中抜き(中間業者の排除→ピンハネ) 透明化(可視化→不可視化) 完全に反転するならまだしも文脈によって混在していて害悪すぎる。あと一つとかどうでもいい
人間性を根本から否定して突き落とすような凄みがある。 たとえば「ウザい」とかは言動に対する悪口だけど「キモい」は存在に対する悪口なんだよな。 自分の全存在が「キモい」の一言の下に問答無用で切り捨てられてしまう。 そこには抗弁の余地がない。逆転の希望もない。 ゴキブリが何をしても愛されることはないように、おまえも存在自体が不快でしかない。 せいぜい陰に隠れて、人目につかないところで生きていくしかない。 そういう悪口なんだよな。
・キボンヌ ・あぼーん ・香具師 ・と言ってみるテスト ・乙 ・リア充 ・うp ・微レ存 ・ただしイケメンに限る ・カキコ ・漏れ ・ノシ ・〜なう ・かゆうま ・ぬるぽ ・クレメンス ・サンガツ ・スパダリ ・オギャる ・いってよし ・通報しますた ・飛ぶぞ ・ぴえん ・もちつけ ・^^ ・くぁwせdrftgyふじこlp ・禿同 ・猫ミーム ・ひき肉です ・かわちい
「上澄み」とはもともと、液体中の不純物が下層に沈んだあとの、上層に近い綺麗な部分のことを言う。そこから比喩的に「全体における良い部分」のことを指すようになった。 ところが、そうした用法は近年広まった誤用である、という主張がある。「上澄み」はネガティブな意味で使われるべきだ、というのである。 最近気になってる日本語「上澄み」。 上澄みをさらう(すくう)、といった慣用表現があり、それは「表面的な理解」といった意味と認識していた。 用例:そんな上澄みをさらった程度で○○を理解できたと思うなよ しかし最近よく聞く誤用なのか拡張なのか…逆の意味で使われているのをよく見る。 用例:葬送のフリーレンのクヴァールって、序盤に戦ったキャラなのに実はめちゃくちゃ強かったんだな。こいつ魔王軍の中でも上澄み中の上澄みだね。 「クヴァール 上澄み」で検索するとめちゃくちゃ出てくるこの用法。 強さの評価で上澄み、と言
いや、おれも知らん。 と思ったのでググってみた。これは社会学用語なんだな。 文化資本(英語: cultural capital、フランス語: le capital culturel)とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。社会階層間の流動性を高める上では、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合もある。 wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC) フランスの社会学者ピエール・ブルデュー,P.(Pierre Bourdieu, P.)とジャン=クロード・パスロン,J-C.(Jean-Claude Pass
・すわ◯◯◯ ・やんぬるかな ・やらいでか ・まんじりともせず ・果たして ・なまじっか ・ゆめゆめ ・笑止 ・ええいままよ ・あいわかった ・なかなかどうして ・南無三 ・片腹いたし ・あまつさえ ・ごきげんよう ・けだし ・ちょこざいな ・待てよ? ・あなた by増田
・みんながんばってるんだよ? ・一番辛いのは本人だから ・死ぬ気でやろ?死なないから あと一つは!?!?!?
風呂でふと思いついたんだが、これまでのなんたらパフォーマンスって、自分が使えるなんたらの節約じゃないか? コストパフォーマンスって可処分資産の節約だろ。 タイムパフォーマンスって可処分時間の節約だろ。 それで考えると、あと節約したくなるものってあれしかないだろ。自分の心の余裕、可処分精神しかないだろ。(どうでもいいけど、マインドシェアって言う奴マジで居なくなったよな) それで考え直すと、上の2つは可処分精神の節約に内包されてるんじゃないのか。 コスパがいい→「値段高!ただでさえ金がないのに、こんなに金掛かるのかよ!」というイライラに思考を取られない タイパがいい→「動画長い!ただでさえ時間がないのに、こんなに待たされるのかよ!」というイライラに思考を取られない どっちも、イライラに思考を取られないのが良いんだろう。ならそれが主体だ。 ということでキャッチーな略称にしたいが、いい単語が全然見
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