この項目では、1955年9月にアメリカ統治時代の沖縄(現:沖縄県中頭郡嘉手納町)で発生した幼女殺害事件について説明しています。1970年2月に富山県富山市で発生した幼女殺害事件については「由美子ちゃん誘拐殺人事件」をご覧ください。
生前の恵美さんの様子を語る當山さん。恵美さんは足の悪い當山さんに「大丈夫?」と声をかけ、いつもいたわっていた 「出勤中、恵美ちゃん(仮名)に会うといつも“おばちゃん”と手を振って挨拶してくれて、私もそれに“おう”と答えるのが日常でした」 と、話すのは、生前の仲村恵美さん(享年20)=仮名=と親交のあった當山淳子さん(70代)=仮名。 元米軍海兵隊員 「恵美は孫のような存在でした」と、當山さんは指先で目頭を押さえた。 恵美さんは昨年4月28日、同居していた交際相手に「ウォーキングに行く」と連絡したのを最後にうるま市の自宅から行方不明になった。 事件が大きく動いたのは同年5月中旬。沖縄県警は18日、米軍嘉手納基地で働く軍属の男を任意聴取、19日、男が供述した恩納村の雑木林の中から変わり果てた姿の恵美さんが見つかった。警察は同日、死体遺棄の疑いで男を逮捕した。 男の名前は、シンザト・ケネフ・フラ
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米軍とマングース 終戦直後、アメリカ統治下の沖縄について、島袋善祐には鮮烈な記憶が残っている。 「これからは、民主主義です、もう戦争はありません、と偉い人は言うよ。でも、夜になれば、米兵が女を襲いに来るさね。へい、奥さん、姉さんと来るさ」 島袋は、毎晩のようにやって来る米兵から、どうやって母や姉を守るか、悩んでいた。思いついたのは、家の中で一番大事な床の間にのこぎりを入れて、床下に隠れ場所を造ることだった。 「ここをのこぎりで切ってね、おかあさんとお姉さんをそこに入れて、女はいませんと。玄関にも大きな靴を置いて、女はいませんと」 「男しかいない」と、いかに信じさせるか――それだけを考えた。 幸い、島袋一家はなんとか難を逃れたが、集落内では米兵による婦女暴行が相次いだ。沖縄では子どもが生まれると、隣近所が集り、お祝いする風習がある。 あるとき、集落内で、「絶対に来ないでくれ」と、来訪を拒否す
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