日本との戦争最終局面の1945年6月、当時中国を統治した中華民国・国民政府が作成した日本人戦犯リストのトップに「日皇裕仁」(昭和天皇)が掲げられたが、終戦直後の9月のリストからは消えていたことが分かった。 蒋介石主席の意向で決まったもので、連合国・米国に追随する方針のほか、共産主義の拡大防止という背景があった。米スタンフォード大学に保管される「蒋介石日記」でも同年10月下旬、「日本戦争犯罪人を既に裁定した」と記されており、終戦後の早い段階で「天皇免訴」が決定していた。 時事通信が中華民国の外交文書を公開する台湾の「国史館」や国民党史料を所蔵した「党史館」で入手した複数の戦犯リストや内部文書のほか、「蒋介石日記」の記述で判明した。 国民政府は終戦前から、戦犯リスト策定に着手しており、45年6月に軍令部が「侵戦(侵略戦争)以来敵国主要罪犯(犯罪人)調査票」を作成。戦犯トップに「陸海空軍大