今回はASCIシリーズの第1弾であるASCI Redを解説する。前回、CTBT(包括的核実験禁止条約)の話を1995年11月から始めたが、実際には1992年あたりからその動きは始まっていた。 具体的にはブッシュ(父)政権の際に、1994年度以降は核実験を行なわないことを政治決断したあたりから、CTBTの動きが明確になっていた。このため、完全な核実験は1992年9月23日にネバダ州で行なわれたのが最後である。それゆえに、1995年にCTBT批准を明らかにする前から、DoE(米エネルギー省)では規定路線となっていた。 こうした状況を背景に、1995年1月にニューメキシコ州のサンタフェにあるBishop's LodgeというホテルでDoEの関係するメンバーに加え、ローレンス・リバモア、ロスアラモス、サンディアの3つの国立研究所のメンバーも集めて、ASCIの初期戦略ミーティングが開催される。 ずい
