ども、名人です。
今日の東京の空も晴れ間が広がっていますが、地平線に近くなると霞が掛かった様に見えます。
気温はちょっと低いですけども、来週半ばからは春の陽気になるかもしれないとの事ですので、さらに梅などの開花に弾みが付くかもしれません。
さて、今日は朝からブログネタを考えていたんですが、何も思いつきません(汗
なので、先日の「バンゲリングベイ」に、多数の閲覧が有ったのでもう少し書いてみたいと思います。
皆さんもご存じの様に、「バンゲリングベイ」は、「ロードランナー」ともうひとつのタイトル「チョップリフター」との3作品で、「バンゲリングベイ三部作」と呼ばれています。
米国でパソコン用として発売されましたが、その発売順は
1982年 チョップリフター
1983年 ロードランナー
1984年 バンゲリングベイ
となっています。
ハドソンとしては、最初に選ぶ対象だったのが、「チョップリフター」と「ロードランナー」だったのですが、その2つのタイトルとしては、ファミコンに有ったアクション系がより楽しそうだという事で「ロードランナー」を選びました。
そして、計画の中では「チョップリフター」も発売する予定だったんです。
ただ、先日も書いた様に、「バンゲリングベイ」の人気が余りにも悲惨だった事も有って、「チョップリフター」の製品化は流れてしまったんです。
しかし、人気が無かったとはいえ「バンゲリングベイ」も70万本ほど売れているんです。
70万本売れていても、不評な意見が多かったですからね、たぶんそのままの状況で「チョップリフター」を出していても良い結果は出ていなかったのではないかと思いますので、製品化しない事は良い判断だったと思います。
さて、ちょっと話は変わりますが、発売日が2月だったので逆算すると11月にマスターを入れた事になります。
1984年11月だと、このバンゲリングベイを製作した菊田さんは札幌で仕事をしていました。
しかし、マスターを入れる直前に東京に出張して来たんです。そして、マスターを入れる2日前くらいに東京支店の全員がいる前でデモプレイが行われました。
1984年の当時は麹町に事務所が有った時です。その翌年の1985年5月に市ヶ谷に引越ししています。
そのデモプレイが終わった時に、「まだ少しのメモリーが残っているから、何か入れられるアイデアを出せ」という時間が設けられました。
そこで様々なアイデアが出たのですが、そのアイデアひとつひとつに菊田さんが、「それはメモリーが足りない」とか「それは直ぐに出来る」という解答を行っていったのです。
そして、そのアイデアの中で2つが採用される事になりました。
そのひとつが、
・危険な状況になった時、画面全体を赤く点滅して緊迫感を演出する。
そして、もうひとつが
・せっかく2コンに付いているマイクを使った時に、敵戦闘機がやってくる。
というアイデアでした。
私の記憶の中に残っている会話では、両方を入れても数十バイトだったと思います。
それくらいに当時のメモリーは逼迫していたんですが、その中でもこの2件のアイデアが採用されたのは素晴らしいですが、中でもインパクトの有ったのは「マイク」を使った事でしょう。
まぁ、このマイクは音声認識などは無いので、どんな音でも良かったのですが、そこで当時の宣伝部の責任者だった大里さんが「ハドソンと言わせよう」と言ったのです。
なんでも、「ロードランナー」は売れたけど、まだハドソンの名前は知られていないから、店頭や自宅などで「ハドソン」と連呼してくれれば覚えてくれるだろう。という事だったのです。もちろん反対するスタッフはいませんでした。
ただ、これを大々的に宣伝する事は止めて
「マイクに向かってハドソンと叫ぶと何かが起こる」と言う事だけを紹介する事になりました。
この結果は素晴らしかったですね。
皆さんの中にはノドが枯れた方もいるかもしれませんが、ホントごめんなさい。
では、今日も一日楽しみましょう!