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ドラクエ3
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ぼくが3年前の定年退職まで所属していた NHKの番組制作局文化福祉番組部が、 業務改革に伴う組織改編で〝解体〟されるとの報道があった。 予期せぬことではなかったが、 やはりショックであり、問題だと思う。 自分が所属していた部署への愛着という以上に、 公共放送のあり方に関わる本質的な問題がそこにはある。 やむにやまれぬ気持ちで、 一面識もないNHK会長の上田良一氏に手紙をしたためた。 メールで送ろうとしたが、 NHKの「御意見メール」は400字以上の文章を受け付けない。 そこで短縮版を既定のフォーマットで送るとともに、 このブログで全文を公開することにした。 ぼくのメールが上田氏に「届く」かどうかはわからない。 しかし、このブログを読んでくださる市民・視聴者、 つまりNHKのスポンサーであるみなさんには、 「届く」ことを願ってやまない。 (夕暮れのNHK放送センター・2006年撮影) ※ N
仕事柄、物事の暗い側面を見つめることが多い。 きのう阪神淡路大震災から18年を迎えた神戸。 多くの観光客で賑わう街に いま震災の傷跡を見ることはない。 しかし、人知れず、復興の“後遺症”に苦しむ人たちがいる。 「復興災害」という言葉さえ囁かれるほどだ。 神戸市でも、震災の被害が甚大だった長田区。 新長田駅の駅前には 復興のシンボルのように巨大な鉄人28号が立つ。 この街では震災後、 神戸市による再開発計画が強力に推し進められた。 44棟もの商業ビル、高層住宅を建設し、 長田地区を 神戸の副都心として再生させようというものだった。 震災で店を失った地元商店街の人たちは、 長田で商売を続けようとすれば この再開発計画に乗るしか選択肢はなかった。 再開発は 被災した土地・建物を市が買い取り、 ビルを建設して商店主たちに売り戻す方式で行われた。 賃貸は認められず、 商店主たちは 新しくできた再開発
ぼくは「ジャーナリスト」の端くれであるから、 本来は自分が取材してきたことについてしか語りたくない。 (「語る」のは自分が作る番組を通してでありたいとも思う。) しかし、殺された後藤健二さんの件、 そしてそれに関する安倍内閣の対応については例外である。 ぼくは後藤さんとは面識がなかった。 (もともと「国内取材」を専門にやっていることもある。) だが、ぼくの同僚のなかには、 後藤さんと深い信頼関係のもとに協働していた者たちもいる。 だから 後藤さんの死は決して他人事とは思えないし、 彼の死が彼の遺志とまるで違う方向に利用されるのは許せない。 Twitterにも書いたことだが、 事実認識はジグソーパズルに似ている。 断片的なピース(伝えられる事実)を丹念に嵌め込んでいけば、 必ず全体像が見えてくるものである。 ぼくは「イスラム国」(以下、IS)を取材したことはないし、 首相はもちろん政治家、官
春以来、 放射線防護学者の安斎育郎さんを中心とした 「福島プロジェクト」の活動を撮り続けている。 断片的には放送しているが、 いずれかの時点で一本にまとめようと考えていて、 定年までに果たさなければならない「宿題」のひとつだ。 「福島プロジェクト」は、 月に一度、二泊三日で福島を訪ねて、 住民の希望を受けて放射線を測定したり、 簡単な除染や遮蔽など 自分でできる放射線防護策のアドバイスを行なっている。 安斎さんは74歳(写真左…4月、南相馬で撮影)、 東大工学部原子力工学科の一期生で、 1970年代前半から反原発の立場を明らかにしている。 そのため教授に疎まれ、 「万年助手」の地位に甘んじるなど、 ずいぶん冷や飯を食わされてきた人である。 そうした経歴の持ち主でありながら、 「原発事故を食い止められなかった」自責の念から 福島の住民を支える活動に乗り出した。 「原子力を推進してきた東京大学
ぼくは福島県の桑折町(こおりまち)を取材していた。 桑折町は福島県北西部に開けた農村地帯、 桃や林檎など果実の栽培が盛んな美しい郷だ。 原発事故の前は、 この町で採れた桃を 毎年天皇家に献上していたというのが自慢である。 いま桑折町では除染が始まっていて、 果樹園と境を接して仮置き場が作られ、 除染廃棄物を詰め込んだトン袋が並んでいる。 美しい田園風景と放射性廃棄物のコントラスト、 …原発事故がもたらした異様な光景である。 もっとも、 仮置き場の入口に掲示されている放射線量は、 その日の朝の数字で毎時0.13μSvである。 低いんだな、とぼくはちょっと意外に思った。 「毎時0.13μSv」がどの程度の線量かと言えば… いま、ぼくの手もとに 日本地質学会の今井登氏による放射線地図がある。 大地からの自然放射線量を計算したもので、 福島原発事故の影響は見込まれていない。 一般に東日本より西日本
次回作の取材のため、一ヶ月余り全国をまわっていた。 福島原発事故から4年目を迎えて、 被災者がいまどういう思いでどんな生活を送っているのか、 あらためて知りたいと考えたのである。 双葉町の自宅に半永久的に戻れなくなった人から 被ばくを避けようとして沖縄に避難した人まで、 生活も放射線に対する不安も様々に違う人たちと会った。 最も心を動かされたのは、 現状の放射線をそれほど危険視していない人も含めて、 全員が原発事故によって それまでの人生を大きく捩じ曲げられていたことである。 原発事故の被害は「人の数だけある」と痛感した。 健康不安や財物の損傷だけが原発事故の問題ではない。 例え現在の放射線量では健康被害の怖れは小さいとしても、 それは「被害がなかった」ことを意味しないのである。 原発を推進してきた国や東電を免責するものでもない。 低線量被ばくの危険性をめぐる論議は とかく「神学論争」(水
21日に放送したETV特集 「“復興”はしたけれど」について、 新長田の住民を名乗る方からご批判をいただいた。 ぼくは番組の見方は 批判や否定も含め視聴者の自由だと思っているので、 基本的には「反論」は行なわないことにしている。 ただ、このブログは現在、 ぼくが想定した以上に多くの方に読んでいただいており、 すべての方が現地の状況を熟知しているわけではない。 現実とは食い違う認識が一人歩きしても困るので、 ぼくの見解を改めて書くことにしたい。 * 22日に書き込みの「匿名」さん、 まず、番組を見ていただいたこと、 このブログに感想(批判)を書いていただいたことに 心から御礼を申し上げます。 このようなご批判があるだろうことは、 番組を作るに当たって、当然、予想しておりました。 ただ、お書きいただいたなかに、 私の事実認識、 問題の本質への理解と食い違う部分がありますので、 その点についての
番組を拝見させて頂きました。確かに南相馬の山間部地域には線量の高い所があります。しかし人口の大半が住んでいるのは東部の市街地やその近辺であり、この地域は福島県内で言えば線量的にはそれほど高い所とは言えません。 今回の番組の対象になったやや線量の高めの西部地域(石神第一小学校や石神第二小学校の学区の一部地域)は航空モニタリングの線量地図で言うと (A)1.0~1.9μsv/h (B)1.9~3.8μsv/h の(A)地域と(B)地域があり、その中の一部地域が(A)に該当していますが… (A)地域ぐらいの線量の地域は南相馬以上に川俣町、二本松市、福島市、本宮市なんかの中通り地区に圧倒的に広い面積が存在し、こちらのほうが人口密度が高いので一般的にはこちらの地域のことも考慮の対象に入れないと避難地域の候補にすることは難しいかと思われます。ただ1.0~1.9μの範囲に住んでる方で特に子供を抱えている
きのう南相馬のMさんから突然電話をもらった。 明日(つまり、今日)、いぐねを伐るというのである。 「いぐね」とは家を囲む屋敷森(防風林)のことで、 阿武隈おろしの風が吹き荒れるこの地方特有の景観である。 大慌てでロケを準備し、南相馬に走った。 急なことでありカメラマンは何とか確保できたが、 音声マンは手配できず、 ぼくがゼンハイザー(指向性の強いマイク)を持った。 とてもスチールを撮る余裕などないだろうと考え、 愛用のカメラを持って行っていなかったので、 以下に掲げるのはすべてiPhoneで撮った写真である。
島の西海岸は 海岸線に沿って奇岩が立ち並ぶ美しいところである。 温泉もあり、いつか仕事を離れて訪れたいと思う。 ここにはワイン工場があって、 島で採れた葡萄を原料にワインを醸している。 まだ十年に満たない歴史だが、 潮風が育んだ葡萄に由来するのだろう、 独特の香りをもった なかなか素性のいいワインができ始めている。 この西海岸にぽっかりと浮かぶのが無縁島。 眺めているうちに不思議なことに気がついた。 ここでは波が両側から寄せてきて、 島の正面でぶつかりあい飛沫を上げるのである。 海底の地形からくるものらしいが、 なんとも奇妙な光景である。
今週は南相馬でロケを続けているが、 取材に訪れたお宅で一本のビデオを見せられた。 一昨日に放送された「報道ステーション」である。 トップニュースで、 南相馬市で高濃度の放射能汚染が発見されたと伝えている。 全体が「誤報」とまでは云わないが、 (一部に事実の取り違え、ないしは不正確な表現がある) センセーショナルに不安を煽る内容に、 同業者として激しい怒りを禁じえなかった。 番組は古館伊知郎の思わせぶりな問いかけから始まる。 路上にこびりついた黒いシミのようなものを写真で示して、 「福島で避難している方からメールをいただきました。 みなさんはこの黒い物質をなんだと思われるでしょうか」 というのがイントロである。 (記憶で書いているので、一言一句そのままではない。) 南相馬市で局地的に高い放射線が検出された、 原因は路上にある「黒い物質」だとのレポートが続く。 地元の市議が登場して、 路上にで
明日(30日)夜放送のETV特集、 「果てしなき除染 〜南相馬市からの報告〜」が完成した。 がつんと手応えのある番組に仕上がったと自負しているし、 ぜひ見ていただきたいと思うのだが、 作った人間としては複雑な思いがあるのが正直なところだ。 番組では、 福島県南相馬市の いまなお高い放射線量が検出されている地域で、 不安を抱えながら暮らしている人たちの姿を記録している。 取材者として、彼らの置かれた状況に心を痛め、怒りもする。 しかし、ぼくはそこに住んでいるわけではない。 言わば「逃げ場がある」のだ。 そして、取材すれば取材するほど、 この問題には「出口がない」ことが見えてくる。 明日への展望がないなか不安に囚われる人たちを描けば、 それは「不安を煽る」ことになるかもしれないと自問する。 しかし、やっぱり伝えるべきだと思い直す。 最近、放射能がもたらす健康被害よりも、 不安な精神状態が及ぼす
「toriiyoshiki」とはアイヌ語の「tori(滞在する)・iyoshiki(酔い)」、つまり「宿酔い」の意味です。
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