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2006年11月14日の日記

2006-11-14

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俺の周りはブログだから

俺の周りはブロガーばかり

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俺の周りは注目エントリー

増田は巨大な脳髄

マスダ・アノニーとマスダ・イオリ

匿名じゃないはてな匿名ダイアリー

があっても良い気がしてきた。つまり、はてフォーラムとかはて交換日記とかそんな感じ。

[] <増田パワー 注入!!

前回までのあらすじ

増田で何か書いて、その記事が外部で評価される。記事を書いた人間には報酬としてはてブへのエントリートラックバックが与えられる。そして、増田全体としては秀逸なまたは奇抜な記事が外部で取り上げられることにより増田存在が外部へアピールされる。

増田では個人としてのアルファブロガーは生まれ得ないが、増田親衛隊(熱狂的な増田利用者)や増田民(一般的な増田利用者)が増田パワー(記事)を注入することによって、増田は一個の人格を持った存在として動き出すのであった。

http://anond.hatelabo.jp/20061114134124

「ちょっと頑張ってまじめな日記書いたけどそもそも誰も読んでないダイアリーだからこっちに書きゃよかった」と書きにきたのに既に書かれていた。

http://anond.hatelabo.jp/20061114132139

 ふと思ったんだが、はてなの最果てで細々と「ブクマがどーのこーの」言うより、ここで書いた方がよっぽど見られるよな。

 何か、言いたいことがあるけれど、自分のはてだがあまり読まれていない人は、ここでちょろっと言って、カミングアウトするのってどーよ

http://anond.hatelabo.jp/20061114132139

 嬉しいんだけど意外と書くことないんだよな…。

[] <ブログにしみつく個性とそれがない増田の良さ

ブログって良くも悪くも続けてると書き手の思考や嗜好パターンが蓄積されていったり文体が固定化したりして、キャラが立ってくるじゃん。

読者が増えたり、知り合いにばれたりすると、誰かに強制されているわけではないんだけど、もう自分がその場所で書けることがどんどん限定されていってる気がしてくるんだよね、セルフメンタルブロックって言うか。で、書きたいことと書けることの距離がどんどん離れていく。

増田のいいところは、そういったしがらみがなくて、自分がそのとき書きたいことを何の脈絡もなく書けるとこ。

ハンドルネームを使うことであわよくば手に入るはずであったウェブ上での名声は得られないけれど、自分が言いたいことをまじりっけなしで見てもらえる増田はライティングジムとしては最適です。

[]Wiiが誇ってるらしい新しいインタラクションなんて、所詮は団塊の世代的飲みニュケーションに過ぎない

面白いことに、映画が好きだといいながら、出てくる人物の顔すら識別できないひとがけっこういる。たとえば、侯孝賢の『悲情城市』(1989)を見て、人物関係がわかりにくいというひとがいます。あれは何の役だったっけって聞かれて不意に驚くということがありますが、侯孝賢の場合は、顔を見ていれば、間違いっこない。勿論、そのように演出されている場合とそうでない場合があるわけです。よく挙げる例ですけれど、スピルバーグの『プライベート・ライアン』(1998)の墓地に出てくる顔は、みんな忘れちゃっていい顔でしょう。どれひとつとして、その顔を憶えていなければその後のフィルムの流れにすがりつけないという記号ではなく、どれも忘れてしまっていい。これはスピルバーグに対してどうしても最後まで残ってしまう私の疑問なんです。つまり、シナリオ通りにその画面を撮ったけれども、あそこに出ているひとで憶えなければならない顔がまったくない。だから、あの場面はほとんど見る必要がなく、劇的状況を理解すればそれでよい。しかし、そうした場面を演出することに、むなしさはないだろうかという疑念が最後までまといついて離れません。

flowerwild.net ?? 蓮實重彦インタビュー──リアルタイム批評のすすめvol.1

○○○○○○と××××××の会話。

[22:01:38] ○○○○○○の発言: http://www.youtube.com/watch?v=5KY15m7-eOg

[22:01:58] ○○○○○○の発言: Wii進化かはたま地雷

[22:02:11] ××××××の発言: まぁいいんじゃない

[22:02:13] ××××××の発言: 興味ないけど

[22:02:27] ××××××の発言: これ

[22:02:29] ××××××の発言: 蓮實だよ

[22:02:40] ○○○○○○の発言: ん?

[22:02:43] ××××××の発言: さっき引用したじゃん

[22:02:50] ××××××の発言: これがスピルバーグなんだよ

[22:02:56] ××××××の発言: あと、DSタッチペンもそう

[22:03:07] ××××××の発言: こんなの銃じゃないじゃん

[22:03:15] ××××××の発言: つまり、スポーツニュースといっしょなんだよ。スポーツそのものを観ずに、スポーツニュースで結果だけ観てスポーツを観たと思いこんでるのと同じ

[22:03:19] ××××××の発言: こんなのゲームじゃない

[22:03:32] ××××××の発言: ゲームをやってる俺、という感覚とたわむれてるだけ

[22:03:41] ××××××の発言: つまり、蓮實だよ

[22:03:46] ××××××の発言: だから蓮實はえらいんだよ。

[22:04:05] ××××××の発言: ゲームって、たとえば十字キーとA・Bボタンという、およそリアルからかけ離れたインタフェイスに自覚的であることが基礎じゃんすか。それが、いまや調子にのって、棒っきれをふりまわすことが「リアル」だとでも思ってんの?バカじゃね

[22:04:09] ○○○○○○の発言: ハスミン

[22:04:16] ××××××の発言: あれで銃だとおもいこまないといけないわけじゃん。でも銃じゃないじゃん

[22:04:18] ××××××の発言: それって

[22:04:22] ××××××の発言: 飲ミニュケーションだよ

[22:04:36] ××××××の発言: つまり「たまにはバカにならないといかんよ!ガハハ

[22:04:38] ××××××の発言: ってことだよ

[22:04:42] ××××××の発言: ほんと無意味

[22:04:43] ○○○○○○の発言: いやゲームだよ

[22:04:58] ××××××の発言: そんなの団塊の世代とかで十分だよ!!

その誰かさんとやらは知らんけど

http://anond.hatelabo.jp/20061114091656

マルコフモデル統計取って最尤推定法とかで調べればいんじゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20061114115902

と書いてみて気づいたが,「みんなの前で実験する」メソッドで暴走するのは,資本主義でも社会主義でも同じだな.

科学技術とのタッグを組んで大量生産と世界制覇を目指す思想というのは,総称して何と言えばいいんだろう.

科学技術資本主義

誰でも実験できて,大量生産・大量試験できて,状況さえ整えれば誰でも扱えるような技術が,世の中に広まる⇒ゆえに正しい,とされるのは,科学技術の性質であると同時に資本主義の性質でもあるなあと思う.だから「みんなの前で実験してみろ!」という立場は,科学技術的な立場であると同時に資本主義的な立場でもあるのだろう.

逆に,資本主義でなくて区切られた世界であれば,例えばソ連でルイセンコ主義なんていう似非科学流行ったように,万人が実験できるわけではないことでも広まってしまったりする.別段,その(科学技術で,安価大量生産して世界制覇してやるという考えでないのならば,ヤマギ○ズムでも大躍進政策でもご自由に,ということになる.まあ,ルイセンコ主義や大躍進政策の場合は,(数百万人,数千万人の)「みんな」の前で実験してみて,それでも暫くは誤りを認めなかった場合の,反面教師としても重要な事例なのだけれど.ただ,それらは世界中の人を納得させるには至らなかったわけだ.

科学技術資本主義コンボは,「みんなの前で実験する」ことを行動原理として,「正しさ」を生産してきた.もちろんそれは効率のいいやり方で,だからその方法論は今後も力を持ち続けるだろうと思う.ただ問題なのは,サリドマイド禍のように,「みんなの前で実験する」ことが結果として非常にリスキーなことになってしまう場合だ.そういう危険性あるよという意味では,「みんなの前で実験する」メソッドには,弱点が確かにあるとは思う.

[] "STUDIO VOICE" vol.372 DECEMBER 2006 p.35より

――90年代を通して聴いた音楽は?

「90年代は勝ってても全部売っちゃってる。90年代に抜けの悪かったものは、今興味の対象としてあるかも。そういえば90年代以降のメルツバウに何かあるんじゃないかという気がする。完全に訳の分からないものになってるじゃない。いつまで続くんだろうと思うと、もう我慢だよね。表現の戦いは続くんだなあと思って。要するに趣味じゃないんだよ。趣味というのは、完全に経済活動の中に取り込まれてるわけでしょう。メルツバウは趣味じゃないでしょ。『どういう感覚でこれが良いと思うんですか?』ということでしょ。それは批判じゃないよ。戦いなんだよ。趣味に走るひとは状況に興味がない人。状況からほど遠いのはオタクなんだよ、やっぱり」

――90年代はオタク=趣味の時代でした?

「趣味の時代だった。80年代はまだ風俗が、アニメ以外は趣味じゃないものとして成立してたんだよ。90年代はそれが消費活動としての趣味に確立されたんだけど、それをぶち壊すときですよ。僕はそのつもりですよ。趣味が何なのかもうわからないじゃないですか」

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生温い

 この時期の南風の強風って気持ち悪いなあ。

[]スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』(中央公論新社・刊、村上春樹翻訳ライブラリー)p247より

僕は三十歳になっていた。目の前にはこれからの十年間が、不穏な道としてまがまがしく延びていた。

(中略)

三十歳――それが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。熱情を詰めた書類カバンは次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう。でも僕の隣にはジョーダンがいる。この女はデイジーとは違い、ずっと昔に忘れられた夢を、時代が変わってもひきずりまわすような愚かしい真似はするまい。車が暗い端を渡るとき、彼女はいかにもくたびれた様子で僕の上着の肩に顔をこっそり寄せた。そして誘いかけるように手を押しつけてきたとき、三十歳になったことの暗い衝撃は、僕の心から遠のき霞んでいった。

[ISBN:4124035047]

http://q.hatena.ne.jp/1163434318

  • 能力を「像」によって表現した→視覚性
  • 戦いに駆け引きを導入した→戦略性
  • 能力に複雑な条件を持たせた→多様性

ちょっとメモ

本物じゃないかな、と思った

http://anond.hatelabo.jp/20061114081225

あしあとついてるし。

あ、ごめん。

こういうこと書くのは無粋だね。

以降は気をつけることにするよ。

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