こないだ国会図書館に行った時、 史料とは別に立川文庫の「柳生重兵衛」があったので、 そっちも読んでみたのですが、そこに描かれている宗矩が、 「将軍家剣術指南役の偉い人」 「厳格かつ息子想いの剣の達人」 だったので、 今更ながら、なんでこういう風に書かれてる人物が、 暗黒ヘタレ野郎と化したのか、とつらつら考えたついでに、 世間における宗矩像の変遷を順を追って辿ってみることに。 【その1:史料上の柳生宗矩」】 …「徳川実紀」「玉栄拾遺」「不動智神妙録」 「月之抄」などの史料上の宗矩。 または「兵法家伝書」などの自著から浮かび上がる宗矩。 「剣の名人にして政治家。能やタバコが好きで、 人の選り好みもあるし、付届けも適当に受け取って、 それを説教されたりもする。割と人間臭い。 身内(家光・沢庵・十兵衛・その他弟子)には好かれ、 尊敬されていた。所謂”柳生但馬守宗矩”」 リンク Wikipedia