という点をどれぐらい評価するのか?という視点が皆無なのが怖い 「3号」廃止論者の話ね だいたい共働きフルタイムが物理的に無理があることは誰もが認識しているというのに 片方が家事を担い、片方の働く環境を維持する行為を評価しないという矛盾がすごい 仮に廃止されて働くことになったとして、家事は誰がするのか?外注するの? 人手不足を解消するといいつつ家事代行の事業を拡大して、他の業界は人手不足が解消されるのか? 結局誰かが家事をやらなきゃいけないわけで、「家庭から報酬が出ていた」か「会社から報酬が出るようになるか」の違いでしかないんじゃないか? なんだか廃止論では「結局誰かが家事をやらなきゃいけない」という概念がなく 働き始めれば「家事が消える」とさえ思っていそうなのが怖い 働き損を是正する意思はわかるんだが、廃止も「家事は無意味」とするただの働き損だろう