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girlと90'sに関するakihiko810のブックマーク (5)

  • 【初心者向け】オンラインカジノの入金不要ボーナス活用術: ボーナスを最大限に生かすオンカジ必読書

    akihiko810
    akihiko810 2017/07/14
    岡崎京子展
  • 1549夜 『ヘルタースケルター』 岡崎京子 − 松岡正剛の千夜千冊

    千夜千冊で女性マンガ家をとりあげるのは、 萩尾望都、杉浦日向子、大島弓子、高野文子についで5人目だ。 でも岡崎は誰にも似ていないし、ぼくには眩しすぎる。 ニューウェーブで痛々しく、無償の東京パンクで、 人物は四谷シモン人形っぽく、お洒落なのに心が濡れて、 ストーリーはあまりにも暗示的で、超ナイーブだ。 できればそっと、岡崎京子を読んでいたい。 2台の葛藤と矛盾の自転車が 全速力で行き交って走って、 そのあと溜息をついているような、 そんな作品を男前に描き続けてきたのは、 岡崎京子だけなのである。 少女マンガを追跡しているわけではないぼくが、もう少し正確にいうと、40代以降は少年ものや少女もののマンガ雑誌にほとんど目を通さなくなったぼくが、ふいに岡崎京子が気になりはじめたのは、思い出せるかぎりは「月刊カドカワ」で岡崎京子の特集が組まれたのを見てからのことだ。 やんちゃだけれど男前で、背景はト

    1549夜 『ヘルタースケルター』 岡崎京子 − 松岡正剛の千夜千冊
  • 「岡崎京子『pink』の作品研究:私はなぜ『pink』に魅力を感じるのか」梁知美

    大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2010年度) 岡崎京子『pink』の作品研究 :私はなぜ『pink』に魅力を感じるのか 梁 知美 はじめに 私が岡崎京子という漫画家を初めて知ったのは、一昨年のことだったと思う。大学1回生の時に受けていた授業の中で、岡崎京子の『ヘルタースケルター』という漫画が取り上げられたことが始まりだった。全身整形をして美しくなった主人公が、自分の美貌が崩れていくことによって破滅に追い込まれていくというストーリーだと紹介された。今となっては、なぜこの漫画がその授業で取り上げられていたのか思い出せないのだけれど、私はこのときに紹介されたストーリーが気になって、屋に行った時はその漫画がないかいつも気にするようになった。しかし、岡崎京子の漫画はどこの屋にでもあるわけではなく、私自身、作家の名前もあやふやにしか覚えていなかったので、なかなかこの漫

  • HIROMIX(ヒロミックス)に学ぶ、写真作品鑑賞の極意

    HIROMIXに至る流れ HIROMIX以前(と言えばまあ結構昔ですが…)、一般的に「写真」と言えば、おじさん、というか、男性がメインユーザーでした。 昭和の頃の家族のスナップ写真も、基的にお父さんが担当していましたね。 そもそもカメラっていう機械がなかなか難しげな代物であり、言ってみれば写真撮影は、機械いじりの延長みたいなところがありました。 そして機械いじりってのは大体において男子の趣味であり、その流れで趣味の写真撮影も、男子が難しげな顔をして取り組む、わりと理屈っぽい代物でした。 「女子的写真」とは しかるにカメラの技術は進歩し、誰でも簡単に撮れるコンパクトカメラが普及し始めます。 それによって、それまであまり使い手ではなかった女子の手にもカメラは浸透し、女子特有の「感覚」を生かした写真が撮られ始めます。 しかし、この段階においては、まだまだ写真雑誌に掲載されたりといった「アート的

    HIROMIX(ヒロミックス)に学ぶ、写真作品鑑賞の極意
    akihiko810
    akihiko810 2017/06/19
    ヒロミックス今何やってるんだろ
  • 岡崎京子『リバーズ・エッジ』雑論〜“まなざし“は“解釈”する〜 - 凸森の思弁的卵かけごはん

    今朝、私はコインランドリーへ向かった。私の部屋からコインランドリーへの道のりは往復5分程。非常に近いと言っていい。洗濯かごを抱えながら、“代わり映えしない風景”を、私は今日も眺めていた。その道中、私の眼に“代わり映えしない風景”の中で少し変わったものが飛び込んできた。それは台車を引いて歩く二人組のインド人。台車には“お弁当”“カレーライス”と書かれた旗が掲げられていた。インド人にしては少し肌が黒かった。そして彼らの眼は空中に浮んだ灰色を眺めるような、空虚さに帯びていた。私は彼らを見た時、どことなく哀愁を感じた。だがよく考えてみると、「“お弁当”“カレーライス”と書かれた旗が掲げられた台車を引いて歩く空虚な眼をした浅黒い二人組のインド人」を私以外の人間が見たとしたら、その時感じることは個々人で違うはずだ。また、何も感じることもなく、単なる風景として通り過ぎる人もいるに違いない。なぜこのような

    岡崎京子『リバーズ・エッジ』雑論〜“まなざし“は“解釈”する〜 - 凸森の思弁的卵かけごはん
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