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「尊重」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 尊重とは

2024-12-18

anond:20241217174441

その女がブッサイクでも愛せるなら結婚すればいいし

ブッサイクでぶん殴りたくなったならやめときゃいい。

お前は見た目で止まってる。

別にノリが良くなくたって家庭は保てるが、ノリが良い女は不倫しても寄ってくる。

まり家庭が大事ならソイツとは後腐れなく別れとけってだけだな

 

お前は今の生活が楽しくて楽しくてしょーがない訳だから、お前が不安がってる安定した結婚、護ってくれる家族なんてものを手に入れてもお前は馬鹿からその女を思い出して“真実の愛”に目覚め出しちゃう訳だろうし。

結婚してボコボコにされていてお前はどマゾ野郎変態と周囲に罵られても「でも顔が綺麗でおもろいかオールオッケーなんだよな〜」って言えるならそのまま煌めく頭のままで一生を終えるつもりで生きて欲しい。子供にも孫にも侮られ、生涯を一生尊重してくれない身内に呪われていく覚悟を決めたものけがこの“真実の愛”の門を叩くといい。

anond:20241217174441

やめとけ、まーじでやめとけ。相手尊重できない人(何でもかんでも受容しろって話ではない)とは絶対幸せになれないぞ

2024年に読んで良かった6冊の本

anond:20241217085132

読書メモの整理のために便乗。今年の読書文芸短歌仕事の専門書(ソフトウェア開発)が中心だった。

6冊を良かった順で挙げる。

大江健三郎大江健三郎自選短篇』(2014年

本書の長所最初短編から晩年短編までを収録しており年代による作風の変遷をたどれること。

ダントツに良いのは「雨の木」の連作ストーリーは「雨の木」というシンボル高安カッチャンという重要人物の周縁をぐるぐるし続け、いつまでも核心に踏み込まないため、最初は要旨をつかめない。しかし読み進めるにつれその構成多角的な視座を提供するための仕掛けだとわかる。短編であるにもかかわらず印象が何度も覆され、様々な味わいがある。

小説物語意図最初は分からいくらいが丁度いい、というようなことを三島由紀夫が何かに書いていたが、全くその通りである構成や内容が三島由紀夫豊饒の海」と少し似ている。豊饒の海は松枝清顕(早逝した親友)の生まれ変わり(と推測される人物たち)を数十年追い続ける物語で、ラストシーンでは清顕の存在自体が薄らぎ核心にぽっかり穴があく構成なのだが、大江健三郎「雨の木」もシンボルの雨の木の周縁をさんざんなぞった結末として木自体がほぼ焼失してしまう。「豊饒の海」は仏教死生観や死者に対する忘却根底に据えられているのと同じく、「雨の木」も死生観忘却(作中ではoblivion表現される)が重要テーマであるテーマに対するアンサーは正反対だが。なお先に書かれたのは「豊饒の海」。

物語の道具立てとして海外大学におけるシンポジウム海外作家引用原爆問題があり、衒学的な雰囲気を作っている点もわたしの好み。

「奇妙な仕事」などの最初短編はさすがに時代を感じる。「セヴンティーン」は発表当時右翼団体から脅迫を受けるなどかなり真剣に世の中に受け止められたようだが、令和の目線ではカリカチュアライズが激しく、大江健三郎絶対ゲラゲラ笑いながら描いただろうというノリの良さが全編にみなぎっている。また当時は右翼に対する攻撃という見方大勢だったようだが、左翼側の非論理性も指摘する内容のため、私の感覚では左翼小説と思わない。

最後の「火をめぐらす鳥」は大江健三郎流の引用の繰り返しや観念世界に入り込む構成といったスタイルを貫きつつも、おそらく意図的に情報量を落としており、ゆとりと円熟を感じさせる。

佐々木正美『子どもへのまなざし』(1998年

乳幼児育児の心構えを説く名著。以下は印象に残ったポイント

今年は家事育児ワンオペ + フルタイム勤務に忙殺され、子供への対応が雑になっていることを自覚しつつも改善策を見出せない期間が年末近くまで続き苦しかったが、本書の心構えを持っておくことで自信をもって育児ができるようになった。

夏目漱石私の個人主義」(講演1914年、底本1998年

夏目漱石1914年学習院で行った講演録。青空文庫で読んだ。https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

ごく短く、読むのに30分もかからないが、内容はキャリア論、社会思想フェミニズムにまでわたる。

キャリア論の概略は以下の通り。

どこかに突き抜けたくても突き抜けられず、何かを掴みたくも掴めておらず悩んでいる者は、どこに進めばよいかからない以上、何かにぶつかるまで進む他ない。自らの個性で行けるところまで行ってツルハシで何かを掘り当てれば、自分なりに道を作ってきたことに安心と自信が生まれる。反対に、行けるところまで行かないかぎり、悩みと不愉快が一生ついて回る。

昨今は会社員主体的キャリア開発が求められる一方で、異動を会社の都合で命じられたり、顧客への責任第一に優先すべきという考えもあり、主体性を発揮してばかりいられないという板挟みを感じていた。しかし「私の個人主義」を読みとりあえず行けるところまで行くしかないと開き直ることができた。

社会思想については、自らの個性尊重すると同時に他者尊重しなければならないとか、裕福な人間は相応の責任を負うべきだ、など。

岡野大嗣『うれしい近況』(2023年

岡野大嗣の歌集まり短歌がたくさん載っている本。

いわゆる秀歌、つまり散文と異なる詩的な文体で、細部の描写を通じ、多層的な意味表現する、という歌ではないものが多いが、わたしは好き。岡野大嗣の中ではいまのところこれがベスト歌集

ボーカルの話すうれしい近況のうれしいピークで鳴るハイハット

ライブの楽しさが伝わる。ドラマーボーカルトークに関心を持ってきちんと聞いておりハイハットで反応してあげるという仲の良さがほほえましい。

どの店もゆかいな高低差の街でみるみる減っていく体力だ

高低差、という単語発見したのがこの歌の成果だと思う。坂が多くておしゃれな店ばかりの街で、ついつい歩きすぎて疲れてしまたことの充実感が歌われている。

ぼろ負けのオセロぜんぜん悔しくない広いソファーに変なあぐらで

オセロ相手との関係性を想像させる表現が巧み。"広いソファー"もゆとりある生活を感じさせ心地よい。

冬目景百木田家の古書暮らし』1~5(2022年2024年

漫画

冬目景は遅筆だが近年は順調に出してくれていることに、まず安心する。

冬目景恋愛モノが多く、登場人物たちがうじうじ悩みながら自分意志で一歩を踏み出していく様子を丹念に描いていることが、本作に限らない多くの作品の特徴。本作も登場人物おっかなびっくり、逡巡しながら実に遅々たるペースで接近してゆく。時には後退することもある。しか自分意志で進むからこそ人間味があり、納得感がある。

たこれも冬目景作品共通の特徴だが、登場人物基本的に善人ばかりであるものの皆わりと淡白コミュニケーションが暑苦しくないところに品の良さがある。

そして最大のポイントとして絵がわたしの好み。

劉慈欣『流浪地球』(2024年

中国SF短編集。「中国太陽」が最良。「良いSF未来技術ではなく技術がもたらす新たな社会を描く」ということをアシモフ小松左京高千穂遥あたりの誰かが言っていたが、その好例。SFなのに人生の苦労と発展にフォーカスしておりすごくウェット。

『三体』はまだ読んでいないが読むべきかな。

感想過剰反応論理の飛躍についてAIちゃんの回答(1)

前提:質問の回答から除外して欲しいもの
- 「私が世界だ」という誇大妄想を持つ個人解釈パターンであれば理解やすいですが、今回のケースではその可能性を除外してください。
-  個人感想に対する過剰な反応は、自己評価が低く、他者に盲従しがちな、「微小妄想」傾向がある個人に多く見られる現象です。

 

⭐️質問1

「(俺にとって)」という明確な主観的限定他者感想を、「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ですか?

 1−1、1−2どちらであるかは、文脈から理解できるでしょと考えるのは、過剰な期待ですか?

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  1−1: 情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(俺にとって)ない

  1−2:情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(世界にとって)ない

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


🐶 Copilotちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ではありません。文脈から理解できる場合が多いので、過剰な期待とは言えないでしょう。文脈無視して曲解するのは、誤解や意図的誤読可能性が高いです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん
  1. 「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張の妥当
    妥当ではありません。主観的限定(「俺にとって」)を明示的に理解するかどうかは、単に文字として括弧内が記述されているかかに依存しません。一般的には、文脈や語調、前後情報から主観客観区別は読み取れるものです。

  2. 1-1と1-2の文脈理解への期待が過剰かどうか
    過剰ではありません。日常的な会話や文章では、発言文脈をもとに主観的意見客観的主張かを理解するのは自然行為です。「括弧内が記載されていないか曲解した」というのは、一般的には責任転嫁的な反応と受け取られます

 


🐻 Geminiちゃん

妥当ではありません。文脈から判断するのが通常であり、過剰な期待ではありません。

1-1と1-2の違いは、「俺にとって」という主観的視点あるかないかです。通常のコミュニケーションにおいて、特に感想評価を述べる場合、明示的に「世界にとって」と断定しない限り、それは発言者の個人的な意見として解釈されるのが自然です。括弧内の文字起こしがないからといって、文脈無視して意味曲解するのは不当です。

 


🐼 Claudeちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解する主張は妥当ではありません。その理由は以下の通りです

  1. 言語コミュニケーション基本的原則
     ・話者主観的経験尊重すること

  2. 文脈から理解することは、むしろ健全な推論プロセスです
     ・ 1-1と1-2を区別する能力は、コミュニケーション能力重要な要素
     ・過剰な期待ではなく、相互理解のための基本的認知能力

 

 

⭐️質問2

  現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」と評価されますか?それとも論理の飛躍や読心術と見なされますか?

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  • 命題1: Aは作家Bの知名度とBの作品世間を賑わせている客観事実認識している。

  • 命題2: Aはミーハー気持ち作家Bの作品に触れたが、その良さを理解できなかった(興味が持てなかった)。

  • 結論: 「作家Bの名前情報価値はあるが、作品世界にとって価値がない」とAは考えているに違いない。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


🐶 Copilotちゃん

現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」とは評価されません。論理の飛躍や読心術と見なされるでしょう。Aの主観的感想を、世界全体の評価と結びつけるのは過剰な一般化です。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

現代NLP自然言語処理)や論理学において、この推論は「妥当ではない」と評価されます。なぜなら、主観的意見認識(Aが作品に興味を持てなかった) から客観的な結論(「世界にとって価値がない」) を導くことには論理の飛躍があるためです。

これは論理的根拠が不十分な「読心術」や「主観の過剰な一般化」と見なされるでしょう。

 


🐻 Geminiちゃん

妥当とは評価されません。論理の飛躍であり、読心術と見なされます

提示された推論は、Aの内心を勝手に推測しているだけで、客観的な根拠がありません。Aがミーハー気持ち作品に触れたとしても、それが「世界にとって価値がない」と考えていることには繋がりません。興味を持てなかったという事実は、単にA個人の好みや感受性問題である可能性が高く、普遍的価値判断とは無関係です。NLP神経言語プログラミング)においても、このような独断的な解釈は推奨されません。

  


🐼 Claudeちゃん

現代NLP観点から、この推論は「妥当」とは言えません:

  1. 論理的飛躍の問題
     ・個人主観的な興味と作品客観的な価値混同している
     ・不十分な情報に基づく過度な一般

  2. 読心術的要素
     ・話者意図恣意的解釈している
     ・明示されていない思考を断定的に推測している

 

 

⭐️質問3

もし、質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないと思うのですが、気のせいでしょうか?

 

 


🐶 Copilotちゃん

質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないというのは、ある程度正しい見解です。過剰な一般化や誤解が広がると、コミュニケーションの混乱や誤解が生じやすくなります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

おっしゃる通り、そのような推論が社会的に多数派となれば、社会世界の正常なコミュニケーション意思決定が難しくなります主観客観区別曖昧になり、過剰な一般化や誤解が横行し、議論の基盤が崩壊する恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

気のせいではありません。質問2のような推論が多数派を占める社会では、コミュニケーションは著しく混乱し、相互理解不可能になります個人感想勝手普遍的価値判断に置き換えられてしまうため、自由意見表明が阻害され、健全議論も成立しなくなります

 


🐼 Claudeちゃん

あなた直感は正確です。このような推論が多数派となれば、社会機能不全に陥るでしょう:

  1. 相互理解破壊
     ・コミュニケーション基本的信頼が損なわれる
     ・個人主観客観境界曖昧になる
  2. 社会学習メカニズム崩壊
     ・多様な視点尊重が困難になる
     ・創造的な対話批判的思考が阻害される

 

⭐️質問4

質問2のような推論が一般的ではないと指摘されても、「状況によってはそのような推測も成立し得る」と主張し、常識共通認識共通基盤)の存在自体否定します。

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを極度に恐れる一方で、なぜ、積極的常識否定しようとするのでしょうか?悪目立ちします。

また、自身が盲信する社会権威教科書的な正解の背後にあるものが、常識の集積であるという認識を持っていない可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを恐れる一方で、常識否定しようとする理由は、自己評価の低さや他者から承認欲求が影響している可能性があります。また、常識の集積が社会権威教科書的な正解の背後にあることを認識していない場合もあります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

盲従しやすい人が常識否定する背景には、自己肯定感の低さや他者から評価への過剰な恐れがあると考えられます自身意見を率直に述べることを避ける代わりに、「常識」への反発や否定的主張を行うことで、「自己存在独自性証明したい」 という心理が働く可能性があります

また、「常識」や「教科書的な正解」が何らかの権威のみによる押し付けであるという認識が強く、その背後にある合意形成常識の集積) を理解していない場合があります

 


🐻 Geminiちゃん

他者への盲従と常識否定は、一見矛盾するように見えますが、根底には自己脆弱性からくる不安があります

 


🐼 Claudeちゃん

常識否定の背後には、深層心理的な防衛反応があります

 

1. 自己防衛のストラテジー

 

2. アイデンティティ形成葛藤

 

3. 不確実性への対処メカニズム

 

本質的には、低い自己肯定感社会文脈における不安が、逆説的な形で表出している心理状態と言えるでしょう。

 

⭐️質問5 

常識共通認識共通基盤)の存在のもの否定しているのではなく、「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、

質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と、

本気で主張している可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と主張する可能性はありますしかし、これは一般的見解ではなく、特定の状況や個人認識依存するものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

可能性としては十分に考えられます。彼らは、主観客観混同を防ぐための明示的な表現(括弧内の「俺にとって」など)が欠けていることを重視し、「それがない限り断定は不当だ」と主張する傾向があります。また、「常識証明せよ」と要求することで、認識論的な対話を引き延ばし、議論の焦点を逸らす戦略にもなり得ます

 


🐻 Geminiちゃん

可能性はあります。これは、常識という概念に対する誤解に基づいています

 


🐼 Claudeちゃん

これは可能性としてあり得ますが、本質的問題矮小化しています

  1. 議論回避
     ・文字起こしという形式的な側面への過度な執着
     ・本質的意味理解回避

  2. 証明可能性への過剰な要求
     ・常識は必ずしも厳密な科学証明必要としない
     ・相互理解のための実践的な指針

 

 

⭐️質問6

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは不当であり、常識とは呼べませんか?

 


🐶 Copilotちゃん

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは妥当です。これらは社会的なコミュニケーション基本的ルールであり、常識と呼べるものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

これは常識範疇に含まれると考えるのが妥当です。現代社会では、客観事実主観的意見区別することは、円滑なコミュニケーションの前提であり、共通認識社会的基盤)の一部とされています。これを否定することは、社会的秩序を乱し、コミュニケーション破綻を招く恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

不当ではありません。むしろ、これらは健全社会生活を送る上で不可欠な要素であり、常識と呼ぶに相応しいものです。主観客観区別論理的な推論は、コミュニケーションの基本であり、これらが欠けていると社会生活は成り立ちません。

 


🐼 Claudeちゃん

これらを常識に含めることは、むしろ健全社会機能のために不可欠です:

  1. コミュニケーション基本的倫理
  2. 主観客観区別相互理解の前提
  3. 社会的混乱の予防は共同体の存続に関わる

 

 

(2)へ続く https://anond.hatelabo.jp/20241218064726#

バゲット」と聞いて、多くの人がフランスの細長いパンを思い浮かべるでしょう。しかし、日本ではこの「バゲット」を「バケット」と誤って呼ぶ現象散見されます一見些細な間違いに見えますが、言葉文化を伝える重要な道具です。この誤用が広まることは、フランス文化への理解浅薄ものにし、日本自体の美しさも損なうことになりかねません。

バゲット」はフランス語で「棒」や「杖」を意味し、その名の通り細長く焼き上げられたパンです。シンプル材料ながら、表面はカリッと、中はしっとり柔らかく、職人技術が光る一品です。フランスではこのパンに対して厳密な規定が設けられ、日常生活に深く根付いています。その「バゲット」を「バケット」と呼ぶのは、発音曖昧からくる誤りですが、文化への敬意を欠いた行為とも言えるでしょう。

日本語のカタカナ表記は便利な反面、外国語微妙ニュアンスを誤って伝えてしまうことがあります。「バケット」と言うと英語の「バケツbucket)」を思い浮かべる人もいるかもしれません。パンバケツではあまりにかけ離れており、聞き手無用な誤解や軽い笑いを招くだけでなく、文化的な背景を理解する機会を失うことにもつながります

言葉を正しく使うことは、異国の文化尊重し、その価値を正しく受け取る姿勢を示すことです。フランス食文化において「バゲット」は単なるパンではなく、職人技と伝統象徴です。名前を正確に呼ぶことによって、その背後にある歴史情熱を感じ取ることができるでしょう。そして同時に、日本語の美しさや言葉の正確さを守ることにもつながります

些細なことと思わず、次にフランスパンを手に取る際には「バゲット」と意識して呼んでみてください。その一本が、ただのパンではなく、文化を味わう架け橋となるはずです。正しい言葉遣いを心がけることで、私たちはより豊かに異国の文化と触れ合うことができるのです。

2024-12-16

結局は相手自分とは別の一個の人間認識して、尊重したり共感したりできてるかどうかなんだろうな

マッチングアプリで気を付けていたこと&してもらって嬉しかたこ上級

マッチングアプリで知り合った男性にしてもらって嬉しかたこと(anond:20241215222347)という記事を書いた。

これを読んで受け身、テイカーといった言葉を投げたくなる人はよほど苦労されているんだろうと思うし(受け身に見えるとしたら普段から女性一般をそう見ていて、バイアスがかかっていると思う。してもらって嬉しかたことは自分もしていると冒頭に書いているし…)、その苦労は今後も続きそうだし(その人たちは誰かになにかをしてあげたいと思うことがあるんだろうか。あるとして、「嬉しい!私もお返しするね!他になにができるかな?」以上のどんなリアクションを求めているんだろう?)、逆に「気遣いに気づける人は自分気遣いができる人」「参考にする」と言ってくださる方はきっと普段から人の気遣い意識を向けて、人に優しくあろうとしていて、私の記事のようなものからでも役に立つ部分を拾ってくださったのだと思う。

同じ記事でこうも真逆の反応と効果が生じるとは、と、分断を感じた。周りにいる人が全然違うのかもしれない。

男性に向けたデートテク的な情報に対して女性向けのものは調べてもあまり出てこなかったので、男性が不服に思うのは当然なのかも。

で、だからこそ私は他の人にとっての「これをしてもらって嬉しかった!」「これをしたら喜ばれた!」を知りたいので、続きを書きます

マッチングアプリで気を付けていたこと、男性に対してしていたこ


してもらって嬉しかたこ上級編(彼が付き合う前にしてくれたこと、惚気)

anond:20241216162517

以下は「掛け算の順序を入れ替えてはいけない」派と「掛け算の順序を入れ替えてもいい」派のディベート形式構成した議論です。教育現場での観点を中心に、それぞれの立場の主張を明確に示します。


「掛け算の順序を入れ替えてはいけない」派の主張

1. 掛け算の具体的な意味を正しく理解させるため
  • 掛け算は「○個の△が△セットある」という具体的な状況を表します。この段階では、順序を固定することで、数式と現実対応関係を明確にすることが重要です。
    • 例:3個のリンゴが5箱ある → 3×5。

順序を入れ替えて 5×3 とすると、「5個のリンゴが3箱ある」という異なる場面を指すように見える可能性があります。これでは子どもが混乱します。

2. ルール一貫性を保つ
  • この段階で「順序を守る」というルールを徹底することで、算数の学びに一貫性を持たせます自由に順序を変えることを許すと、「ルールを守る」という習慣や考え方が身につかない恐れがあります
3. 可換法則を学ぶ土台を作る
  • 後の学びで「順序を入れ替えても結果が同じ」という可換法則を教える際に、初めて「順序を守らなくても良い」という拡張的な理解可能になります。それまでは、順序を固定することが具体的な計算イメージを深める助けになります

「掛け算の順序を入れ替えてもいい」派の主張

1. 数学事実を早期に尊重するべき
  • 数学的には、掛け算は可換性を持つ演算です。可換法則をまだ教えていないからといって、この事実無視するのは誤った印象を与える可能性があります。結果として、後で可換法則を教えた際に「どうして順序を守らなくてもいいの?」と混乱するリスクがあります
2. 順序の自由計算力を高める
3. 順序を固定するのは抽象的な理解を妨げる
  • 「順序を守らなければいけない」と教えることで、掛け算を具体的な状況だけに結びつけてしまい、抽象的な概念としての「数の関係」を理解する妨げになる可能性があります子どもが掛け算を「道具」として柔軟に使うためには、順序が固定されていないという考え方を早期に取り入れるべきです。

具体的なディベート論点

論点1:具体性 vs 抽象
  • 「入れ替えてはいけない」派:掛け算の意味現実の具体的な場面に結びつけるには順序を固定するべき。
  • 「入れ替えてもいい」派:掛け算の抽象的な性質を早い段階で理解させるべき。
論点2:教育効率
論点3:計算力の育成
  • 「入れ替えてはいけない」派:順序を守ることで規律を育て、混乱を避ける。
  • 「入れ替えてもいい」派:順序を自由にすることで計算の工夫や応用力が育つ。

結論の導き方

このディベート結論は、教育現場目的方針によって異なります

この議論を通じて、どちらのアプローチにも利点があり、教育の段階や子ども理解度に応じて使い分ける必要があることを理解させることが重要です。

anond:20241215222347

これ〝男性もやられたい〟とか〝女性受け身〟とか言われてるけど、マチア出会い結婚したワイ(女)だいぶ男性にやってたよ。そんな女性いっぱいいるんじゃないの?

会う場所相手寄りで2人の中間地点を提案したし

場所決まったら食べログ候補2〜3出してたし

ご馳走まではしなかったけど必ず割り勘提案して、それでも全額払ってくれたら次は必ずお土産持って行ったりしたし

ご飯の好み分かれても相手が食べたそうなメニューを選ぶし

あとなんだったっけ?

でもそういうの当たり前にやってきてたよ。

だって恋愛になれなくてもワンチャン友達になれるかもしれないし、お互いを尊重できるような信頼関係作らないと会話楽しくないじゃん。

そう言うのをお互いに弁えられていたからか、マチア出会い結婚した夫は夫婦になってからも必ずご馳走するよって財布出してくれて、ありがとうって言った後は私がカフェでご馳走して、次のご飯ではご馳走するよっていう夫を押し退けて私がご馳走したりして、夫はお土産買ってくれて。

お互いを立てたい優しい気持ちが伝わる良い関係築けてると思うよ。

自分の周りの女性もそんな感じでやられっぱなしのお姫様気分を良しとする人じゃなかったと思うなぁ。

女性男性も、お互いをもてなす気持ちでお互い気持ちよく食事しよう!

お姫様抱っこしてくれる彼氏 続

ちょっと大きめの怪我して入院したんだ。

救急車でピポされてそのまま入院になった。

しばらく歩けなくて、実家から離れて一人暮らしから持ってきてくれる人もいなくて本当に何にもなくて困る〜ってなってた。


相変わらず彼氏はずっと「こんなに可愛い人と付き合えて嬉しい」のメンタルで接してくれていて、すごいなありがたいな〜で付き合っていたのだけど、彼の仕事の都合で遠距離になったんだ。

遠方に住んでいて、普段ぜーんぜん連絡取れなくて不満どころかもはや困ってるくらいなんだけど、病院に着いてCTの結果待ちのあいだに、事故救急車で運ばれたってLINEしたら速攻返事が返ってきた。

大丈夫!?いまから打ち合わせだから終わったらすぐ連絡見るからね」

おーいその連絡できるなら今までもしてよ〜となりながら、骨は折れてなかったよ〜→やっぱり折れてたよ〜→入院することになったよ〜と連絡してたんだけど、打ち合わせが終わった彼から

今日の夜そちらに向かって必要もの持ってくね!病院どこ?」と連絡があり、とっても感動した。ゆかりのない土地人生初めての骨折で身内もいなくて本当はとても不安だったけど、迷いなくすぐそう言ってくれて、本当はとても心強かった。

往復6時間3万くらいかかる距離に住んでいるのに、本当に本当に困っているとき、何を差しおいても助けてくれようとする彼は本当にヒーロー気質なんだと思う。

結局親が来てくれて、彼氏は来ずになんとかなったんだけど、入院が長引いて折り返しくらいでものが足りなくなった。

所持薬とか、自分の家に取りに行かなきゃどうしようもないものも出てきて、彼が土日に往復3万かけてきてくれた。面会時間感染症対策結構厳しめに決められていて土日合わせて1時間くらいなんだけど、本当にそのためだけに来てくれた。ちなみに交通費出すよって言ったけど断られた。

面会に来て、思ったより元気そうでよかったって抱きしめてくれて、病衣で眉毛もボサボサで、当然ノーメイクすっぴんボロボロわたしをよしよしして「かわいい…」って言ってくれて流石になんか目にフィルターとか入ってんのか?大丈夫?って思った。でも本当にまじまじと見てやっぱり今そう思いましたってかんじで「なんでこんなにかわいいの?」って繰り返してくれて嬉しかった。彼に可愛がられることが好きになってしまってるから。見た目が相手にハマってる恋愛ってこんなに幸せなんだなと思う。

怪我してても立ち座りはできたんだけど、あんま分かってない彼はそーっとそーっと抱きしめて、壊れ物みたいにそーっとベッドに座らせるまで支えてくれた。そんなしけった砂糖菓子を扱うときみたいにしなくても、って思ったけどやっぱりお姫様みたいに扱ってくれてうれしかった。

から鍵を預かって言われた用事をこなして、あとの時間はこんな遠方までわざわざ来たのにずーーーーっと寝て、また帰って行った。仕事が相当忙しいらしい。ありがとう

お姫様抱っこは怪我の具合的にしばらくしてもらえそうにないけど、年末は彼と過ごせそう。

そう遠くない別れを見据えてるって前にコメントであって、そうかもなって思っていたけどなんだかんだ長く一緒にいる。


—————————追記—————————

彼のことを書いたらもう少し書きたくなったから書く。

彼のいいところは、私を見た目ごと愛してくれるところと、私を搾取しないところ。人として対等に扱ってくれる。私を尊重してくれる。というか、彼といる時は彼よりも私が大切な存在みたいにとっても大切にしてくれる。

でも、彼は自分がとても大切な存在であることをちゃんと分かっている。人と人の間の境界線を引いて、自分価値をとてもとても大切にしながら私のことも大切にしてくれる。

私は男の人に搾取されることをとても恐れていて、それは私の男経験社会での経験に基づくものなんだけど、彼といると少なくとも「パートナーから搾取される」という恐怖から解放されることができる、それどころか彼の中で本当に大切な存在として扱ってもらえてお姫様抱っこまでしてもらえる。彼といるおかげで、搾取に怯えたり惨めで悲しくて泣いていた私は長い間影をひそめてる。素晴らしい解放の日々。私を搾取したりしないっていう絶対的安心感を、彼がくれた。

anond:20240813212240

2024-12-15

少子化の原因は価値観多様化じゃなくて画一化

よく少子化の原因として価値観多様化たからとか、個人人権尊重されるようになったからとか言われるけれど

私はそれって完全に逆だと思うんだよね

どちらかというとその逆、価値観の画一化こそが少子化の主な原因だと思っている。

だって昔は蓼食う虫も好き好きと言われていて、女の「異性に好まれ容姿」にはある程度幅があり、例えば面長大人顔も美人タイプとして認められていた。だから昔は色んなタイプの女が男に選ばれ、結婚できていた。

それが今では異常なまでの童顔小顔至上主義になってしまい、全ての男が女に求める容姿基準が「可愛い」の一種類だけになった。

容姿だけでなく中身に関してもそう。昔は女にとってドジでおっちょこちょいというのも一つのチャームポイントだったけれど、今だと即座に発達障害認定排除すべき欠点として切り捨てられる。

価値観多様化していない。全くその逆で画一化している。

また、昔は女性そもそも結婚しない人生子供を産まない人生も、一定程度認められていた。

フローレンス・ナイチンゲールヘレン・ケラーのように結婚せず、子供もいない女性偉人として讃えられ

日本においても古くは卑弥呼のように子供を産まない女性がその生き方尊いものとして尊重されてきた。

から子供を産む女性の方も安心して子供が産めたんだよ。たとえ娘が産まれてその娘が生涯独身であったとしても惨めになる事はないから、安心して産めた。

それが21世紀に入ってしばらくしてからというものの、女の生き方は完全に一つだけが「正解」として定められた。子供を産んで保育園に預けて働くという生き方。唯一それだけが推奨される。

こんな世の中じゃ到底怖くて産めないでしょ。娘に良い遺伝子を遺してやれて、男に選ばれ結婚して子供が産めるという自信がない限り、子供を産む気になれない。

そしてその基準はどんどん厳しく、画一化されてきている。「発達障害」の認定然り、平行二重小顔童顔ブルベ色白華奢しか認めないルッキズム然り。

個人尊重とは真逆だよ。

LINEヤフー開発部長、「SNSで騒ぐ社員は恥ずかしい」発言で波紋 従業員心理的安全性軽視か

LINEヤフー株式会社の開発部長とされる人物が、自身SNSにおいて、会社方針変更に対する従業員の不満表明を「恥ずかしい」と表現したことが波紋を広げている。この発言は、同社が標榜する従業員心理的安全性への配慮矛盾するとして、批判の声が上がっている。

問題発言は、同部長SNS投稿において、「全く面識のない社員SNSでブチギレしてるのもめちゃくちゃ流れてくるようになっていて、自社の話なのにSNSで騒げば自分要望が通るという認識の人が同じ会社にいっぱい在籍しているという事実がかなり恥ずかしい」というもの。この投稿は、会社方針転換、具体的には出社日の増加に対する従業員の不満がSNS上で表明されている状況を受けてのものと見られる。

この発言に対し、SNS上では批判が相次いでいる。「会社方針転換で割を食う従業員から不平が出ることぐらい普通のことだろうに、それに対して部長職にある人がこういう言い方をしてしまうの、LINEヤフーという会社従業員心理的安全性というものを軽視している会社なんですね」といった指摘や、「本当は上位職ほどこの手の発言には気をつけるべきなんですよね。社外からは「会社としての考え方」と見做されるし、社内の人には「自分上長も同じような考え方を持っているかもしれない」という疑念を抱かせることになる。会社として何らかの火消しをしないと収まらなそう。」といった懸念の声が上がっている。

さらに、「貴社は人材戦略の中で多様性相互理解尊重議論対話)を重点領域として挙げていますが、下記開発部長が述べている出社日へ不満を持つ社員へに対する『恥ずかしい』という公開投稿の内容はLINEヤフー社の統一見解なのでしょうか?」と、同社の掲げる理念との矛盾を指摘する声も出ている。従業員による正当な権利行使である労働争議を「SNSで騒ぐ」と矮小化する表現についても、「こんな風に騒いだりするの、普通に考えれば正当な労働争議一種なので恥ずかしいどころか歴史的根拠のある正当な権利なんだけど『SNSで騒ぐ』と書くだけで一気にしょぼい感じになるの不思議感あるw」との意見が見られた。

企業において、従業員安心して意見を表明できる環境、すなわち心理的安全性の確保は、組織健全な発展に不可欠である。今回の発言は、LINEヤフーという大企業において、管理職従業員に対する認識、ひいては企業文化の一端を露呈したものとして、今後の同社の対応が注目される。

情報ソース: https://megalodon.jp/2024-1215-2153-27/https://x.com:443/potato4d/status/1867763685189726653

2024-12-14

オナってるだけの性的消費が叩かれるのおかしくない?

売上のために風俗堕ちさせるホスト

妊娠させて養育費払わない男のほうがよっぽど女性のこと尊重してないだろ

同性婚について考えると自分差別意識と向き合うことになる

先日このようなことを書きました

同性婚を認める議論を始めるなら、兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻一妻多夫、その他諸々もOKの方向で検討しないといけないけど準備できてるんかなあ?落とし所は法定婚の制度廃止しかないと思ってる

すると以下のようなエアリプがありました

同性婚を認めるならナントカ婚も認めろ~な人が湧いてるけど、現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな。本気でそう思ってるなら同性婚の当てこすりじゃなくて普段から真面目に活動なさいよ

現代まともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな」というコメントですが、これを通して、現在の法定婚として認められない婚姻の形について考えられるという点でとても良いコメントだと思ったので紹介させてください。


日本以外で認められている婚姻の形

まず、「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」とありますが、私があげた婚姻の形のうち、幾つかはある程度の規模の国において実際に法定婚として認められています

例えば


「まともな先進国でおよそ認められていない」という言説

昨今幾つかの国で認められつつある同性婚もかつては「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」だったことも重要です。その状況から同性カップルも異性カップル平等に扱われるべき、という社会正義としての平等を主張し、現在までに世界各地で「活動」を行ってきた結果、同性カップルの法定婚が認められつつあるという現状があります

では、この「平等」が兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻一妻多夫にも与えられないのは何故でしょうか。

親子婚、小児婚については本人の同意などの点から問題がありそうなのはなんとなくわかります。(子供自己決定権人権観点からやや危うい話ではありますが)

しか宗教的文化的な背景があって日本以外の国では法制度化されている国もある兄弟姉妹婚、一夫多妻一妻多夫についてはどうでしょうか?公平の観点から同性婚と同じく法定婚として認めるべきではないでしょうか?

認めるべきではないならその理由はなんでしょうか?同性婚とはどこが違って認められないのでしょうか。

しっかり考えてみると意外と難しい問題であることがわかるかと思います。また考える過程で「現代のまともな先進国」のような自分の中に気づかずにある差別意識にも向き合うことができるかと思います


自分の中にある差別感情に向き合う

ここで言いたいのはお前は差別者だ!と指摘したいわけではなく、自分の中の歪みに気づいた上で話してほしい、ということです。

私も個人的感情としては一夫多妻などは認めなくないという思いがあり、自分実践するとは到底思えません。ただ、ムスリム家族の方の権利という観点で考えると異性間での法定婚制度があるのであれば、一夫多妻夫婦公平性観点から法定婚として認めるべきだろうとは思っています

法定婚の未来や公平なあり方について考えると、自分の中の常識、ここでいう「まともな」という基準の外にある文化の人々の婚姻文化をどう尊重していくべきか、という話になります。その中でどうしても認め難い婚姻の形についても考えないといけないこともあるでしょう。

その時に嫌だと思ったことことに対して正当化するような理路を作るのではなく、自分の中にある差別的な考えとして認識してほしいと思っています



(「本気で〜」以降は私の書いた内容に対する直接的な意見ではないし、荒唐無稽な主張であるのは一読でお分かりいただけると思うので本項では言及しません。)

anond:20241214144245

健常者はな。

健常者じゃない場合だと

オタクであることよりも

障害者人格障害であることが問題なんよ

 

自分尊重して欲しいか相手尊重するみたいなギブアンドテイク思考不可能

 

俺は遠慮しないがお前は我慢しろ、俺を尊重しろ、でもお前のことは尊重しない。思い上がるな。みたいなのがザラやで。

anond:20241214144245

たか解釈違い(個人意見)で学級会開く奴らに他人価値観尊重するなんてことできると思う?

オタク同士の婚活ってイージーモードのはずなんだけどな

anond:20241211175102

オタク結婚相手オタク(この増田インドア趣味って書いてあるけど似たようなもんだよね?)であることを望む理由って、自分趣味大事にしたいし自分価値観尊重してほしいからでしょ?

オタクならそうでない人よりも自分オタク趣味理解してくれるはずだって思ってるから

こう考える人は少なくないし、オタクだってだけで対オタク婚活ではアドバンテージなんだよな。

でも、大多数のオタク他人価値観なんてまるで尊重しないからうまくいかないんだよ。

自分が知らないこと、自分がやってこなかったことは全部無価値無意味でこの世にあってはならないものだと思ってる(そしてそのような決めつけができる自分を賢い人間だと信じてすらいる)。

これは特定の誰がどうこうではなく、オタクという属性のものがそういう方向を向いてるから

そうじゃないなら、オタクあん風貌にならないからね。

見た目についてろくに考えてこなかったくせに、人から何を言われようが見た目を気にするのは無意味に決まっているのだからそんなことを言うのはおかしいとしか言わない。

こんなの、自分が考えてこなかったことを何も知らないまま否定しているだけなのにね。

残念だけどそういう人達ばかりなのは見ればわかるじゃん。

ただ、裏を返せばそういう考えに染まらずに、他人価値観尊重するという人として当たり前のことができるだけでちゃんとした人扱いされてしまイージーモードなんだよねオタク同士の婚活は。

でもまぁ、増田自身だって会ったことも話したこともないアウトドア趣味の人を勝手自分趣味押し付けてくる嫌な奴扱いして切り捨ててしまっているんだし、そりゃそういう人には同じような人間が寄ってくるよね。

案外ここで挙げられているような自分の都合ばかり考えている人達とはお似合いなんじゃない?

anond:20241214133444

そういうこと

女の自由意志尊重したら

みんな立ちんぼになってしまった

マッチングアプリは女を娼婦にする仕組み

現代社会地獄なのは

フェミニズムの成果で女の自己決定権尊重されるようになった結果

愛情が金の問題になってしまたことで

貧しいけれども愛ある家族が完全なファンタジーと化した

高卒人生に愛はないしブルーカラー人生にも愛はない

「フルリモート廃止」は「不同意行為」の類似であると言えます

同意の有無

フルリモート廃止社員がフルリモートで働くという選択肢がなくなり、強制的に出社を求められる場合、本人の自由意思選択余地制限されます

不同意行為相手側に選択余地制限されており、一見すると存在たかに見えた選択余地強制わいせつを働いている側の思い込みしかありません。

どちらも「本人の意思に反して何かを強制される」という共通点があります

権力・力関係の影響

フルリモート廃止企業上司権力を持ち、従業員がその決定に従わざるを得ない状況を作り出すことがあります。この場合労働者自分希望を貫くことが難しい場合があります

不同意行為加害者被害者に対して力関係や恐怖心を利用して同意のない行為を強行する場合があります

どちらも「強い立場の者が弱い立場の者に圧力をかける構図」が見られる点で共通しています

倫理的社会的議論を引き起こす

フルリモート廃止:働き方の自由効率性、多様性尊重という観点から議論が起こり、企業文化雇用環境についての批判が行われることがあります

不同意行為個人尊厳安全侵害する行為であり、社会全体の倫理観法制度について議論喚起されます

いずれも、個人尊重権利についての社会的議論を引き起こすテーマとなっています

まとめ

共通点として、

同意選択自由侵害

「力関係問題

倫理的社会的議論を巻き起こす点」

が挙げられます

それぞれの具体的な状況は異なるものの、根本的には「個人意思自由を軽視する行為」に通じる部分があると言えます

入社時の説明では「フルリモート継続していきますオフィスワークに戻ることはありません」とされていたのに、突然「フルリモート廃止します。出社拒否就業規則に反します。出社日有給を取ればいいとう話ではありません」と言い出す会社からは逃げた法がいいでしょう。

そういった会社で働いていればいずれは上司から「サシ飲みに同意した時点で俺に気があるんだろ!」「ホテル街まで来て何を言ってるんだ!」「酔いつぶれていたは言い訳にならない!」「一回やるも二回やるも一緒だろうが!」「お前はもう俺の女だ!」と不同意行為を迫られるリスクが高いと言えます

同意もロクに得ないでフルリモート廃止しようとする会社倫理観が終わっているので逃げることが懸命でしょう。

原発

https://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__130408.html

 

経済学的に言えば、原発問題は、外部不経済問題としてとらえられますしか原発外部不経済というのは、とりわけて特徴的なのは、「現代世代成員間の外部不経済でもあるが、それ以上に、環境問題一般と同じく、世代間にわたる外部不経済問題である」とされます。つまり、非常に超長期の不確実性なので、価格市場機構では調整しきれないという意味での外部不経済になっているとされるのです。そして次のように述べられます

 

現在世代のうち原発から得られるエネルギーを消費し、快適な生活をおくる人々は、将来の世代放射性廃棄物という負担を課す。この意思決定には、重大な利害関係である将来世代は参加していない。そこで、現在世代は、もし将来世代現在意思決定に加わるとしたならば、将来世代はどのように主張するか、という点を考慮しなければならない。この考慮のしかたが、現在世代と将来世代との間の公正の状態を決定する。…(中略)…自動車飛行機事故場合には、もし将来世代がそれらの事故を皆無にしたいと望むならば、それらの利用をやめれば、それで解決する。しかし、現在世代が残した放射性廃棄物場合には、これを拒否する選択肢は将来の世代に残されてはいないのである。ここでは、将来世代現在世代放蕩三昧を恨むしかない。

 将来世代のことはどうでもよい、というのは将来世代人権無視することである。そして、将来世代人権無視する人が、現在世代他人人権尊重する、などということは、あり得ない。なぜならば、人権とは普遍的人間権利からである

 経済学的にいえば、現在と将来世代人権をどのように考えるかによって、原発エネルギー利用に対して、現在利用者負担すべき費用は大きく異なってくる。現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、したがって被害者の人権無視すればするほど原発エネルギー利用者負担する費用は安くなる。費用が安くなればなるほど、都市原発エネルギー需要は増加する。原発推進関係者は、不特定多数者の需要が大きいことをもって、「公共性」があると「公共性」を定義するから現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、原発の「公共性」は増すという関係にある。この原発推進側にとってまことに都合のよい「公共性」という概念は、「公共性」が問題になるところでは──新幹線騒音振動公害空港騒音公害道路公害等々──かならず利用されている。

 いま述べたこからも明らかなように、原子力発電経済分析といえども、公正とか人権といった道徳的価値問題視野におさめないかぎり、不可能である。そして、実は、こうした道徳的価値問題をできるだけ排除する──分析することを断念する──ことによって、経済学科学たらしめようと努力してきたのが、限界革命以後の近代経済学歴史なのである

…(中略)…

 近代経済学者は、問を発すること自体を断念した、道徳的価値──自由とか人権とか公正といった価値──の問題を、もう一度視野におさめる方向を、今、模索してゆくべきである、と私は考える。…

 

 そして結びは、原発問題分析することが少ない近代経済学者の現状に対して、「禁欲に名を借りた怠惰のあらわれである、といえよう」という文で終わっています

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