書評
『自転しながら公転する』(新潮社)
ゆっくり答えに向かう女性たちの等身大の姿を描く
「来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから」尾崎紅葉の小説『金色夜叉』、貧乏学生の貫一が、富豪との結婚を選んだ許嫁(いいなずけ)のお宮に投げつけた言葉。名科白(せりふ)を思い出したのは、長編小説『自転しながら公転する』の主人公が「貫一・おみや」だったから。結婚、仕事、親の介護……ふたりの恋愛は終始波乱ぶくみ。現代の「貫一・おみや」もやっぱり幸せになれないんだろうか。
直木賞作家・山本文緒じつに七年ぶりの作品は、五百ページ近い長さを一気に読ませるおもしろさ。登場人物の胸中を描く言葉のやりとりにしても、巧緻な会話劇さながら。カンテラの灯をかざすかのように、それぞれの心の襞(ひだ)の奥を細やかに照らしだす。
三十二歳の都が、東京から実家に戻ってきた。体調を崩した母のケアを父だけに任せておけなくなったからだ。新たな勤め先は、都心から電車で一時間ほど、田畑と雑木林のなかに出来たアウトレットモールのアパレルショップ。もともと洋服は好きだが、自分の好みの服を扱う店ではない。恋愛にしても、押し切られる格好で付き合い始めた貫一は、同じモール内の回転寿司屋の従業員で、年下でヤンキーっぽい。付き合ううち、中卒で、介護施設に入所している認知症の父を世話していることもわかってくる。
「こうありたい自分」と「現実の自分」がとかくズレる。そのズレに対して焦燥感を抱く自分にも、都は苛立つ。誕生日に十万円近いネックレスを貫一から贈られ、うれしいのに、金銭の使い方に憤ったり。ものを見る目がぐらついて優柔不断なのは、中途半端な年齢のせいなのか、「幼稚」で自信がないからなのか、そこも判然としない。
たまに集まる女友だちのガールズトークには、三十代の女性の言葉があふれ、共感を呼ぶ。不安定な恋愛を受け容れているそよかの本音。
「自分の人生を思い通りにするために、パートナーを物みたいに条件で選んでるじゃないですか。たとえばカーテンを買うみたいに、これは安いけどペラペラで、あれは遮光性があるけど高くって、一番コスパがいいのはどれかしらって」
「都さんが持っている不安は、貫一さんの将来じゃなくて、自分への不安じゃないですか」
恋愛も結婚も仕事も、けっきょくは自分はどう生きたいかという問いに行き着く――都はゆっくりと気づいてゆくのだが、彼女の迷いを受け容れ、性急さを避けながら人間的な成長に寄り添うところに、本作の魅力がある。勤務するショップでの人間関係の齟齬、店長の不倫、セクハラ。動揺しながらも、都は難題から逃げはしない。
歩みを急がせず、正解をあてがわない。男女のすれ違い、あるいは隔たりを、小説家はおどろくべき包容力でもって描いてゆく。その視線は、著者の人間洞察の深さによるものだ。また、物語の骨格を支える都の父母世代の生き方にも、あらたな問題提起を投げかけている。
「自転しながら公転する」。タイトルが表す意味を、主人公の都ともども咀嚼してゆく小説体験。プロローグとエピローグは小説の試みとしてとても刺激的だが、小説を読む愉楽のために、ここに書くわけにはいかない。