一冊の書物は世界の真理をどのように収めようとしたのか。 古今東西の辞典、神学書、哲学書、歴史書といった書物を各専門家が一冊ずつ選び、 その内容と時代背景と造本について濃密に論じる、刺激的な11の論考集。 前 言 松田隆美・徳永聡子 プラトンの近代校訂本 ―― 古典文献学への招待 納富 信留 中世の聖遺物礼拝と文書 ―― モワサック修道院の写本をめぐる考察 杉崎泰一郎 ダンテ『神曲』の世界 藤谷 道夫 世界を読み解く一冊の本 ―― ヨーロッパ中世・近代初期の象徴事典の系譜 松田 隆美 「キリストの系譜」の視覚表象 ―― 中世の英国における伝統と継承 原島 貴子 フランチェスコ・コロンナ 『ヒュプネロトマキア・ポリフィリ』の世界 伊 …… 【編者】 松田隆美(まつだ・たかみ) 慶應義塾大学文学部教授(中世英文学、思想史)。ヨーク大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。 主要業績:『
今日は、画像のシーン認識の歴史について、データセットを中心にまとめてみたいと思います。 シーン認識というと人によっていろいろ違うものを想像する気がしますが、ここで扱うのは単純な画像全体のカテゴライゼーションの問題です。 Caltech101みたいな物体認識とは何がちがうんだ?と思われるかもしれませんが、実際のところ明確な区別はありません。少なくとも現在では、技術的にもほぼ同じ枠組みで扱われることがほとんどです。私が思う違いを強いて挙げるなら、物体認識は画像中の特定領域に対象を関連付けることができる(すなわち、検出ができる)のに対し、シーン認識はあくまで画像全体との対応である場合が多いことでしょうか。 以下、代表的なデータセットを古い順にいくつか紹介します。 データセットの名前は、開発者の頭文字+クラス数で呼称されているものが多いので、ここでもそれにならいます。(最近はそうでもないですが)
戦後再刊した徳島新聞の第2号となる1945年10月2日付の新聞=写真=が大津市の新聞収集家山名隆三さん(79)宅で見つかった。紙面では、印刷機が設置された機械室の様子を伝える写真に「起上がつた(起き上がった)徳島新聞」との見出しを添え、再出発の決意を表す記事を掲載している。これまで徳島新聞が所蔵していなかった貴重な資料で、山名さんは紙面を徳島新聞に寄贈した。 再刊第2号はA2判2ページ。徳島新聞の再起を伝える記事は2面に掲載し、「歪められた筆の時代は去つた(去った)のです。お約束します。正しい真実を皆様に報告することを」との決意を記している。 1面では、連合軍司令部が外地の金融機関を接収することや、財閥の解体が迫っているニュースを報じている。 徳島新聞は45年7月4日未明の徳島大空襲で徳島市幸町にあった社屋が焼失し、輪転機は鉄くずになった。7月5日付~8月3日付は、板野郡(現在の鳴門市)撫
自由曲面実現の歴史 すでに WWI とも APT とも関係ないのですが、APT 関連で調べた「ついで」に記事にまとめておきます。 3D-APT III を作ろうとして、ロスが悩んでいた「3Dの形状定義」のその後について。 現代の知識をもっていえば、ベジェ曲線、スプライン曲線、NURBS曲面の開発の歴史です。 ここまでのあらすじ(笑) 1958年に作られた APT というシステムは、数式で定義した形を実際に手に取れる物にする、今でいう 3Dプリンタのような機能を持っていました。 しかし、当時の技術では直線と円弧を組み合わせて図形を作るのが精いっぱい。システムとしては滑らかな曲面を作り出す性能を持っているのに、狙ったような曲線・曲面の「式」を求める方法がわからないのです。 とはいえ、直線と円弧だけでも当時としては画期的。システムは広く使われるようになります。 …曲面を作り出す方法は、世界中の数
世界初の電子式卓上計算器は英国Sumlock-Comptometer社が真空管(実際にはネオンガスを封入した管)を使って開発した「アニタ・マーク8(Anita Mark 8)」で,1961年10月のロンドン博覧会に出品された。私が勤めていたビジコン社(旧社名は日本計算器販売)はこのアニタ・マーク8を見つけて日本に輸入し,販売したが,高価過ぎて日本ではあまり売れなかった。しかしアニタ・マーク8は日本メーカーの電卓開発に大きな影響を与えた。 計算器の計算手段は,アナログ式の計算尺から,機械式手回し計算器,モーターを使った電動計算器,リレー式計算器,そして真空管を使った電子式卓上計算器(電卓)へと進化した。やがて,1951年に開発され「回路の時代」をもたらしたトランジスタや,ダイオードが使われるようになった。1964年には,トランジスタを使ったシャープの「CS-10A」やキヤノンの「キヤノーラ1
徹底した裏付け取材により、大きな評価を得たドキュメンタリー『南京事件 兵士たちの遺言』(日本テレビ)に対し、「『虐殺』写真に裏付けなし 日テレ系番組『南京事件』検証」なる批判記事で襲いかかった産経新聞。 本サイトでは先日、その産経記事の内容が、事実誤認に嘘、いいがかり、詭弁、デマゴギーだらけであることを詳しく解説したが、産経はそれまでも歴史修正主義を「歴史戦」と言い換えて、“南京事件は中国のプロパガンダだ”とがなりたててきた。 たとえば、14年2月16日付「『大虐殺なかった』は正論だ」(論説委員の持ち回りコラム「日曜に書く」)では、作家・百田尚樹の「南京大虐殺はなかった」という発言が朝日新聞などで批判された件について〈ほとんど間違っていない〉と全面擁護し、NHKが01年に慰安婦問題などを題材に放送した『ETV特集 問われる戦時性暴力』を「偏向番組」と批判。こう主張している。 〈「南京大虐殺
不思議ネット とは 不思議.netでは5ちゃんねるで話題になっているスレを厳選してお届けするサイトです。普段5chを見ない人でも気軽にワクワクできる情報サイトをころがけて毎日絶賛更新中!
米ワシントンにあるジョージタウン大学は、奴隷272人を売って大金を手に入れた。200年近く前のことだが、その過去に向き合い、償いに乗りだす。大学当局によると、売られた奴隷の子孫たちを優先的に入学させるなどの措置を検討している。 同大のジョン・J・デジョイア学長は、正式な謝罪を表明するとともに奴隷問題に関する研究機関の創設を計画している。また、奴隷の労働が大学の維持に貢献し、奴隷売却が大学の財政危機を救ったことなどを広く記憶に留めるための記念碑を建てる。さらに、大学キャンパスにある二つの建物の名称を変更し、一つは奴隷にされたアフリカ系アメリカ人の名前を、もう一つにはカトリック教会に所属していたアフリカ系アメリカ人教育者の名前を冠する。 学長の計画には、いまのところ奴隷の子孫への奨学金の支給は含まれていないが、この問題は大学の委員会で前向きに協議することになるとみられる。 大学への入学で、売ら
紹介 日本の農業機械の開発と農業の機械化は、岡山県児島湾干拓地から始まった! 岡山が農業機械の先駆者となった経緯をたどる。 畜力原動機の発明、外国製石油発動機の導入、地域の農業に適合した石油発動機の開発、日本型耕耘機第一号の製造、国産初のロータリー耕耘機の開発などを成し遂げたノベーションの推進者に共通しているのは、農家のニーズに即した機械をつくろうという、徹底した執着心を持って研究開発したことである。みな地域に根ざした研究開発であった。 目次 目次 はじめに 序章 研究史・地域 一.研究史概観 二.農業機械パイオニアの舞台岡山平野の干拓 三.干拓と灌漑用水 四.高位生産力地帯成立の条件 第一章 畜力原動機の開発 一.傘型畜力原動機の発明 二.畜力原動機の普及 第二章 藤田農場と大型農業機械 一.藤田農場の開発と経営 二.農業機械の開発 第三章 揚水と石油発動機 一.干拓地の用水問題 二.用
日中戦争時、日本軍が中国で捕虜虐殺を行ったとされる「南京事件」。本書は「あった/なかった」をめぐり、今なお激しく論争が続くこの事件を素材に放映されたドキュメンタリー番組の取材回顧録だ。 事件そのものに関心がなくても本書は面白い。独自取材にもとづく「調査報道」を標榜する著者は戦中に書かれた日本軍兵士の日記や編者への直接取材をもとに、事件に関する「事実」を積み重ねていく。当初中国に飛んだ折には、虐殺記念館の様子にうんざりし帰国した著者。しかし取材が進むにつれ、自身の中国に対する負の感情をも徐々に「発見」してゆく。「政治的」な「過去の」出来事と捉える限り、事件の話題は日常から敬遠され続けるだろう。本書からは、歴史を「自分に関わる」「現在の」出来事として捉え直す視点を教えられる。
辞書を見る人。フランス西部Plougonvenで(2014年11月6日撮影、資料写真)。(c)AFP/FRED TANNEAU 【9月13日 AFP】世界の言語の3分の2近くで、日常的なものを言い表すのに類似した音が使われている事例が多くみられるとする研究論文が12日、発表された。 米科学アカデミー紀要(PNAS)に発表の国際研究チームによる論文によると、音声と意味との間の関係は完全に無作為的だと考える説が、言語学の原則として長年支持されているが、今回の研究はこの説に異を唱えているという。 米コーネル大学(Cornell University)のモーテン・クリスチャンセン(Morten Christiansen)教授(心理学)は「このような音声の象徴的なパターンは、世界中で繰り返し登場する。これは、人の地理的な分散とは無関係であり、言語の系統とも無関係だ」と説明する。 コーネル大の認知神経
By Prairie Kittin 起床時や休憩中などの短い時間でもサッと手軽に作れるコーヒーは、紅茶やお茶と並んで一般家庭で広く親しまれているドリンクです。コーヒー通の人でない限り、コーヒーを豆から焙煎してドリップするということまではしませんが、一昔前までは自宅で焙煎からドリップまでを行うのが一般的でした。そんな手間のかかる飲み物だったコーヒーは、ある人物のアイデアによって作り方が一気に簡略化されたとのことで、プレゼンテーションのカンファレンスで知られるTEDが当時のストーリーをクリエイティブなアニメーションムービーにまとめています。 How coffee got quicker | Moments of Vision 2 - Jessica Oreck - YouTube 1849年にニューヨークで人気があったコーヒーショップのHopw Millsで働いていたWilliam H. Bo
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く