コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何気なく使っているWindows OSやMac OS XだけがOSではありません。世界には栄枯衰退のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながらひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在します。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSを不定期に紹介していきます。今回は「Haiku」を紹介します。 時代のあだ花となった「BeOS」 時代は約20年前となる1990年。当時はバブル景気も最盛期に達しつつも、翌年から始まる平成不況の影にも気付かず、皆が日常をおう歌していました。任天堂が家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」を発売し、パーソナルコンピューター界わいでは、コンシューマ向けマシンとして発売されて
DOSに代わるOS「OS/2」 OSの話を始める前に、IBMの歴史を振り返ってみましょう。1911年にパンチカードを用いたデータ処理機器の開発会社として設立された同社ですが、現在の社名に変更したのは1924年の話。本稿を執筆している2012年は日本アイ・ビー・エム創立75周年に当たるということで、特設ページ「その歴史を振り返るWebページ」が設けられていますが、こちらでは1925年をスタートラインにしています(図01)。 メインフレームなど企業向けコンピューターでシェア(占有率)を延ばしていた同社がパーソナルコンピューター市場に進出したのは、1981年に登場した「IBM PC 5150」が最初。その頃のパーソナルコンピューター向けOSはMS/IBM-DOSのバージョン 1.0がリリースされた頃で、CP/MやROM上のBASICが活用されていた時代でした。その後IBMはアーキテクチャを刷新し
国民的人気を博した「MSX」 2012年現在、30代以上の方なら一度は耳にしたことがある「MSX(エムエスエックス)」という単語。今から30年前の1980年代に生まれたコンピューターの規格名です。当時のコンピューター業界は、各社独自のアーキテクチャを採用したコンピューター(当時はマイコンと呼ばれていました)を発売し、互いがしのぎを削っていた時代。 三宅島が大噴火し、ロッキード事件で田中角栄元首相に実刑判決が下された1983年にMSXはデビューしました。正しくは、当時Microsoftの極東担当副社長でありアスキーの副社長だった西和彦氏が、1983年6月27日に日本国内で規格を発表。その後各MSXマシンが発売され、実機が出揃ったのは翌年の1984年です。1980年前半は"8ビット御三家"と呼ばれるNEC、シャープ、富士通の三社が破竹の勢いを奮っており、パーソナルコンピューター市場に乗り遅れた
落胆のなかで生まれた「NeXTSTEP」 昨年鬼籍に入られたSteve Jobs(スティーブ・ジョブズ)氏は、Appleの共同設立者であると同時に、同社を代表する"顔"でした。パーソナルコンピューター黎明期である1970年代から現代に至るまで、コンピューター業界には数多くの人々が携わってきましたが、移り変わりが激しい同業界で名を残すのは至難の業。そのなかでも社を代表する"顔"として長年君臨してきた同氏の凄さがわかるのではないでしょうか。その同氏ですら米Appleを離れていた時期があります。 1984年。AppleはMacintoshという画期的なコンピューターを生み出したもの、その需要予測や生産計画はずさんなものでした。役員たちから経営者としての資質を疑われ、対応を求められたJobs氏が招いたのは、当時ペプシコーラの事業担当社長だったJohn Sculley(ジョン・スカリー)氏。しかし、
GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を採用したパーソナルコンピューターとして、もっとも有名なのはApple Computer(後にAppleへ社名変更)Macintosh(マッキントッシュ)ですが、GUIを最初に同コンピューターへ持ち込んだのは、同社のLisa(リサ)です。初代Macintoshは1984年1月24日にデビューしましたが、Lisaが世に登場したのは1983年1月19日。ちょうど一年前でした。 そもそもLisaの開発は1978年からと言われていますが、それを裏付ける資料は今回発見することはできませんでした。その一方で明確なのは1979年頃の同社で行われていたプロジェクト資料。屋台骨となったApple IIの後継機種と、技術的な妥協をしない高性能なパーソナルコンピューター、そして低コストのコンピューターと三つの開発プロジェクトが進行中でした。この二つ目に当たるのが今回
コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何げなく使っているWindows OSやMac OS XだけがOSではありません。世界には栄枯盛衰のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながらひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在します。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSを不定期に紹介していきましょう。今回は「Apple DOS」を紹介します。 Apple II用のDOSが存在した時代 GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)採用OSの雄であるAppleのコンピューターですが、その歴史を紐(ひも)解けば、CUI(キャラクターユーザーインターフェース)の時代がありました。時は1978年。日本ではピンクレディーの大ヒットが社会現象
マンガのように紆余曲折があり、いまだに完成していない壁紙。マスターアップは12月の頭(これマジ)だというのに、すでにプロジェクトは遅れ気味だ。 次はOSを猛スピードで開発せねばなるまい。が! ご存知のようにASCII.jp編集部は、予算が少ない。どのくらいかというと、週刊アスキーが$で予算を引っ張るのに対し、我々の単位はルピーというぐらい。 貧乏編集部が考えたOS開発作戦 編集部の机は、近所の酒屋さんに落ちていたビールケースに、どこぞのイベントで使った看板を乗せたもの。もちろん椅子なんてものはないので梱包用のプチプチを6重にして座布団として使い、窓に向かって絵をトレースするという生活だ。肝心のマシンは他部署から廃棄されたパソコン4、5台のパーツをかき集めて作り、となりの編集部のHUBを1口無断拝借して、32ポートのHUBでカスケードにして使っているほど貧乏だ。書いてて涙でできたぞ! とはい
2009年08月17日 UNIX v6 を x86 マルチプロセッサシステムに移植した xv6 MIT の教育システムは本当にすごいですね。 xv6 という、MIT の OS の講義のために、UNIX v6 を ANSI C で書き直して、x86 マルチプロセッサシステムに移植したものが存在することを、ひらさんの twitter で知りました。 wikipedia がよくまとまっています。Lions 本のように、読みやすくソースコードが編集された PDF へのリンクもあります。OS のソースコード全部で、たったの 75 ページと、非常にコンパクト。 http://en.wikipedia.org/wiki/Xv6 他にも MIT は、初級計算機科学の講義のために書かれた SICP (日本語訳 : 計算機プログラムの構造と解釈)などでも非常に有名です。(こちらは Scheme でプログラムが
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