Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                

タグ

Leonardo da Vinciに関するBasilio_IIのブックマーク (2)

  • カテリーナの微笑 | レオナルド・ダ・ヴィンチの母 | みすず書房

    歴史家である著者は、フィレンツェ国立古文書館でカフカス出身の奴隷カテリーナの解放証書を発見した。起草者は公証人ピエロ、すなわちレオナルド・ダ・ヴィンチの父であった。 持つものすべて、身体、自由、未来を奪われたチェルケス人の女奴隷。彼女がレオナルドの母なのか。関連史料を総動員して謎を解く、壮大な歴史小説である。 15世紀、光と闇が交錯する地中海世界。少女はカフカスの高原で捕縛され、ドン川河口の古都ターナへ。黄金色のドームが輝くコンスタンティノープルをへて奴隷交易の中心地ヴェネツィア、そしてルネサンスのフィレンツェからヴィンチ村に至る。各章の語り手は、東方を夢見た商人、ガレー船の船長、ロシア人の女奴隷、典籍収集家の騎士、破滅の縁を経験した実業家など、実際に歴史の中に生きた人びとである。 レオナルドは幼少期をカテリーナと過ごした。自然や宇宙の見方、生きとし生けるものへの愛、部族の神話や伝説、天使

    Basilio_II
    Basilio_II 2024/06/08
    レオナルド・ダ・ヴィンチの母がカフカス出身の奴隷だったとの新説を元にした歴史小説の邦訳か。
  • ダビンチの母、カフカス地方出身の奴隷 伊研究

    レオナルド・ダビンチの母親に関する新説を元に書かれたカルロ・ベッチェ氏の新刊。イタリア・フィレンツェで(2023年3月14日撮影)。(c)MARCO BERTORELLO / AFP 【3月15日 AFP】ルネサンス美術の象徴、レオナルド・ダビンチ(Leonardo da Vinci)が、カフカス(Caucasus)地方から連れてこられた奴隷女性とイタリア人男性との子どもだったとの新説が14日、発表された。 ダビンチは1452年、伊フィレンツェ(Florence)郊外の田舎で生まれ、国内各地で暮らした。1519年にフランス国王フランソワ1世(King Francis I)の招待でアンボワーズ(Amboise)滞在中に死去した。 母親は長年、伊トスカーナ(Tuscan)地方の小作農だったと考えられてきた。しかし、ナポリ東洋大学(UNIOR)のカルロ・ベッチェ(Carlo Vecce)教授は、

    ダビンチの母、カフカス地方出身の奴隷 伊研究
    Basilio_II
    Basilio_II 2023/03/16
    解放が1452年だとしたら、まだビザンツ帝国が存在していた時だ。
  • 1