Googleのかの有名なオフィス空間ですが、あれにももちろん設計した人がいるわけで。ニューヨークのワークプレースコンサルタント会社DEGWと、ロサンゼルスに拠点を置くClive Wilkinson ArchitectsがカリフォルニアにあるGoogle本社の設計及びデザインを担当したそうです。 長い会合を重ねてたどりついた新しい職場デザインの構想は、クリエイティブな活動を行うため、そして働くという概念をリラックスするというものに変えるために、オープンなオフィス空間を目指すというものになったそうで。 さらなる詳細は以下の通り。今まで未公開だったGoogleの初期オフィス案や珍しいオフィス全景などもあります。 Behind the Glass Curtain | Metropolis Magazine 基本的にはマイクロソフトが「キャンパス」と呼ばれるように大学を意識して本社を設計したのに対し
2006年01月21日23:27 カテゴリ思ったこと 高架下風景についてTweet 今日のデイリーポータルZに書いた「高架下の風景を観賞する」に関して。 本文中でも触れたが、首都高が覆いかぶさる日本橋は、東京における都市計画のまずさを象徴的に表すものとして良く取り上げられる。たとえば、「美しい景観を創る会」(代表・伊藤滋早稲田大学特命教授)もこれをやり玉に挙げている。 その通りだと思う。その通りなんだけど、こういう風景に惹かれる自分がいることにぼくは自分でむずむずする。ただのニヒリズムと言ってしまえばそうなんだろうけど、こういう人たちが言う「美しい景観」ってなんなんだろう、とも思う。 この会は「悪い景観100選」を選ぶらしいのだが、日本橋の他に銀座のマツモトキヨシ、巨大な看板が並ぶ郊外の道路、コンクリートで三面が覆われた神田川、農村地域の電線・電柱などを選んだという。 銀座のマツモトキヨシ
新宿といえば、東京いや日本を代表する繁華街だ。でも、私が小学生のころの新宿は、まだまだ戦後の面影をあちこちに残していたものだった。 そんな場所が1つ消え、2つ消えして、昭和の末まで残っていたのが、新宿駅南口と東口の間にあった(現・東南口付近)、いわゆる「御大典広場」の周囲だった。 いまでは、若者たちがひっきりなしに行き交うこのあたりも、昭和の終わりまでは、休日ともなるとひっそりとしていたなんて、若い人たちには信じられないだろう。 今回は、それに加えて、東口から歩いて約10分の新宿二丁目にあった、遊廓跡の木造建築もご覧にいれよう。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2006年の写真が見られます。 現在の新宿駅東南口広場のあたり。右側が新宿駅。画面の奥を左右に甲州街道が走っている。正面には、御大典広場の店々の裏側が見える。 このあたり、昭和20年代ころは一般人は近づいてはいけない
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