bycometさんの内田樹『修業論 (光文社新書)』についてのレビュー:教育の原理そのもの。活用していきたい。
問い 修行とは何か。 自分はどのように修業すべきか。 答え 修業は、「私の心身のパフォーマンスを低下させる要素」を最小化(できれば無化)することを目的として行う。それは、実はめざしていたものとは異なるものが得られる過程でもある。 「道場は楽屋であり、道場の外が舞台である」。舞台とは「真剣勝負の場」である。生業と稽古は表裏一体のものでなければならない 要するに、生業でのパフォーマンスを上げるために修業する場を自覚的にもつということ。 キーワード 修業、天下無敵、石火の機、卒啄の機、木偶坊・操り人形・案山子、弱さ・無知、居着き、科学的と科学主義的、鍛える発想、稽古、瞑想、額縁、狐疑・駝鳥、キマイラ的身体・複素的身体、自我着脱の訓練、安定打座、「我なし、敵なし」、ブリコロール、無刀の刀 抜粋 因果論的な思考が「敵」作り出す (武術は、)実践的な意味での生き延びる力である。 戦場では、先頭能力とし
重い障害のある娘を25歳まで育てた著者が、海外ニュースのネット検索で集めた各国の安楽死の2013年時点での報道状況をまとめた本。尊厳死や平穏死の議論に、対象者が終末期から障害者へとすべり坂のようにずるずると広がり、歯止めが利かなくなる兆候がすでにあることへの警鐘を鳴らす。本当の願いは、死にたいのではなく、今の医療をもっと良くして、死に行く人と家族を人として尊重し、ていねいにケアして欲しいということではないか?と主張する。 認知症や重度障害者は 早く死なせてもしょうがない という風潮を危惧する主張は、そのような家族を持たない私には、正直ピンとこない。 社会の役に立たない?人を間引く行為は、妊娠時の遺伝子判定で障碍者を産まない選択を強いる?ことと同様に社会全体で許される行為になっていることは感じられる。それが倫理的には気持ち悪いことであっても、経済合理性から選択されてもしょうがない と感じる私
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