今日は月曜日。地元の初スタンデイングの日だ。
ところが時間になってもだれも来ない。妻は所用で初めから来ない。
しょうがないかと、始めた。一人だと、なんだろうと、皆の注目度が高いような気がする。しばらくするとスタンデイング仲間が、やってきて「今日は予定ない」とのこと。中止となった。
昨日は相馬の成人を祝う会。その日に載った朝日歌壇の歌に心が痛む。
将来の夢と希望を問われしに「大人になれたら」といふガザの子(新潟・寺尾正人)
何をやっているんだ、世界の大人は。
同盟国なら、日本政府は、米国に「イスラエルのガザ侵略はもう国際人道法違反、やめさせろ」と言えよ。同盟国つまり仲間なんだろ。贖罪と現在のイスラエルの犯罪は別物だろう、ドイツ政府よ。
同盟と言えば。
1月11日の朝日新聞にNSS(国家安全保障局)の局長の交代が載っていた。歴代NSS局長とその在任中の出来事を見て、ある面腑に落ちたが、反面これでいいのかとも思った。
初代の時には、集団的自衛権一部容認の安保法制、今回退任の3代目の時には、敵基地能力確保や防衛費倍増等の安保関連3文書を策定している。
これらの局長は、外務事務次官出身である。
なるほど、外務省で出世するためには、「日米同盟」推進派でないとだめだと言われていることに納得する。
一方、国家の大きな安全保障戦略は、経済力・技術力・自給力や国内の安定などのほか、軍事力と外交力が大事と言われる。
集団的自衛権行使や敵基地攻撃能力は、軍事面のことである。これが防衛省出身のNSS局長ならわかるけど、外務省出身の局長なら、外交面で力を発揮してもらいたいものだ。
外務省の組織を見ると、北米(米・加対象)が独立しているのに対して、対中国は、アジア太平洋の一部局である。
もっと対中国担当を強化しないとダメと思う。何せ日本の「同盟国」の米国は、中国を敵視し、抑え込む方向に舵を切っている。
あってほしくないと思うけど、米中軍事衝突があれば、安保法制・安保文書下の日本政府は、米国の戦争に参戦あるいは巻き込まれる可能性が極めて高い。
日本は米国追随ばかりでなく、中国とトラブらない・敵にならない外交をすべきである。米国一辺倒は、外交とは言わない。外交は、いろんな可能性に対処する、あるいは、他国を天秤にかけ、取引し、自国の安全利益を図るものと思う。
何せ中国は、隣国であるし、長い長い交渉の歴史を持つ。しかも現状、貿易量の最大相手国だ。なんといっっても、遠くない過去に、日本国が多大な加害を加えた国である。(戦争になれば同じことをやり返されるかも)
敵にならないためには、まずは、安保法制や安保文書の廃棄・無力化をすべきである。
そして、紛争の解決は、話し合いで行う・あるいは国際司法にゆだねるという再宣言をすべきである。
基本線は、日中平和友好条約の肉付けである。ちょうど日米安保条約を肉付けしてきたようにね。
遠くない将来、東アジアの覇権が米国から中国に移る可能性は高い。それに備えるべきである。
海上保安庁と中国海警局の意思疎通や海難事故に対する共同訓練などすべきであろう。
出来ればフィリッピンやインドネシア・オーストラリアも一緒に。
自衛隊と中国人民軍の交流ももっともっと進めるべきである。
抑止力とは、決して強大な軍事力ばかりではない。