはしました?
恩田 : クリスティをひたすら読みました。それと開高健が好きで読んでいました。あと、谷崎潤一郎も全部読んだと思います。
――ほかに、これが好きだった、という作品は。
恩田 : ご多分に漏れず、『ライ麦畑でつかまえて』や『アルジャーノンに花束を』には泣きましたね。あと、印象に残っているのは江戸川乱歩賞をとった小峰元さんの『アルキメデスは手を汚さない』。話題になっていたので読んでみたら、学園モノでちょっと"薮の中"っぽいところもあって、すごく面白かったんですよ。江戸川乱歩賞というものがあると認識したのもこの作品でした。
――さて、大学生時代は…。
恩田 : 更に乱読。国文科だったので一応古典も読みました。ゼミでは谷崎、卒論は永井荷風を選びました。どっちも家に全集があったってそれだけの理由なんですけれど。谷崎はトリッキーな小説で大好きでしたけれど、荷風の小説はとらえどころがなくて、エッセイや日記のほうが面白かったですね。あと、その頃スティーヴン・キングの文庫が出てきて、追いかけて読みました。『ファイアスターター』『クージョ』『キャリー』『デッド・ゾーン』『クリスティーン』…。キングは『ファイアスターター』と『IT』が好きですね。ラストが未来のある、明るい終わり方なので。それと、ロレンス・ダレルの『アレキサンドリアカルテット』がすごく好きでした。名訳で、文章と構成が素晴らしい。なめるように読んだ記憶があります。
――その頃、月に何冊くらい読んでいたか覚えています? 一日一冊とか?
恩田 : :一日一冊は読んでいたと思いますね。エド・マクベインの87分署シリーズを、くる日もくる日も読んでいたり。エド・マクベインはすごいストーリーテラーですよね。
――就職してからはどうですか?
恩田 : 社会人になってハードカバーの本が買えるようになったのが嬉しくて。当時は翻訳作品は今ほど多く刊行されていなかったので、出たものすべて読んでいました。今はとてもじゃないけれどついていけませんね…。覚えているのは、ルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』。クラーイ話で、動機がすごく話題になった本でした。
――乱読はとどまることを知らない…
恩田 : いえ、ちょうどバブルの入り口で、すごく忙しかったんですよ。生命保険会社にいたんで。時間がなくて本が読めなくなったのがストレスでしたね。それで身体を壊して会社を辞めたくらい。
――その頃、ご自身でも小説を書き始めた。
恩田 : そうですね、26歳でしたね。小説を書こうと思ったのは、日本ファンタジーノベル大賞の第一回目の受賞となった酒見賢一さんの『後宮小説』を読んだことがきっかけです。私と一歳しか違わないのに、中島敦みたいな天才的なものを感じたんです。若くしてこんなに書ける人がいるんだ、と驚きました。当時私は"年をとったら作家になりたい"って思っていたんです。立派な社会人になってから書こう、と。でも20代でも書く人は書くんだと知って、なら自分も書いてみようと思ったんですよね。あの小説を読んでいなかったら、まだ小説を書いていなかったかもしれません。酒見さんの小説がきっかけだったのは、はっきりしています。
――そして書いた初の小説『六番目の小夜子』でデビューが決まったわけですね。
恩田 : 応募したことで満足して、直後から就職活動をしていたんです。ところが思いがけずデビューしてしまって、でもとても小説でやっていけるとは思わず、すぐ再就職したんです、派遣社員として。その間は寡作でした。二作目を書いたり、本を読んだり…。
――確か、その後も長くお勤めになったんですよね。
恩田 : 8年くらいかな。不動産屋だったんですけれど、何度も更新しているうちに社員にならないかと言われて。で、社員になると忙しくなって、最後のほうはきつかった。それで小説の注文も増えてきたので、専業になろうかと思って。
――会社の人は小説を書いているって知らなかったとか。
恩田 : そうです。なので、辞める時は独立して不動産屋をひらいてライバルになる、と思われていたらしいです(笑)。
――作家になってからは、本の読み方に変化はありましたか?
恩田 : 基本的にないです。作家になったら他の人の小説を楽しんで読めなくなったという人もいますが、ありがたいことにそうはならなかったです。人の本を読んでいるほうが楽しいですよ、終わりまでちゃんとあるし(笑)。
――恩田さんの作品は、過去の作品へのオマージュとなっているものが多いですよね。
恩田 : すべてではないのですが、まあ、あんな感じで書こう、というのはありますよね。だいたい、オリジナルストーリーなんてない、って思っているんです。たいていの手法は使いつくされているので、何をやってももう、先行作品のオマージュとなる、という認識でいるので。あと、気持ちいいって感じるストーリーは、古今東西同じであって、見せ方を変えているだけという認識もあります。なので、尊敬する先行作品には毎回触れるようにはしています。
――いくつか例を挙げるとすると…。
恩田 : 『月の裏側』はジャック・フィニイの『盗まれた街』、『ライオンハート』はロバート・ネーサンの『ジェニーの肖像』、『光の帝国』はゼナ・ヘンダーソンの「ピープル」シリーズのオマージュです。
――装丁を真似しているのもありますよね。
恩田 : 『象と耳鳴り』はビル・S・バリンジャーの『歯と爪』の単行本の装丁ですね。
――『ドミノ』は映画『マグノリア』を見て思いついたとか。
恩田 : あれはオマージュというよりも、なんで最後にみんなが集まらないんだ、という不満から書いたものですね。映像作品ではあと『CUBE』からヒントを得た『MAZE』がありますね。あと、安上がりな『24』を書こうと思っているんですよ。
――安上がりな?
恩田 : 同じネタだったら、もっと低予算でもできるのではないかと思って。
――なるほど。ちなみに、新刊の『夜のピクニック』は、何のオマージュですか? 心にいろんなことを抱えている高校生たちが、学校の行事として夜通し歩くという…。
恩田 : あれは特にないんです。でも夜通し歩く、というのは、私の母校の学校行事で、前からネタになるなと思っていたんです。たまたまこれの前に書いた『Q&A』が後味の悪い作品だったので(笑)、今回は後味のいい青春小説にしました。
――なるほど。さて、作家になった後は、読書量は増えました?
恩田 : 増えないですねー。増やしたいんですけれど。仕事に追われてまして。
――ものすごいスピードで書いてらっしゃいますよね。
恩田 : いやいや、悩んでいる時間のほうが長いです。それに資料を読むことを優先させるので、楽しみな読書は後回しになってしまう。ゆっくり読みたいんですけれど。
――でも、恩田さんは新刊情報にも詳しいですよね。
恩田 : 本を買うのは習慣なんです。読むより買うほうが多い。本屋さんに行って、手当たり次第買うのが好きなんです。うちには本棚がないので、もう、家中平積みで大変。一部屋は完全にふさがってしまったのでどうしようかと思っています。
――やはりミステリが多いですか?
恩田 : 自分が小説を書いている時は、小説を読むとそちらにひきずられてしまうので、エッセイやノンフィクションを読みますね。最近では新元良一さんの『翻訳文学ブックカフェ』が面白かった。最近特に言語の越境者に興味があるんですけれど、これは第一線で活躍している翻訳家たちにインタビューしていて、すごく興味深かった。
――小説では何か面白いもの、ありましたか?
恩田 : 松村栄子さんの『雨にもまけず粗茶一服』は"茶道成長小説"で、楽しかった。『ダ・ヴィンチ・コード』も読みましたよ。超ハリウッド的だけれど面白かったですね。
(2004年10月更新)
取材・文:瀧井朝世
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