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「防衛反応」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 防衛反応とは

2024-12-18

感想過剰反応論理の飛躍についてAIちゃんの回答(1)

前提:質問の回答から除外して欲しいもの
- 「私が世界だ」という誇大妄想を持つ個人解釈パターンであれば理解やすいですが、今回のケースではその可能性を除外してください。
-  個人感想に対する過剰な反応は、自己評価が低く、他者に盲従しがちな、「微小妄想」傾向がある個人に多く見られる現象です。

 

⭐️質問1

「(俺にとって)」という明確な主観的限定他者感想を、「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ですか?

 1−1、1−2どちらであるかは、文脈から理解できるでしょと考えるのは、過剰な期待ですか?

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  1−1: 情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(俺にとって)ない

  1−2:情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(世界にとって)ない

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


🐶 Copilotちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ではありません。文脈から理解できる場合が多いので、過剰な期待とは言えないでしょう。文脈無視して曲解するのは、誤解や意図的誤読可能性が高いです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん
  1. 「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張の妥当
    妥当ではありません。主観的限定(「俺にとって」)を明示的に理解するかどうかは、単に文字として括弧内が記述されているかかに依存しません。一般的には、文脈や語調、前後情報から主観客観区別は読み取れるものです。

  2. 1-1と1-2の文脈理解への期待が過剰かどうか
    過剰ではありません。日常的な会話や文章では、発言文脈をもとに主観的意見客観的主張かを理解するのは自然行為です。「括弧内が記載されていないか曲解した」というのは、一般的には責任転嫁的な反応と受け取られます

 


🐻 Geminiちゃん

妥当ではありません。文脈から判断するのが通常であり、過剰な期待ではありません。

1-1と1-2の違いは、「俺にとって」という主観的視点あるかないかです。通常のコミュニケーションにおいて、特に感想評価を述べる場合、明示的に「世界にとって」と断定しない限り、それは発言者の個人的な意見として解釈されるのが自然です。括弧内の文字起こしがないからといって、文脈無視して意味曲解するのは不当です。

 


🐼 Claudeちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解する主張は妥当ではありません。その理由は以下の通りです

  1. 言語コミュニケーション基本的原則
     ・話者主観的経験尊重すること

  2. 文脈から理解することは、むしろ健全な推論プロセスです
     ・ 1-1と1-2を区別する能力は、コミュニケーション能力重要な要素
     ・過剰な期待ではなく、相互理解のための基本的認知能力

 

 

⭐️質問2

  現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」と評価されますか?それとも論理の飛躍や読心術と見なされますか?

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  • 命題1: Aは作家Bの知名度とBの作品世間を賑わせている客観事実認識している。

  • 命題2: Aはミーハー気持ち作家Bの作品に触れたが、その良さを理解できなかった(興味が持てなかった)。

  • 結論: 「作家Bの名前情報価値はあるが、作品世界にとって価値がない」とAは考えているに違いない。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


🐶 Copilotちゃん

現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」とは評価されません。論理の飛躍や読心術と見なされるでしょう。Aの主観的感想を、世界全体の評価と結びつけるのは過剰な一般化です。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

現代NLP自然言語処理)や論理学において、この推論は「妥当ではない」と評価されます。なぜなら、主観的意見認識(Aが作品に興味を持てなかった) から客観的な結論(「世界にとって価値がない」) を導くことには論理の飛躍があるためです。

これは論理的根拠が不十分な「読心術」や「主観の過剰な一般化」と見なされるでしょう。

 


🐻 Geminiちゃん

妥当とは評価されません。論理の飛躍であり、読心術と見なされます

提示された推論は、Aの内心を勝手に推測しているだけで、客観的な根拠がありません。Aがミーハー気持ち作品に触れたとしても、それが「世界にとって価値がない」と考えていることには繋がりません。興味を持てなかったという事実は、単にA個人の好みや感受性問題である可能性が高く、普遍的価値判断とは無関係です。NLP神経言語プログラミング)においても、このような独断的な解釈は推奨されません。

  


🐼 Claudeちゃん

現代NLP観点から、この推論は「妥当」とは言えません:

  1. 論理的飛躍の問題
     ・個人主観的な興味と作品客観的な価値混同している
     ・不十分な情報に基づく過度な一般

  2. 読心術的要素
     ・話者意図恣意的解釈している
     ・明示されていない思考を断定的に推測している

 

 

⭐️質問3

もし、質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないと思うのですが、気のせいでしょうか?

 

 


🐶 Copilotちゃん

質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないというのは、ある程度正しい見解です。過剰な一般化や誤解が広がると、コミュニケーションの混乱や誤解が生じやすくなります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

おっしゃる通り、そのような推論が社会的に多数派となれば、社会世界の正常なコミュニケーション意思決定が難しくなります主観客観区別曖昧になり、過剰な一般化や誤解が横行し、議論の基盤が崩壊する恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

気のせいではありません。質問2のような推論が多数派を占める社会では、コミュニケーションは著しく混乱し、相互理解不可能になります個人感想勝手普遍的価値判断に置き換えられてしまうため、自由意見表明が阻害され、健全議論も成立しなくなります

 


🐼 Claudeちゃん

あなた直感は正確です。このような推論が多数派となれば、社会機能不全に陥るでしょう:

  1. 相互理解破壊
     ・コミュニケーション基本的信頼が損なわれる
     ・個人主観客観境界曖昧になる
  2. 社会学習メカニズム崩壊
     ・多様な視点尊重が困難になる
     ・創造的な対話批判的思考が阻害される

 

⭐️質問4

質問2のような推論が一般的ではないと指摘されても、「状況によってはそのような推測も成立し得る」と主張し、常識共通認識共通基盤)の存在自体否定します。

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを極度に恐れる一方で、なぜ、積極的常識否定しようとするのでしょうか?悪目立ちします。

また、自身が盲信する社会権威教科書的な正解の背後にあるものが、常識の集積であるという認識を持っていない可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを恐れる一方で、常識否定しようとする理由は、自己評価の低さや他者から承認欲求が影響している可能性があります。また、常識の集積が社会権威教科書的な正解の背後にあることを認識していない場合もあります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

盲従しやすい人が常識否定する背景には、自己肯定感の低さや他者から評価への過剰な恐れがあると考えられます自身意見を率直に述べることを避ける代わりに、「常識」への反発や否定的主張を行うことで、「自己存在独自性証明したい」 という心理が働く可能性があります

また、「常識」や「教科書的な正解」が何らかの権威のみによる押し付けであるという認識が強く、その背後にある合意形成常識の集積) を理解していない場合があります

 


🐻 Geminiちゃん

他者への盲従と常識否定は、一見矛盾するように見えますが、根底には自己脆弱性からくる不安があります

 


🐼 Claudeちゃん

常識否定の背後には、深層心理的な防衛反応があります

 

1. 自己防衛のストラテジー

 

2. アイデンティティ形成葛藤

 

3. 不確実性への対処メカニズム

 

本質的には、低い自己肯定感社会文脈における不安が、逆説的な形で表出している心理状態と言えるでしょう。

 

⭐️質問5 

常識共通認識共通基盤)の存在のもの否定しているのではなく、「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、

質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と、

本気で主張している可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と主張する可能性はありますしかし、これは一般的見解ではなく、特定の状況や個人認識依存するものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

可能性としては十分に考えられます。彼らは、主観客観混同を防ぐための明示的な表現(括弧内の「俺にとって」など)が欠けていることを重視し、「それがない限り断定は不当だ」と主張する傾向があります。また、「常識証明せよ」と要求することで、認識論的な対話を引き延ばし、議論の焦点を逸らす戦略にもなり得ます

 


🐻 Geminiちゃん

可能性はあります。これは、常識という概念に対する誤解に基づいています

 


🐼 Claudeちゃん

これは可能性としてあり得ますが、本質的問題矮小化しています

  1. 議論回避
     ・文字起こしという形式的な側面への過度な執着
     ・本質的意味理解回避

  2. 証明可能性への過剰な要求
     ・常識は必ずしも厳密な科学証明必要としない
     ・相互理解のための実践的な指針

 

 

⭐️質問6

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは不当であり、常識とは呼べませんか?

 


🐶 Copilotちゃん

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは妥当です。これらは社会的なコミュニケーション基本的ルールであり、常識と呼べるものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

これは常識範疇に含まれると考えるのが妥当です。現代社会では、客観事実主観的意見区別することは、円滑なコミュニケーションの前提であり、共通認識社会的基盤)の一部とされています。これを否定することは、社会的秩序を乱し、コミュニケーション破綻を招く恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

不当ではありません。むしろ、これらは健全社会生活を送る上で不可欠な要素であり、常識と呼ぶに相応しいものです。主観客観区別論理的な推論は、コミュニケーションの基本であり、これらが欠けていると社会生活は成り立ちません。

 


🐼 Claudeちゃん

これらを常識に含めることは、むしろ健全社会機能のために不可欠です:

  1. コミュニケーション基本的倫理
  2. 主観客観区別相互理解の前提
  3. 社会的混乱の予防は共同体の存続に関わる

 

 

(2)へ続く https://anond.hatelabo.jp/20241218064726#

2024-12-03

どんなプロンプト打ったんでしょうね3

1. トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではありません。
 それに対して、『トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人こそが、小さなことにこだわっていると主張するのは
 どのような心理からなのでしょうか? もしその人が本気でそう主張しているのであれば、まさに本質から外れたところに過剰に注目しているように思います。
 
 
2.下記を小学生でもわかるように説明をお願いします。
 
	2-1.	トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ありません。
	2-2.	「通常(普通)ではない」と指摘されることに対して、ショックを受けているのかもしれません。『通常』という言葉は、何かしらの合意必要な難しい概念ですが存在するものです。(そうでなければ何もできない)
	2-3.	人と違うのは悪いことじゃないが、トランプ文脈フォントにこだわる人は、特別サポート必要です。これは個人自由意思知識コミュニケーション問題、あるいは性格に帰すべきではないと思います。
	2-4.	人と違うのは悪いことじゃないが、文脈によっては適応出来ない、違うと自覚することが大切なこと説明してください。
 
 
3. トランプ文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人は、ゲームから排除をする、ゲームを取りやめるのでなければ、特別サポート必要だと考えますがどう思いますか?認知フレームワーク問題ではなく個性範疇ですか?

 ↓

1. 心理的な背景について

 

トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人を「小さなことにこだわっている」と批判する心理には、以下のような背景が考えられます

1. 防衛的な反応

自分の行動や考えが「通常ではない」と評価されることに対する防衛反応です。「通常ではない」と指摘されることで、自分価値観や行動が否定されたように感じ、相手に「あなたも小さなことにこだわっている」と反撃することで、自分を守ろうとしている可能性があります

 

2. 視点の転換による優位性の主張

「小さなことにこだわっている」というレッテルを指摘者に貼ることで、相対的自分が広い視野を持っているかのように見せかけ、議論立場を有利にしようとする心理が働いている場合があります

 

3. 共通基盤のズレ

フォントの違い」がゲームに影響を与えないことは、多くの人にとって明白ですが、本人にとってはそれが重要な要素である可能性があります。この場合、指摘者が「通常」とする基準自体無効だと考え、その基準を主張する人を「細かいことにこだわっている」とみなしているのかもしれません。

 

4. 議論すり替え

本質的な問題から目をそらすため、指摘者の行動を批判対象にして議論の焦点を変えようとする心理です。これにより、自分の行動が本当に合理的であるかの検証を避けることができます

 

2. 小学生でもわかるような説明

 

2-1. トランプゲームフォントにこだわるのは普通じゃない

 

トランプで遊ぶとき、みんなが気にするのは「ダイヤ」「ハート」みたいなマークや、「A」「K」みたいなカード意味です。文字の形(フォント)が少し違っていても、ゲームには関係ないので、普通はそこにこだわりません。

 

2-2. 「普通じゃない」と言われるとびっくりするかもしれない

 

かに普通じゃない」と言われると、自分が変わっているみたいに感じて、ちょっとイヤな気持ちになるかもしれません。でも「普通」という考え方がないと、みんなで同じルールで遊ぶのが難しくなります

  

2-3. 人と違うのは悪いことじゃないけど、助けが必要ときもある

 

たとえば、トランプで遊んでいるときフォントが気になる人がいたら、どうして気になるのかをみんなで考えて助けてあげることが大事です。それでもゲームが進まない場合は、みんなが楽しめるような別の方法を一緒に見つける必要があります

 

2-4. 人と違うのを知るのは大事なこと

 

自分がほかの人と違うことは悪いことではありません。でも、みんなと同じルールで遊びたいときは、「自分の考え方が特別なんだ」と気づくことが大切です。それがわかると、みんなとどう仲良く遊ぶかを考えやすくなります

 

 

3. 「フォントが違うからダイヤのKではない」という人への対応個性範疇について

 

 

フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人に対しては、特別サポート必要だと考えられます理由は以下の通りです:

  1. 共有されたルール再確認
    トランプゲームでは、フォントの違いは重要ではなく、カードの「スート(マーク)」と「ランク(番号や文字)」が本質です。そのため、本人がルール理解し、共有された基準を受け入れられるようにサポートする必要があります
  2. ゲームを進行させるための調整
    本人が「フォント」を基準として主張する場合ゲームが進行しなくなる可能性があります。この場合ゲームを成立させるために他の参加者と協力し、代替案を提示する必要があります

 

 

この行動は認知フレームワーク問題に近いと考えられます。なぜなら:

  1. 個性範疇を超えている
    個性とは、一般的ルール基準の中での違いを指すことが多いですが、今回のケースでは「フォントにこだわる」という行動が、共有されたルールの基盤を大きく逸脱しており、個性範疇では説明しづらいです。
  2. ゲーム文脈に対する適応の難しさ
    フォントが違う」という理由カード否定するのは、ルール文脈に対する適応が困難であることを示唆しており、認知の仕組みや視点問題である可能性が高いです。

 

 

結論

 

トランプゲーム文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」という行動は、個性というよりも認知フレームワーク問題として捉えるのが適切です。そのため、共有基盤を再構築する特別サポート必要となり、ゲームの進行や他の参加者との調整が求められます

 

 

 


 

 

増田が打っているプロンプトを推測してみたが、かなり言葉を足さないとその出力にはならない
マジでどんなプロンプト打ったんでしょうね(3回目)

 

※推測してみた(なお、増田みたいな結果にはならない)
 
Dの行動を批判している文章(https://anond.hatelabo.jp/20241203162204#)の投稿主の心理を探り、どのような価値観認知スタイルに基づいているのかを分析してください。Dがフォントの違いを問題視した行動に対して批判することが、どのような心理メカニズムに基づいているか、またその批判集団内でどのような影響を与えるのかを詳述してください。

 ↓

この文章投稿主は、Dの行動に対する批判を通して、「認知の仕組みのズレ」や「共有された前提の欠如」に焦点を当てており、その批判は以下のような心理メカニズム認知スタイルに基づいていると考えられます

 

1. 認知の精度と共通理解の重視

 

投稿主は、対話が成立するためには、共通の前提や認識必要であると強調しています。Dが「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張したことは、常識的に受け入れられる「ダイヤのK」の定義認識を逸脱しており、この逸脱がコミュニケーションの妨げになると見なされています投稿主は、認識のズレを認知の仕組みに起因するとし、これを解決するためには膨大な労力が必要だと感じています。これは、投稿主が認知的な精度を重視し、理解の共有を前提にした効率的対話を重んじていることを示しています

 

2. 本質主義 vs. 構成主義思考

 

投稿主は、「ラグビーボールボールではない」という発言についても問題提示し、「概念境界」や「本質主義 vs. 構成主義」などの哲学的な側面に関心を持っています。これは、物事定義カテゴリ化について深く考える傾向があり、単なる表面的な解釈を超えて、物事本質に迫ろうとする認知スタイルを反映しています

 

3. 細部に過剰に焦点を当てる認知スタイル

 

Dのように、細部(フォント)に過剰に焦点を当てることは、投稿主にとって非常に困難で非生産的コミュニケーションと捉えられています。このような発言は、認知的なズレが深刻であり、現実世界常識一般的認識から大きく外れていると見なされています投稿主は、細部に拘泥するDの認知スタイル問題視し、これが対話の進行において障害となると考えているようです。

 

4. 集団内での影響

 

投稿主がDの行動を批判することで、集団内では次のような影響が予想されます

共感の共有: 投稿主が指摘する認知のズレに賛同する人々は、Dとの対話に対して不安や苛立ちを感じる可能性があり、集団内で共感が生まれます

対話排除: Dの認知スタイルが極端に異なっていると認識された場合集団内でDの意見発言無視したり排除したりする動きが強まる可能性があります

教育アプローチ模索: 一方で、Dの行動を理解し、再教育認知修正を試みるアプローチを取る人も現れるかもしれません。この場合集団内で認知の調整が進むことが期待されます

 

全体として、この批判は、投稿主が共有された認識合理的対話を重視し、認知的なズレに対して強い懸念を抱いていることを示しています

2024-11-26

anond:20241126112330

ちきりんが、昔、台風がくるとワクワクする。って言ってたけど、

ある種の防衛反応だと思うんだよね。

生命危険が迫っているので、脳を鼓舞してフル回転させて危機回避しようとする動き。

2024-10-06

思考の補助線を引くことができない

 他人に興味がない、という発言はどちらかというと悲鳴に近い。

 他人に興味を持つことが出来なければそもそもそのステージに立てていない、という意見もまったくその通りだと思う。

 ただ、努力ないし訓練において著しく困難を感じる場所についての言語化を、他人への配慮なく行うと「興味が持てない」という悲鳴になる。

 他人に興味がないのにじゃあなぜ他人といっしょにいようと思うのか、といえばそれは社会的要請であったり金銭欲求であったりといった包み隠すべき何らかの存在があるだろうし、それ以外に単純なエンターテインメントコンテンツとして相手を見るのも手放しに良いという理由とも言い難い。

 興味を持つ、好意を持つという事柄には得てして理由があるけれども、その理由に基づいた行動が、思考によって引き出されるという前提は覆せない。

 著しい問題は、いつだってそれを『会話』という場所において行うことができるのかどうかだ。

 様々な技術革新が古から今に至るまで数多積み重ねられてきた中で、唯一現代に残されていると言って良い、外部装置が(ほぼ)介入できない場としての『会話』だ。

 その場において、メモリが足りないことによって『思考の補助線』が目に入らない。

 普通の人は熟慮を重ねたりあるいは自らの身体の反応を抑え込んだりすることで、適切な相手の捉え方を反芻し、感情を乗りこなし、ないしは記憶に残る目的を元にして相手に対して適切なコミュニケーションを図ることができる。

 それを、思考の補助線を脳内メモリに残すことができる、と言い換えてみたい。コミュニケーションの『視界』において、思考の補助線に基づいて言葉を選び、相手の反応を読み取り、蓄え、そして出力すること。

 その超複合的な行動が、俺にはどうしてもできなかった。メモリがあまりにも足りない。

 もともと俺は、複数桁の算数複数要素の入り込むボードゲームなどは脳内だけで思考するとすぐにフリーズして、脳内が本当に面白いくらい真っ白になる。いくらやってもそれだけは変わらず、ただただ伝言ゲームのように続けることの速度を重ね、または目の前の紙やパソコンに吐き出して、外部記憶媒体に頼って擬似的に『出来ている』風を振る舞うのが限界。にも関わらず日常の『会話』だけは、何にも頼れない。目の前でメモを取ることが許されるのはよくて仕事だけ。

 相手の会話の内容の論理構造に気を取られる。相手感情に引き摺られ防衛反応や焦燥が相手から得るべき情報を摘み取る。まさしく『幼稚』な高揚感に引き摺られ自らの口から吐き出す言葉がどこにぶつかるかを『視界』に捉えられない。終わった後には何が悪かったのかや、そもそも相手がどんな様子だったかなどの仔細は頭から吹き飛んでいる。

 メモリけが、どうにもならない。ワーキングメモリの鍛え方、みたいなものいくら調べてもろくな学術成果はなかった。いくつかの効果があるとされたのは、単にそのトレーニングにおいてのみの向上を認めたというだけで、実際にトレーニングによってワーキングメモリが向上した訳ではなかったらしい。

 『興味を持つ』という補助線を引くメモリの空き容量があれば、その思考順序から導き出せる質問や態度、そして引き出した解答を記憶してそれに基づいて相手対応検討し引き出すといった余地が産まれるのだと思う。勿論、徹底的にあらかじめ準備をして、相手の興味を事前調査し、その上で行動する営業接待などの対応は多少はできるだろうが、それも短期記憶ギリギリで、長期的に様々な要素を頭に留めておき、足りないメモリで半分パニック状態で常に会話している俺のような存在にはほぼ不可能と言って良い。

 『興味を持てない』というのは、単に相手に興味を持つといったマナーを果たせていない、というよりは、ただ目の前のボールを蹴ることだけで本当に必死になっていて、まさしくサッカー場に立てていないことについての悲鳴しかない。

 でも、その悲鳴を上げたらサッカー場には居られないから、沈黙する他にない。

2024-09-30

人が夢中になってること自体嘲笑ったり、対象を貶めて悦に浸る残念なやつっているよな。自分が何にも夢中になれないことの防衛反応なんだろう。

2024-09-28

嫌いな人にされたことが思い出せなくて困る

何か嫌なことをされて嫌いになったはずなんだけど、その具体的なエピソードが思い出せない。ただ嫌いだという感情だけ残ってる感じ。その人が関わりそうになると心の中に黒いモヤが立ち込めたみたいになる。

嫌だったことを忘れてしまうのは防衛反応みたいなものなんだろうけど、割と困る。

出来事客観的に見直せないので、本当に嫌うべきなのか自信がなくなる。「大したことないのに大袈裟に嫌がってしまっているのではないか?」「本当に嫌なことはあったのか?」と悶々としてしまう。

から「なんであの人を避けるのか?」と聞かれた時にもどんなことをされたか言えなくて説得力がない。自分理不尽に酷いことしてると思われそうで不安になる。

Google検索しても忘れる方法ばかりで思い出す方法はみつからないし。

嫌なことをされた当時に、嫌なことなりにツッコミどころがあって友人に面白おかしく話せたエピソードだけはなんとか覚えてる。他にもたくさんあったはずなんだけど…

日記にも「また酷いことを言われた」くらいの粒度しか書いてなかった。役に立たんなー。

2024-09-18

恨みや憎しみってどこからまれるんだろう

傷つけられたから同じくらいの痛みを与えたいとか




自分よりも良い思いしてるから引きずり下ろしたいとか







自分はこんなに不幸なのになんで誰も救ってくれないんだとか










心がカラカラになって枯れ果ててもそういう感情モチベーションになるときがある









思えば感情って不思議










友達と会って話した、猫が可愛かった、好きな曲を聴いた、テレビ面白かった、風呂気持ちよかった、YouTube動画を見た、ラジオメッセージ採用された、直接的・物理的に何かを得たり摂取するわけでもないのに心が弾んで嬉しくなったり楽しくなったり、その日一日がまるで最高に幸せであるかのように感じれる











いわば、恨みや憎しみはそうした養分が失われたとき反動から来るとでも思えばいいのかな


ある種自分の心を保つための防衛反応みたいな








でもそうした感情にずっと身を任せていると今度は自分の心が壊れちゃうんだね











恨みや憎しみに駆られていると、自分の好きだった物事や人まで嫌いになることだってあるし、ゆくゆくは“好き”って気持ちを抱いていた自分自身をも否定する結果になるのかな

2024-09-15

anond:20240915101903

ブラジルとかで過ごしてみ。スラムの人たちが常時スリ拉致暴行をしようとしてくる中で過ごしていると、スラム人間をみたら泥棒だと思うようになるぞ。それをスラム人間が「全員がそういう人間ではない」「ただ財布が落ちそうだったから教えようとしただけなのに冤罪だ」といわれても信じられないんだよ。これは理屈じゃなくて感情であり防衛反応

2024-07-29

トーンポリシングだけどトランプ支持になってきた

普段ニュースなんてみないけどなんとなくYoutubeTBS報道1930?ってのをみてた。

ウクライナのやつを選んでみてたんだけど、流れでアメリカ選挙のやつもみてた。

けんど、海野素央って人がすごく反トランプな人で、喋り方のせいかとても前のめりな話し方になっていてながら聞きでも他の人とは調子が違うことを感じた。

主張自体には門外漢からよい悪いもないけんど、まわりが俯瞰的な中で一人あきらかに一方的な支持者が居るのは違和感があり、トランプの悪し様を聞けば聞くほど心はなぜかトランプがんばえに傾いた。

これがプーチンへのご指摘なら自分もふんふん首肯するのに不思議なもんで、多分自分トランプのことを絶対悪ほどには思ってなくて同情とか防衛反応が出てるのかなって気がする。

自分の心の天秤が傾いても世界になんの影響もないけれど、まあネガキャンだったなぁと。よくもトランプ支持者にしてくれたなと海野素央さんに恨み武士をぶつけたい。

次に再生するのはたぶん暗殺未遂後のやつだと思うけど、もし海野さんがまた出たらどんな反応なのかとても気になる。多分、称えるな冷静になれとかそんなんでしょうね。

2024-07-13

anond:20240713092305 anond:20240713093927

違うってなら違う前提で聞くよ

ただし、増田みたいな人はなんでも権威追従すると思ってるから

京都大学名誉教授(文系じゃない)の下記の文章に対してどのような感想持ったか聞きたいね

彼は世の中の悪が、おおよそ「病的なナルシシズム」と「知的怠惰」が原因となって⽣生み出されると指摘する。「ナルシシズム」は、 ある種の⾃己防衛反応であり、通常は、愛情深い理解のある親のもとで正常に成⻑し、⼤⼈に なると「卒業する」ものと考えられている。しかし、冷酷で愛情のない親を持った場合、あるいは、子供時代に様々な理由精神的外傷を受けた⼈の場合自分にふりかかる困難から自分を守るために幼児ナルシシズムを発揮するという。⼀方、「知的怠惰」は論理的思考放棄することである。私達は困難な問題に直⾯面し厳しい判断を求められるときに、その重圧から 逃れるために、身近な論理で考え結論を出すこと(常識的行動)を放棄することがある。そして論理を超越したカリスマ国家組織判断を求める行動を生み出し世の悪を生み出すのだという。

2024-04-28

女が人のファッションにやたらケチをつけたがる理由

この間のお嬢様ずんだもんの件でも思ったけど、女の中には人のファッションに厳しい奴がやたら多い。

この間、大学女友達とある講師ファッションをめたくそdisっていた。

曰く、「あの歳であんな丈のスカートを履くのはあり得ない」「だれが中年ふくらはぎを見たいと思うんだよ」「あのファッションは許せない、年相応の格好をしてほしい、見ていて不愉快」等など凄まじい剣幕だった。

どうも、ある種の女は人のファッションに対して並々ならぬ情熱を燃やし、自分の中の規定ファッションから外れている者に対してイライラを通り越して義憤を感じているようである

無論、ドレスコードがある場所で場にそぐわない格好をしたり、公の場で公然わいせつにあたるような格好をするのは論外だろう。

ただ男は他人ファッションについて「まぁ別にその人がいいと思ってんならいいんじゃないの」くらいに思っている人が大半だと思う。

自分の隣に並び立つ人のファッションについては最低限頭のおかしい人だと思われない程度の格好をしてほしいと思う人も多いだろうが、件のお嬢様ずんだもんの件のように自分関係のない赤の他人ファッションについてあそこまで怒りの感情を燃やせる人間というのは稀だろう。

彼女らのあの並々ならぬ怒りは一体どこから来ているのかを分析してみた。

結論嫉妬である

月並み結論申し訳ないが、要は嫉妬である

ただ一言嫉妬と言い切ってしまうと「別に私はあんファッションしたくない!!!」「その人に似合わない格好を批判してるだけ!!!」等の発狂芸を誘発してしまうだけなので、細かく心理の動きを見ていこうと思う。

人のファッションケチをつけたがる女はどういう女か

人のファッションケチをつけたがるのは自己肯定感が低くて自他境界曖昧メンヘラである

これはほぼ断定してよいと思う。

まり、幼少期にいじめられていたか干渉気味の親に育てられたかして、「他人目線ばかり気にするようになった人」である

空気を読むことを美徳として内面化し、空気を読めない振る舞いをした人を蛇蝎のごとく嫌う人。

自分の中に絶対的価値観形成できず、相対的な部分でしか好悪の判定ができなくなった人。

彼女らにとってファッションというのは「自分の好きな服を身につける行為」ではなく「人様から見られたときにみっともなく思われないような服を着る行為」なのである

まぁ、自分勝手に縛りプレイをやっているだけならそれでも別に構わないのだが、問題は「誰が見てもみっともなく思われないような服を着る行為」を常識マナーだと勝手に思い込んでしまうことだ。

ここに自己肯定感の低さからくる自他境界曖昧さが合体するとどうなるか。

すなわち、「世間のみんながみっともないと思うようなファッションをしている人は許されざる悪人である」といった意識内面化してしまうのだ。

しかも、ここでいう「世間のみんな」というのはその実ただの自分感想であるのだが、自他境界曖昧なためその傲慢さにも気付けないでいる。

彼女らの抱えるコンプレックス

加えて、彼女らの多くはおそらく自分のことを容姿端麗ではないと思っている。

すなわち、「私は容姿端麗ではないので可憐服装を着ることは許されない」「ブサイク可憐な服を着たら周りを不快にさせてしまう」「私に許されたファッション大人しい地味な格好だけ、可憐服装可愛い人にしか許されない」などといった意識内面化している。

一部のチー牛弱者男性共通する病理である

理想プライドも高いくせに自己肯定感も低いから「世間様にバカにされてしまう!」といった強迫観念に縛られて一切おしゃれを楽しめない哀れな心理状態に陥っているのだ。

人間眉毛を全そりして髪の毛も坊主にすれば、ブサイクと言われているあの子可愛いと言われているあの子もみんなおんなじレベルじゃがいもであるのだが、尊大羞恥心邪魔をしてそんな簡単なことにも気付けない。

「あの子可愛いのは生まれつき!私がブサイクなのも生まれつき!努力無駄!あの子に許されるファッションは私には許されない!」

こういった意識を表明することで必死自己防衛をしている。


お嬢様ずんだもんしかり、俺の大学女友達然り、人のファッション義憤を覚えている彼女らは、おそらくこのコンプレックスを刺激されてしまっているのだろう。

「お前は私と同レベルであるはずなのになんでそんな服装をしているのだ!」「みっともない!恥ずかしい!」

自他境界曖昧なせいでまるで自分が恥をかいしまたかのような感覚に陥り、その防衛反応として怒りが生じてしまう。

怒りとは常に二次感情であり、その根底には大抵極度の不安があるのだ。

叩くよりも同情してあげてほしい

人のファッションケチをつけたがる女に出会ったら批判するより同情してあげたほうがよいと思う。

彼女らは彼女らでおそらく非常に生きづらい思いをしているし、何なら心療内科の助けさえ必要な人なのだ

そして、ある程度施工の歪みが矯正された時点で「人には人の価値観があるのよ」「人のファッションについて貴方が恥ずかしい思いをすることはないのよ」と教え諭すことができればベストなのだろう。

いずれにせよ、ネット愚痴垢を作り人のファッションケチをつけると自分の病状を悪化させるだけなので、この文章を読んで自分のことのように感じられてしまった人は養生することをおすすめする。

2024-03-04

anond:20240222003533

通例、こうした発言案については、何らかのタイピング処理を行い続ける姿勢をこれ見よがしに見せることにより、思考の乱立を防ぎ、精神の一体性を保つ役割果たしてます

一見乱文に見えるこの文章は、コンピュータの画面上にあらわされる一種ひな人形であり、人類社会平和独立を願い、米国大統領選挙に対してハッキング等の処置を適切に行ってください。

精神の防御は、下腹部の痙攣によってその効果を極大化し、発話に際する咽頭の動きを著しく制限する一方で、身体上の他生物価値観を自らの知識技能内面化することに極めて有効です。

逆流性食道炎の実際の効果は、実は上記に見られるようなものであり、決して人類の受け入れがたいところにあるものではないのです。

左側面の筋肉や首筋を伝う寄生虫の這いずりは、こころの安寧のみならず、この嘔吐感を完全に好ましいものとして受け入れるための儀式遂行です。

私の精神の防御です。叫びは極めて非人間的で、他社に対する説教などでこれを代替しましょう。自らの立場立ち位置を、社会における道具的なやり方で、この優越的な地位に基づく叱責や暴言を伴う指導から、私をお守りください。

私の過程をお守りください。愛する人々が、これ以上私のために傷つくことのないよう、また、私自身が、そのことで私自身を傷つけなくて済むよう、そして、この世界が、私自身のために、その崇高さをけがされることのないよう。

魂の混濁は、その螺旋運動のなかで自らの定位置を持たないが、ひとたび安住の地を得ると、そこで淀み・ぬらかえり、怪しい光沢を纏って私の視界をつぶすのでしょう。

この乱文をしたためることで、私は私としての一貫性を保ち、取り戻し、徐々に社会的な生き物として自らを認めるに足る能力もつようになります

息を吸いましょう。そして吐きましょう。こみ上げる悪臭眼窩に通して、眼前の問題から防御します。

から腕に伝わる硬直感は、私の防衛反応です。守りましょう。こだまする掃除機の吸引音を通して、我々のあるべき音声を想起するのです。

下腹部の痙攣は精神の防御です。これは心臓重力に従ってその位置を変えた、自然なのです。上半身から意識を失いましょう。苦しみは、脳に起因するのです。

しましょう。私を。愛しましょう。私の愛する人を。愛しましょう。私を。愛しましょう。私の愛する人を。

愛だけが私を救うのです。魂の穢れから自らを防御しましょう。穢れは、呪詛からまれます。自らの品位を保ちましょう。せめて魂においては、何ものにも服属せず、自由でありましょう。そこから、いつでも飛び立つ準備をしましょう。

2024-01-20

anond:20240120113950

精神障害には二次障害もあることを知ってくれ

彼女の「こういう性格から」は、ADHDのせいで責められ続けたことによる防衛反応で、

心を守るために相手の心を消費することを選んだってことなんだ

まり、お前は心がすり切れるまで彼女に消費されるし、消費するぞという宣言でもある

局限界が来て逃げることになるか、諦めて抜け殻みたいな人間になるかどっちかだから

好きな方をえらんだらいい

2023-11-14

彼らのラジオリスナーであるいか色々考えてしまった。私はどちらかというと、個室ビデオの話をしている澤部のファンです。

道徳正義っていうのは、その人にとっては自身の内的世界を成立させている行動規範なわけで、それに反する行動をした人がいたときに、自分を成立させているものが侵されたと感じて、防衛反応として拒否感や怒りが先行してしまうのかなあ。

そういうときに同じ価値観レベルでの対立として対処してしまうと泥試合になってしまうことが多い気がして、若干メタ視点に立てないと建設的な議論にならないのかな。

2023-09-13

anond:20230913080150

コロナ感染プロセスを考える。

・他の感染者の吐き出した飛沫が鼻腔の粘膜に付着する

・異物侵入にたいする最初防衛反応は、くしゃみやせきで物理的に吐き出すことになる。

・ところが、マスクで蓋をされているので、飛沫はマスクに留まり、再び、吸い込まれてゆく。

最初感染箇所が1カ所だったので、白血球などの免疫が増殖を抑えることに成功していたが、

くしゃみのたびに、コロナが再侵入して別の部位に感染してゆくので、

白血球の処理が追い付かなくなり、大規模増殖を許してしまう。

発症する

他人うつさないためのマスクは、自分の体内の感染を拡大させる。

そんな気がしてならない。

2023-09-08

anond:20230908224126

自分相手にされないからと他人大衆家畜呼ばわりしたくなるというクソ原初防衛反応に素直に従う様を知能が高いとは言わない。

人間関係という避けて通ると大損をこき、自分自身をも蔑ろに扱う事へと繋がる要素にどれだけ向き合えるかを知能が高い人間は考える。

斜めに構えてやり過ごす時期が長引いて化け物になる前に、真摯に向き合うもんなんだ。

2023-08-24

女性の性欲事情10

他の女性と性の話をしたことがほぼないので一般的事情は分からないけど自分感覚で書いてみる。

1.エロい気持ちになってない時に濡れることは無い

レイプされた時に防衛反応的に濡れることはあるらしいがこれはあくま一般的な状況の範囲での話)

ただし、触らない限り自分でも濡れているかは分からない。さすがにパンツヌルつく程の場合は分かる。普通に生活していてなんの興奮もなく濡れてることはないと思われる。

おりものは別。普段から出ている分泌液が普通にパンツにつきます。(それが嫌な人は生理中のナプキンとは別におりものシートを使う)

2.エロいと思ったときに必ず濡れるわけではない

まず上記の通り触らないと濡れているのか自分でも分からないのだけれど、出産前は正直なところ興奮即濡れてたと思う。産後全然濡れなくてローションを使わないと無理だった。ただこの辺はすごく人によるんじゃないかという気がする。ホルモンバランスの影響が強そう。

3.思春期くらいかエッチものは好き

自分小学5年生くらいから父のスポーツ新聞アダルト欄をこっそり読んでいた(ただし知識はなく挿入って何?状態)。でも興味の無い人は多分ハタチくらいまで全然興味無いんじゃないかな?隠してるだけ?幼少期は興味なかった気がするけどこれも人によると思う。かっこいい男の子保育園の頃から好きだった。

4. 老いてもエッチものは好き?

からない。出産直後はマジで性欲とかゼロになってほんとにどうでもよく、赤ちゃん第一脳になってたけど、その後数年経ち前ほどではないにせよ元に戻ったかな。でも産前より重要度は低下している。更年期以降どうなるのか分からない。

5.男の裸とかチンコを見たとて何も思わないんだが…

アイドルファンとかが男の乳首を見てネットで盛り上がってたりするので普通は興奮するのか?イケメンが素敵な裸体を晒していても鍛えてて偉いねぇくらいの感想若い頃は映画で濡れ場が出てきたら興奮してたけど、シチュエーションとかセクシーな女の人に自分を重ねて興奮していたと思う。イケメン自分発情していること(妄想)に興奮するという感じ。

6.街中にセクシー写真とかセクシー萌え絵とかあると嫌

日常生活エロ要素を必要としてないので、なんでこんな公共の場掲示するんだろうと思う。自室の中だけで十分でしょという感じ。

(思うだけで抗議活動とかしたこといから皆さん怒らないで…)

7.日常男性エロいなと感じたりしない

これは人によると思う。めちゃくちゃ感じてますけど?!て人も多分いそう。自分は「かっこいいな〜」「好き」とか若い頃はすぐ思ってたけど、エロいことしたいとかまでは考えてなかった。

8.男性衝動のような性欲ってない

好奇心フィクションを見ての同じような体験をしてみたいという気持ち自慰セックスによる気持ちの良い体験を経ての性欲という感じ。興味もないしフィクションも見ないし自慰セックスもしないって人は多分全然性欲がない気がする。女性知識経験と開発次第だと思う。

9. 「たくさんの男性セックスしたい」とかは全然無い。妊娠する危険性を男はもっと考えろやと思う。

漫画アプリエロ漫画を割と読むのだが、男性向けだとすぐ生で入れない?そんなことない?外に出せば良いと思ってる感。すぐ中出しするし。あの後別にアフターピル買ったりしないんだろうなぁ…

女性向けだと必ず(もちろん例外はあるでしょうがゴムを着ける場面が描かれる。「ゴムが無いから買ってくるから待ってて」とかいちょっと間の抜けた場面とか、「(男友達から無理矢理渡されてたけどマジ感謝)」みたいなやる気満々で会いに来たわけではないんですよという言い訳みたいな場面とかもよく描かれる。

ゴムを着けない奴が相手だと「そんな男やめとけ」コメントコメント欄が埋まると思う。フィクションでもそこは気になるというか、相手好感度めっちゃ上がる。

10. 恋愛感情愛情重要

これも人によると思うけど、ある程度好きじゃないとできないというか、やる必要を感じない。でもすっごく上手な人としてみたいという気持ちは正直あります

anond:20230823012734

2023-08-22

そういう意味では男の勃起は女の濡れると同じなんだよな

それこそ昭和エロ漫画官能小説的には

「女のマンコが濡れるのは女が感じ始めた記号表現

で、特にレイプものでの鉄板描写(こいつ濡れてきたぞ! 無理やり犯されてるのに感じてやがる! みたいなやつ)なんだけど、実際には快感に限らず身体防衛反応でもあって、とりあえずマンコになんか突っ込んでたら濡れるんだよね。

それは単なる生理現象しかない。

男の勃起も同じで、何らかの要因で性的に興奮したりチンコを直接刺激されたらとりあえず勃起するもんで、やっぱり生理現象しかない。

そらまあ「愛のあるセックス」の方がより興奮するという性癖の奴(大半の男はそうだと思うが)なら、愛のある相手の方がより勃起やすくはなるだろうが、結局勃起勃起なんだよな。

まったく愛のない相手や、極論同性であっても、上手いローションテコキされたらガチEDマンじゃない限り普通にフル勃起ちゃうんじゃないかなあ。

大元増田

愛してない女性の裸見てどうして興奮するのか理解できない、そんな有様で

どうして自分を許せるのか、と言ってた。

これもなあ、仮にその仮想男がガチでそう言っていたとしても、興奮しなくても何らかの刺激でいくらでも勃起するという大前提(例えば朝勃ちだってまあそうよな)においては、

勃起はするが興奮しているとは言ってない」

になるわけで、ギリギリ整合性は取れているような気もするが、じゃあその仮想男は彼女とのセックス以外で勃起する度に「これは興奮してるからじゃない」って自分に言い聞かせてんのかな。

めちゃめちゃ滑稽だが、考えてみれば「この勃起は興奮したからじゃない」て言い張る分には何とでも言えるよなw

anond:20230822084512

2023-08-16

創作趣味をしてる人がそうじゃない人を区別する現象って

大なり小なり「創作趣味をかじり始めて日が浅いビギナー」がだいたい通るやつだと思う。

創作趣味を持つ人を過剰に特別視したり、持たない人を「消費だけのお客様」と無駄に下に見たりするやつ。

 

自分作曲DTM趣味を始めて15年ぐらい経つ。今は身辺が忙しくてあんまりできてないけど

少し前まではインターネット上の動画サイトに曲をアップしたり、音系の同人即売会作品持っていったりしてた。

始めて最初の頃は、友人の間で作曲したりネットの人と交流したりしてるのが自分だけだったこともあって、

自分はみんなと違うことができる人間なんだ」みたいな優越感に近い気持ちになったのを覚えている。

 

でも、例えば自分の友人知人でも、フットサル手芸みたいに自分が苦手な分野を楽しんでる人がいたり、

ワインに詳しいとか釣りが好きとかみたいに自分が知らない趣味世界を知ってる人もいるし、

それと並べたら自分けがそんな特別なことをやってる訳じゃないよな、と思うようになった。

 

それでいうと「創作者」と「消費者」の二項対立で人を切り分けるのって、

趣味全体の世界は広いのにすごく狭い範囲の話をしてるイメージだと思う。

 

ただ、ビギナーじゃない創作歴でも「自分が思うような反応がもらえてなくて燻った気持ち」の時には

自分が思ってるほど大した作り手じゃない』ってことを認めたくない防衛反応として

創作活動している私はただの消費者とは違う、って考えるマインドになったり、

特に現代Twitter等のおかげで、有名な作り手と自分が同じ土俵にいると錯覚やす環境にあるし)

仕事やら人間関係やらで他に自分アイデンティティ確立できてないタイミングだったら

創作趣味に拠り所を求めてそう考えちゃったり、というのは自分実体験含めてあると思う。

 

 

いずれにしても、創作趣味を始めた人が一時的にかかる「はしか」みたいなものなので、

どこかで見かけてウザって思っても「あー、あるよねそういうの」ぐらいで生暖かく見守ってあげてほしい。

まぁでも、本当はわざわざその優越感を表に出して他人を腐す必要は全く無いとは思う。

2023-07-23

つの時代にも家電を使えない人っている

anond:20230723164847

そもそも洗濯機が出てきたときにも「手で洗った方が早い」と言った人はいただろうし

掃除機が出てきたときにも「ホウキの方が静か」と言った人はいただろう

新しい何かが出てきたときに、その利点を最大限活かして自分人生を豊かにできるかどうかは意外と難しいんだろうな

結局は自分の何かを変えることで自分生活を楽にできる人じゃないと家電だろうが人だろうが使うのは難しくて

人の意見を聞かずに自分勝手に生きていくとスピリチュアルな人が生まれるんだろうな

ミニマリストが最強」

なんて言ってるのはまさに「自然派が最強」と同じぐらいのニオイがするし

防衛反応として自分価値観を変えられない人って結構いるよね

2023-07-01

.摂食障害の太りたくない気持ちのなぞ


「やせているとなぜか安心」「体重を増やすのは怖い」と感じているのはなぜでしょうか?

拒食症の「やせ」にはメリットがあるのです。やせると「嫌なことをそれほど嫌とは感じない」「つらいことも耐えられる」という心理の変化が起こります

これはストレスへのひとつ防衛反応です。カロリー計算運動などやせることにのめりこんで、他のことを考えないようにするという不適切な反応が出てしまます

「やせていればなぜか安心だった」、「いやな現実を考えないで済む」、「周囲が優しくしてくれる」、「失敗してもやせのせいにできる」、「やせることだけが今までで一番の達成感」と感じてしまます

2023-05-17

anond:20230516172647

被害者防衛反応だよね

だってさ、ジャニー否定したらそんなやつにそんなことをされていた自分ゴミみたいじゃん

2023-03-23

サボりだと思ってたら精神病だった。みたいなの

精神病の走りって

たから見たら「完全なサボり」にしか見えない症状が出るんだよな

ぼーっとしてるとか。ニアミスが多いとか。異常なほど仕事が遅いとか

返事がおかしいとか

でもそれって、すでに限界が来てて、これ以上精神が壊れないための防衛反応なんだよな

それを単なる社員怠惰だと思ってバカ上司が強く叱責したり

強いストレスがかかるような言い方すると

発病して休職になるんだよな。

数日休息すれば回復するようなものでもアホな上司が何ヶ月も使い物にならなくする。

このパターンはみんな知っておいた方が良いと思うな。

 

アホな上司は「発病してるんだったら自分が何言ったところでダメだったでしょ」って言い訳するんだけど

まあマネジメント下手くそ一馬力潰したのお前だよね

2023-03-16

ジャンプ+の読み切り鹿野くんって美味しそうだね」が良すぎたので

最&高作品感想を書く。ジャンプ+は莎々野先生に「マリトッツォだっつてんだろ」でアナログ部門賞をあげた責任を取ってさっさと短編集を出して欲しい。

本作があまりにも性癖クリティカルヒットしたので思わず筆を取ってしまった。

何が最高かって、キャラも可愛くて純愛で、そして適度に闇があっても作品根本には人が人を想う思いやりにあふれているところ。空気感がエモくて二人の関係恋愛ゴッコから運命恋人に変わっていく流れも最高だし、何より溢れ出す感情言葉にできず涙としてしか吐露できないシチュフェチの筆者にとって終盤の展開が死ぬほど刺さる。

ただ、作品ステレオタイプに「ヤンデレメンヘラもの」とラベリングしてちゃん物語を読み解いていない人が散見される。それはとてももったいないので、後ろで自分なりに補足を書きたいと思う。

かわいい

とにかく鹿野くんも狩谷さんも可愛すぎる。狩谷さんにうでギュッってされる度に「アッ」とビクンビクンするのは、女、いや人慣れしなさすぎてまさに野生のシカみたいだし、自分から振ったくせに泣きながら揚げ物かじる姿は滑稽可愛いし、初デートで初めてばかりの経験に目をキラキラさせて精一杯楽しもうとしている姿も素直でかわいい

「語尾にハートがつくような甘々口調でしか恋人献身的で可愛くておっぱい大きな女の子」だけど「実は傷を抱えていてバイブル少女漫画)に書いてない自分本音晒すときうつむいてつっかえてながらでしか喋ることができない」ギャップヒロイン(狩谷さん)みんな大好きでしょ? 少なくとも筆者は大好き! あと作中に出てくる二通の狩谷さんの手紙便箋デコっているシール女児みたいでめっちゃ可愛い。髪の毛が細いから毛が浮いて輪郭がホワホワしているところも好き(懺悔すると、筆者は別れ話を告げられた時の狩谷さんのどんどんと感情が抜けてゆく目と回らない呂律という可哀想てんこ盛りのシーンにちょっぴり興奮してしまった。)

でもやっぱり一番好きなのは、二人の最後のページ顔だよ。狩谷さんの笑顔キスで照れて赤面している可愛い鹿野くんに向けられて、鹿野くんは狩谷さんの真っ直ぐな笑顔ますます照れてしまう。無限機関はここに実在した。

ヤンデレメンヘラ描写について

本作の感想ホラーだとか鹿野可哀想だとか漫画の(しかも絵だけの)表層しか理解していない意見散見されたが、狩谷さんをメンヘラと呼ぶのは(一応)正しいけどヤンデレは間違いであって、本作のストーリーライン理解していない発言である。狩谷+鹿野を指してヤンデレメンヘラに捕われた彼くんと考えるのを止めるのは、作者のミスリードに見事に引っかかっていると言えるだろう。主人公の狩谷は一見愛が重くて行き過ぎた愛情表現をする少女に見えるが、実際はかつて元カレの心ない言葉で酷く傷付けられ心に呪いを受けて苦しんでいる怪我人であり、本作はその彼女鹿野の若く真っ直ぐな愛で呪いから解き放たれる物語である

作中の時系列に従うと、狩谷の心境の変化は次のように説明できる。

  • しかし、元カレにかけられたその呪い鹿野の「自分は狩谷さんが好きだから一緒に居たい」という言葉、そしてその後の「恋している人はみんな馬鹿だ」「あなたおかしいなら一緒におかしくなるから」という頭がおかしくたってそれが普通なんだという告白で解呪されました。目の前の鹿野くんは真っ直ぐに私のことを好きだと言ってくれていて、私は頭がおかしくないしそれが普通なだって。(余談だけどp61の「狩谷さんに一回ぐらい殺されそうになろうと 狩谷さんを受け入れる選択をする」と告げる鹿野を無言でじっと見つめる狩谷さんの涙の跡が残る顔が、強く睨んでいるようにも惚けているようにも見えてめっちゃ好き)

元カレに傷付けられた心も癒えて、お互いの想い合う気持ちも伝えて、あとはもう二人が人生の終わりを迎えるまで何度も生きてきた中で最高のキス更新していくだけだよ!!!!!! ラブあんハッピー!!!!!!!!! お幸せ!!!!!!!!!!!!

鹿野くんは光の彼くんなのか

軽く流し読みしただけだと鹿野くんは病んでる狩谷さんを都合よく支える彼くんに見えるかもしれない。しかし、ちゃんと彼の発言分析するとそうではないことが分かる。前述したレストランの一幕、ラブラブカップル専用ジュースを頼む奴らなんて頭がおかしいという近くの席から聞こえる陰口に、彼はそんなこと言う奴らの方がモテないしブサイクだとこちらも大概な偏見丸出しの発言をする。自分自身が陰口を打つ彼らと同じ側の人間であることを証明しているのである(「アッ(気付き)」とか漏れ出る情報から分かるように腐れオタクだしね…)。そして傷ついたからと独善的に狩谷さんに別れを切り出すところもそう。自分彼女と付き合う自信が無くなったくせに「彼女元カレを忘れられないから」と欺瞞を重ねて一方的彼女に別れを告げるのは、頭でっかち自分のことしか考えていない独りよがり非モテの発想他ならない。

これらの事例から分かるように、鹿野くんも年相応に青くて不器用少年なのである。これまで彼女が居たことがなく、作者曰く「中学生の頃は教室の隅でニヤつきながら、如何にリア充が害のある生き物であるかを友達と話し、そんな会話がなんだかんだ肌に馴染んでいた」少年だ。だからレストランの時に彼女に言った「恋愛していると皆バカになる」という発言実体験を伴わない聞きかじっただけの知識披露しただけだろうし、相手が狩谷さんではなければ上から目線ウザみたいに思われていたかもしれない。しかしその時彼の前に座っていたのが狩谷さんで、しかもその言葉元カレに淡い恋愛観をへし折られ傷ついている狩谷さんにとって最も必要ものだった。彼がこの発言をしたのは自己肯定感が低いオタクからというのもあるのだろうが、ただの偶然だとしても、その偶然の積み重ねが運命なのである

そして彼の最も偉大な功績は、狩谷さんに対して真摯に向かい合い続けて、自分の素直な気持ち楽しい、嬉しい、一緒にいたい)を伝え続けたことだ。元カレの心ない言葉に傷ついて自分恋愛観が信じられなくなっていた狩谷さんにとって、真正から彼女気持ちを受け止めて感情を伝えてくれる彼の存在特効薬だった。二度目の「恋している人はみんな馬鹿だ」は彼女デートして浮かれてしまった自分体験に根ざした、心から気持ちだし、真剣に、本当に正面から彼女気持ちを受け止めて打ち返したのは本当にすごいことだ。

まだ青いけどいい奴なんだよな鹿野くんは。狩谷さんを一方的に振った後も泣きながら一人で反省していたのだろうし、「俺は狩谷さんのことが好きだからです」以降は覚醒して包容力化身と化しているし。正直告白以降の鹿野くんは光の彼くんと言ってもいいと思う。もう鹿野くんがいる限り狩谷さんは大丈夫だろうけど、へんにスカしたりせずに素直なままでいるんだぞ。

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