あらすじ代わりに前回の最終ページから。 ## 第一話と前回・次回へのリンク * 第一話 「実学党くずれ」 https://mitimasu.fanbox.cc/posts/3977096 * 前回(第十二話) 「昌鹿」 https://mitimasu.fanbox.cc/posts/8008603 * 次回(第十四話) 「薩摩(仮)」 ↓表紙はいちいち全部読まなくてだいじょうぶですよ。 ----...
偽史、フェイクロア、創られた伝統といった背景を持つ場所や存在を、現実と妄想が交差する「特異点」と捉え撮影する記事。今回は、大阪府枚方市にある『伝 阿弖流為 母禮之塚』(通称アテルイの首塚)を取り上げる。 阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)アテルイとは、8世紀末から9世紀初頭に、陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)で活動した蝦夷(えみし)の族長である。モレとは、アテルイと同時期に蝦夷の族長の一人であったとみられている。 蝦夷とは、本州東部や以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指す。 蝦夷は、時の朝廷の国土統治にあたり派遣された征討部隊に、激しい抵抗を繰り返していた。しかし、朝廷の戦力に圧され、いよいよ進退窮まった蝦夷は(諸説あるが)、802年、アテルイとモレが同族5百余人を引き連れ、征夷大将軍坂上田村麻呂の下に降伏した。その後坂上田村
南京事件FAQ トップページページ一覧メンバー編集 FrontPage 最終更新: troopld 2009年11月21日(土) 19:05:10履歴 Tweet 南京事件FAQ project 《南京事件FAQサイトの趣旨》 南京事件(南京大虐殺)は歴史的事実です。これを否定する「歴史修正主義」は中国人被害者を傷つける「セカンド・レイプ」であり、中国国民に対する侮辱です。また、南京事件に対する否定論を放置することは再び同じような過ちを犯すことにつながるとして、諸外国から懸念と疑いの目で見られるでしょう。 このため、ネットでよく見かける否定論に対して、ただちに反論できるようにFAQを作りました。事実と論理に基づいて否定論に反撃します。また、独自の資料庫やリンクを充実させて、反論の基礎を作ります。 《連絡》 当「南京事件FAQ」のコメント欄は2008年1月26日をもって閉鎖となりました。 (
掲載できなかった「成瀬南平の行状」18回原稿。青いスタンプで「検閲削」の印があり、赤色で囲み、その脇に×が付けられている(秋田市のきららとしょかん明徳館蔵)=2023年2月9日、工藤哲撮影 第二次大戦終結直前の1945年7月に毎日新聞に連載され、当局の検閲により15回で掲載中止となった芥川賞作家、石川達三(05~85年)の小説「成瀬南平の行状」の新聞のゲラ(試し刷り)が、遺族から秋田市立中央図書館明徳館(きららとしょかん明徳館)に寄贈された。ゲラには作家の手によるとみられる大幅な修正加筆の跡や、「検閲削」の印が押されたものもあり、関係者は「検閲の中、作家が掲載を目指して格闘した様子が見てとれる」と話す。【青島顕】 「成瀬南平の行状」は7月14日から連載され同28日に打ち切られた。新聞には同29日から「本日休載」のお知らせが連日載り、終戦後の8月17日の社告で「都合により続稿を打(うち)切り
中央アジア(主に東トルキスタン・西トルキスタン)に派遣した仏教伝来を探求した考古探検隊で、 シルクロード研究上の貴重な業績を挙げた。1902年から1914年(明治35年 - 大正3年)の間に、前後3次にわたって行われたが、日露戦争から第一次世界大戦勃発時という歴史状況も重なり、活動の詳細は不明なところも多い。 第1次(1902年 - 1904年)は、ロンドン留学中の光瑞自身が赴き、本多恵隆・井上弘円・渡辺哲信・堀賢雄の4名が同行した。光瑞はカシュガル滞在後インドに向かい、1903年(明治36年)1月14日に、長らく謎の地の山であった霊鷲山を発見し、また、マガダ国の首都王舎城を特定した。渡辺・堀は分かれてタクラマカン砂漠に入り、ホータン・クチャなどを調査した。スバシ故城では舎利容器を発見した[1]。 別に雲南省ルートの探検が野村禮譲、茂野純一によって行なわれ、この途上で建築家伊東忠太と遭遇。
「自分史」の分野を開拓した歴史学者で東京経済大名誉教授の色川大吉(いろかわ・だいきち)さんが7日午前2時43分、老衰のため死去した。96歳。千葉県出身。葬儀は密葬で行う。 中学教師をしつつ社会運動に携わり、「明治精神史」を刊行。市民らで地域史研究を行う「多摩史研究会」を結成した。 庶民の立場から記した「ある昭和史」はそ…
まず、報道をお伝えします…… 漫画家 みなもと太郎さん死去 ギャグを交ぜた表現で新境地開く 2021年8月20日 9時06分 ギャグを織り交ぜた歴史漫画「風雲児たち」などの作品で知られる漫画家のみなもと太郎さんが今月7日、肺がんのため東京都内の病院で亡くなりました。74歳でした。 みなもと太郎さんは京都市出身で、高校を卒業して1967年にデビューしたあと、1970年からギャグ漫画の「ホモホモ7」を少年誌に連載し、人気作となりました。 その後もさまざまな雑誌で作品の発表を続け、1979年に、ギャグを織り交ぜた歴史漫画「風雲児たち」を発表しました。 (略) 家族によりますと、みなもとさんは肺がんを患い去年から「風雲児たち幕末編」の連載を休んでいて、今月7日、都内の病院で亡くなったということです。 www3.nhk.or.jp このブログでは「風雲児たち」休載の方に接して、その都度お伝えしてきま
みなもとは1947年3月2日、京都府生まれ。1967年に別冊りぼん秋の号(集英社)に掲載された「兄貴かんぱい」でデビューする。1970年には週刊少年マガジン(講談社)で「ホモホモ7」の連載を開始し、人気を博す。1979年に月刊少年ワールド(潮出版社)でスタートさせた「風雲児たち」は、翌1980年からはコミックトム(潮出版社)、2001年からはコミック乱(リイド社)と、掲載誌を変えながら40年以上にわたって連載された。2004年には歴史マンガの新境地開拓とマンガ文化への貢献により、第8回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。2010年には「風雲児たち 幕末編」で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞に輝き、2020年にも「風雲児たち」で第49回日本漫画家協会賞大賞を受賞した。なお「風雲児たち」は2018年にNHKで三谷幸喜脚本によりドラマ化、2019年には同じく三谷の作・演出で歌舞伎化を果たして
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近年の当ブログで、コンスタントにアクセスいただいている記事が、ネットでよく見かける怪しい広告について検討した、「ネットで目に付く「歴史修正主義」書籍の広告について」です。 この記事はもう3年近く前のものですが、あれから3年経っても事態はあまり変わっていません。ひところほどではないですが、ダイレクト出版の広告はやはり目に入ります。 前記事のコメント欄やツイッターでの反応で、ユーザーに合わせて広告は出される仕組みなのだから、単に観察した私が歴史系のページをよく見ていたから目についたのでは、という指摘がいくつもありましたが、多少の偏りこそはあれ、あれだけ広い範囲に長期間広告を掲載し続けているのですから、相当の広告費が投入され続けている≒歴史修正主義で「カモ」を釣る手法が利益を上げている、ということはいえるのではないかと思います。まことにうんざりする話ですが。 皆さんも youtube で、自動作
ここはアニドウが発行した書籍(一部ビデオなど)の年代順の一覧です。他社からの発売であっても、その制作に大きく関与したものも含めています。ほとんどが品切れ、絶版となっていますのでご注意下さい。なお、FILM1/24などの記事で特に重要だと思われるものは、本ページで順次掲載していく予定ですので、時々覗いてください。在庫の購入はAnido Web Shopにて。 アニドウ出版の歩み 創立当初は簡単なガリ版刷りの会報「アニメだより」を、東映動画スタジオの労組事務所などで制作し不定期に発行していた。活動が活発になり、ページ数を増やした会誌を発行することになり、「FILM1/24」の名を決めた(命名者は湯川高光+なみきたかし)。最初はガリ版~やがて簡易オフセットの冊子になったが、原稿は手書きで写真も不鮮明なものであった。1974年12号をもって一時休刊。 1975年からは、メンバーの富沢洋子を編集長に
昭和史の研究で知られ、戦争などをテーマに数多くのノンフィクション作品を発表してきた、作家の半藤一利さんが亡くなりました。90歳でした。 半藤一利さんは、昭和5年に東京で生まれ、東京大学文学部を卒業後、出版社の文藝春秋に入社して、「週刊文春」や「文藝春秋」の編集長などを歴任しました。 探偵のような鋭い目で歴史を探究する「歴史探偵」を名乗り、昭和史などをテーマに数多くのノンフィクションを発表してきました。 昭和20年8月15日の玉音放送に至る24時間を綿密な取材で再現した「日本のいちばん長い日」などの作品で知られ、昭和の歴史を読みやすい文章でつづった「昭和史」は、ベストセラーになりました。 昭和14年に起きた旧ソビエト軍との軍事衝突、ノモンハン事件での旧日本軍のエリート参謀の無謀な作戦ぶりを批判した「ノモンハンの夏」で、平成10年に山本七平賞を受賞したほか、平成27年には優れた文化活動に携わっ
長野県上田市には「太陽と大地の聖地」があった! 熊本県人吉市は風水で設計された都市! 福岡県赤村に大山古墳(仁徳陵)を越える大きさの卑弥呼の墓が!――――。 学研のミステリー雑誌『ムー』が好んで扱いそうなトピックスだ。娯楽雑誌やその手のムックで「嘘かマコトか」と取り上げるのなら罪がない。でも、こんなことを行政や関連組織が「これが我が町の真実の歴史」と宣伝を始めたら。それは完全にトンデモ、いや、歴史修正主義である。 そんな「町おこし」が全国各地に増えている……。 文化庁が行っている「日本遺産」という事業がある。2015年から始まった制度で各地の文化財をテーマごとにまとめて、従来とは違う形で発信して観光にも役立てようというものだ。文化財そのものの価値を認定するのではなく文化財を元に各地の自治体などが考案した「ストーリー」を認定するというものだ。 現在までに認定された日本遺産は104ある。 鹿児
78年前の1941年12月8日、当時日中戦争の泥沼にはまっていた日本はさらに対米戦争を始めるという国家的自殺行為に突入しました。 対米開戦当時、日本陸軍がどのように展開していたかとざくっとまとめてみます。 1941年11月頃の地域別の師団数等はこんな感じ。()内は南方作戦参加予定の数。 場所 師団数 その他 日本本土 8個(4) 1個(1)旅団 朝鮮 2個 台湾 1個(1) 仏印 1個(1) 1個(1)独混旅 満州 13個 9個独守、13個国守、2個戦車団、1個騎旅 中国(華北) 10個(2) 12個独混旅、1個騎集 中国(華中) 11個(1) 7個独混旅 中国(華南) 5個(3) 1個独混旅 合計 51個(12) 略 1937年7月の日中戦争開戦時には17個師団、2個独立混成旅団(その他独立守備隊、国境守備隊、騎兵旅団などは割愛)だったものが、1941年12月には51個師団21個独立混成
2019年11月に行われる予定の「大嘗祭(だいじょうさい)」。古来より伝わる皇室の伝統で、皇位継承にともなう一世に一度の重要な儀式だ。しかし、その詳しい内容は長くベールに包まれてきた。今回、関係者の証言や資料から「大嘗祭」を再現。受け継がれてきた皇室の伝統に迫る。さらに、男系男子に限られている皇位の継承をどう考えていけばよいか。戦後、現憲法の下で2度にわたって行われた政府の議論を、発掘資料やスクープ証言を交えて詳細に検証。新しい時代、主権者である私たちはこの問題とどう向き合えばいいのか? そのヒントを探っていく。 伝統を継承する天皇の儀式 天皇が行う儀式とは、どのようなものなのか。 最初に行われるのは、「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」。代々、天皇に伝わるいわゆる「三種の神器」のうち、剣(つるぎ)と曲玉(まがたま)を受け継ぐ儀式である。 儀式の中心にある考え方は“神話”だ。 天照大
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