現役時代から一変 西武・辻監督“ミスを責めない指導”が生んだ10年ぶりV
シリーズ「もう一度投げたかった」──森慎二(後編) 前編・投げた瞬間「あっ、右腕がとれた!」の記事を読む>> 西武ライオンズからポスティング制度でメジャーリーグのタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)に加入した森慎二は、2006年の春季キャンプで右肩に違和感を覚えていた。そして、オープン戦初登板となった3月20日、マウンドに上がって3球目を投じたとき、「あっ、右腕がとれた!」と思うほどの激痛に見舞われる。 右肩の脱臼──。腕が地面にポロンと落ちてしまう......そう思って、とっさに左手で支えたほどの大ケガを負った森は、メジャーリーグという夢の舞台で、いきなり大きな試練に直面することになった。 デビルレイズとマイナー契約でリハビリに努めたが、再起はならず MLBで初めてだったピッチャーの肩脱臼 ──メジャーリーグのオープン戦初登板での右肩脱臼。なぜそのような事態になってしまったのでしょうか。
元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohirophoto by Thomas Anderson/アフロ シリーズ「もう一度投げたかった」──森慎二(前編) 2002年、2003年と2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した西武ライオンズの快速リリーフ投手は、2005年オフにポスティング制度を使ってタンパベイ・デビルレイズ移籍を果たした。だが、シーズン開幕直前、投手生命を絶たれるほどの大ケガに見舞われてしまった......。右肩脱臼で全治1年──。メジャーリーグが夢と消えた瞬間、森慎二は何を思ったのか? 右肩を脱臼した直後、激痛にうずくまる森慎二 超合金ロボットの部品が壊れるみたいに...... ──2006年、森慎二さんはメジャーリーグでプレーするためにタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)と契約し、アメリカに渡りました。当時、31歳。日本のプロ野球で9年間の実績
藤浪の記録が風前の灯 阪神の藤浪晋太郎が14日、本拠地での広島戦に先発。初回に自己最速となる160キロを計測したが、7回途中3失点で勝ち星は掴めず。7勝目はお預けとなった。 これにより、高卒1年目から続いている連続2ケタ勝利の記録更新がかなり難しい状況となった。 松坂大輔以来、2リーグ制後では史上9人目となる高卒ルーキーイヤーからの3年連続の2ケタ勝利を達成した虎の若きエース。今年は更なる進化に期待が高まったものの、今シーズンはかねてからの課題であった制球難にも苦しみ、ここまで6勝止まり。リーグトップタイの11敗を記録するなど、苦しい戦いが続いていた。 【高卒1年目からの勝ち星】 藤浪晋太郎 1年目:10勝 2年目:11勝 3年目:14勝 4年目: 6勝 日本記録は鈴木啓示 それでも、藤浪が残した記録が色褪せることはない。そもそも、高卒1年目から2ケタ勝利を挙げる投手自体が一握り。そこから
友人や知人が本人の知らないうちにオーディションへ申し込み、スターへの道が開けたという話は芸能界では珍しくないが、球界ではこの人だけかもしれない。主に1980~90年代にかけて巨人の先発の柱として活躍。このほど、殿堂入りを果たした斎藤雅樹2軍監督(50)を野球の世界へ導いたのは他ならぬ実母のユキ子さん(78)だった。 斎藤少年が小学5年生のとき、地元・埼玉県川口市の「市政便り」に川口リトル・リーグの選手募集の告知が掲載された。これを見たユキ子さんは息子に無断で応募したという。 「僕はあまりそういうのに入りたくなかった」と入団テストをいやいや受けにいった斎藤少年だったが、「やるときは一生懸命やっちゃう」と手抜きはできない性格。遠投では地肩の強さを発揮し、走力テストもまずまずの成績を残して合格し、本格的に野球に打ち込むことになった。 今では「野球を始めるきっかけをくれた」と母に感謝。今回の
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