プリンス(Prince)と同じステージで「Purple Rain」を演奏している時、突然、プリンス本人から自分の代わりにギターソロを弾けと指示された時、そのギタリストはどんな気持ちなのか? 実際にその驚くべき瞬間を経験した
3RDEYEGIRLの
ドナ・グランティス(Donna Grantis)がCBCニュースの新しいインタビューの中で当時を振り返っています。
3RDEYEGIRLはプリンスが晩年にバックアップしたガールズ・バンドで、グランティスは
ニュー・パワー・ジェネレーション(New Power Generation)にも参加しました。
グランティスはプリンスと出会う前は即興のフュージョン・サウンドを探求する活動を行っていました。ペイズリー・パークでジャムセッションをしないかとの連絡を受けたグランティスは、もちろんイエスと答え、準備する曲の候補リストを受け取りました。これには「Purple Rain」も含まれていました。しかし、その後すぐに仕事の話が舞い込んだわけではなかったという。
「最初のジャムセッションの後、また別の曲のリストを渡されました。翌日、それらの曲を練習した後、さらに別の曲を渡され、どんどん増えていき、気がつけばレパートリーができていました」
それでも、グランティスは何が起こっているのかよくわかっていませんでした。曲は録音され、さまざまなソーシャルメディアで予告が流された後、3RDEYEGIRLが正式にものになったのはテレビ番組に出演したときでした。その後の展開は目まぐるしく、3RDEYEGIRLはツアーに出かけ、予定されたライヴを行いましたが、その中にはバンドが直前に知ったライヴもあったという。
「私たちは英国でHit and Runツアーをしていました。冗談ではなく、私たちよりも先にコンサートがあることに気付いたファンのツイートを見て、コンサートがあることを知ったことがありました(笑)」
3RDEYEGIRLはアルバム『Plectrumelectrum』をリリースし、ライヴではプリンスのヒット曲の多くをよりロック調にアレンジしました。「Purple Rain」のソロはほとんど変わらないもので、もちろん、プリンスがそれを演奏することは常に予想されていました。しかし、グランティスの故郷トロントでのコンサートで、彼女は人生で最も驚くべき瞬間を迎えました。
「本当に驚きました。3番目のサビの後、彼は“in the purple ...”と歌い、そして私を指さしたのです。それがソロを演奏する合図でした。本当に特別な瞬間だと感じました。故郷の観客の前で演奏するチャンスを貰えたことは、ギフトだと思っています」
「ギフト」という表現は1つの言い方で、多くの人にとっては、そのような状況に置かれることは「絶対に恐ろしい」ことだと思われますが、グランティスは指名を受けたとき、どう感じたのでしょうか?
「その瞬間、つまり、どうするかってことよね?(笑)もう飛び込んで、全力でやるしかない。とてもスリルがあり、とても名誉なことでした。彼がいる中で(Purple Rainの)ソロを演奏したのは(バンド結成前の)2012年11月に行った最初のジャムセッション以来だった。いつもは彼がまさにプリンスらしい演奏をしていた。でも、その瞬間は、そんなことを考えている余裕なんてない。2秒くらいしかないから、オーバードライブペダルを踏んで、フランジャーを加えて、すぐに飛び込まなきゃいけなかった」
公演後、「私の記憶が正しければ、卓球の社交クラブに行ったと思います」という。プリンスは卓球の大ファンだったそうです。
「私は彼に“わあ、なんて素晴らしい贈り物でしょう。その機会をくださってありがとうございます”と言いました」
彼の返事は?「彼はうなずいて微笑んだだけです」とグランティスは話しています。
プリンスはもういませんが、グランティスは「彼は私の良き指導者でした」と話し、プリンスがグランティスに与えた影響は今も残っています。