『シリウスのツリー』by KAGAYAさん↓
津軽北斗七星結界めぐり③
北斗七星の形をした結界のひとつ『大星神社』を後にした私たちが、次に目指したのは『浪岡八幡宮』です。
その日(10月20日)青森は17度くらいで、ひと足早く冬を体験していました。
🔵『浪岡八幡宮』↓
平安時代初期に征夷大将軍・坂上田村麻呂が創建したと伝えられている神社です。
伝承によると田村麻呂が蝦夷討伐で当地まで進軍した際、思いもよらず苦戦し、戦勝祈願と国家安寧の為に大分県の宇佐八幡宮の神霊を当地に勧請し行岳蒐狭大神宮と称したのが始まりとされます。
貞観7年(865)に修築が行われ、室町時代に入ると浪岡城の城主北畠氏から信仰されました。
また、江戸時代には弘前藩主である津軽家の祈願所となっていました。
8月15日の例大祭では、子どもが健やかに成長することを願って泣き相撲大会が行われているそうです。
赤ちゃんが泣き比べをし、先に泣くか泣き声が大きい方が勝ちという珍しい行事なのだそうです。
後ろ姿がかわいい↓
そして、その次に訪れた3つ目の神社は『猿賀神社』。
🟢『猿賀神社』↓
こちらは、蝦夷征伐のため北上した坂上田村麿が、「神蛇宮」として建立したと伝えられています。
蝦夷討伐の将で仁徳天皇55年(367年)に伊峙水門(いしのみと)で敗死し、後に大蛇の姿になって蝦夷を平定したとされる上毛野君田道命(かみつけののきみ たじのみこと)を主祭神とし、保食神を相殿に祀っています。
社伝によれば、敗死した田道命は従者によって埋葬され、後に蝦夷がその墓を暴いたところ、田道命の遺体が大蛇と化して毒氣を吐いたので、人々が恐れて現在地西方の猿賀野に祀ったと伝えられています。
実際には、坂上田村麻呂も、蝦夷討伐の際に苦戦を強いられていたところ、田道の神霊に導かれて、大勝することが出来たということから、延暦12年(793年)に、現在の地に祠を建てたと言われ、具体的には、これを起源と伝えています。
欽明天皇28年(567年)に、当地で洪水が起こり、その際に、田道の神霊が白馬にまたがり流木を舟にして流れ乗り、現在の地に遷座したとも伝えられています。
『猿賀神社』は、和蓮の群生地としても有名です。
『胸肩神社』の鳥居と『神橋』↓
『鏡ヶ池』にはたくさんの蓮の葉が↓
蓮の花がなくても圧巻の風景でした!
胸肩神社(弁天宮)↓
『鏡ヶ池』内の中島に鎮座し、市杵島姫命を祀っています。
日吉神社↓
胸肩神社のそばに鎮座。事代主神を祀っています。
飛んでいるのは鴨かも😊
青森は、少し紅葉していました。
水天宮↓
そして、4カ所目は『熊野奥照神社』。
●『熊野奥照神社』↓
1613年に創建され、坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の際に参拝したともいわれています。
鎌倉時代の建築手法が見られる社殿は、本州の北端で保存されている例は珍しく、国重要文化財に指定されています。
そして、次に目指すは、『神社100選』と『北斗七星結界』のダブルで重要な場所である『岩木山神社』なのでした!
『津軽富士』とも呼ばれる『岩木山』↓
早くお近くに行きたいです!