この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年11月) 南北朝正閏論(なんぼくちょうせいじゅんろん)とは、日本の南北朝時代において南朝と北朝のどちらを正統とするかの論争。閏とは「本来あるもののほかにあるもの」「正統でないあまりもの」を意味する字である。 1392年(明徳3年/元中9年)閏10月2日に南朝の後亀山天皇が吉野から京都の大覚寺に入り、3日後に三種の神器が後小松天皇に引き渡された。北朝では、光厳天皇の皇統こそ正統なものであるという立場であり、南朝の後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇の3代の天皇は、謀反人である「南方偽主」に過ぎなかった。(北朝から見れば)天皇でもない後亀山が行幸の体裁で入京したことにも反発があった。 さらに、後亀山の入京と神