サウジアラビアの首都リヤド(Riyadh)の街頭で、店の開店を待つ女性たち(2009年2月17日撮影)。(c)AFP 【10月25日 AFP】出演した男性が自分の性体験を赤裸々に告白したためにサウジアラビア当局が強制閉鎖した、レバノンに拠点があるサウジアラビア系テレビ局、レバノン放送(LBC)の女性ジャーナリストが、同局に勤めているという理由だけでむち打ち60回の刑を命じられた。 このジャーナリスト、ロザーナ・ヤミ(Rozana al-Yami)さん(22)本人が24日明らかにしたところによると、紅海沿岸ジッダ(Jeddah)の裁判所は、出演者の性的告白があった問題の番組について、ヤミさんにかけられていた直接的な関与の疑いはすべて却下した。 しかし、LBC放送のサウジアラビアでの業務に非常勤社員として関わっていたという理由で、ヤミさんに同裁判所はむち打ち60回の刑を命じた。裁判所は、LBC
私は、「テックカフェ」という名前の茶話会に、 たびたび参加させていただいている*1。 この茶話会を主催しているのは、 「ひょうごんテック」*2という組織である。 この組織は、関係者の間で情報を交換するために、 「ひょうごんテックメーリングリスト」 というメーリングリストを運営していて、 私もそこにメンバーの一人として登録されているのであるが、 登録からしばらくの間は、私の中に存在している勇気が、 そこに記事を投稿することができるレベルに達していなかった。 しかし先日、清水の舞台から飛び降りるつもりで、 自己紹介の記事を投稿してみた。 それは次のような記事である。 ひょうごんテックのみなさま、こんにちは。 第1回と第2回のテックカフェに参加させていただきました、 一神教学会の大黒と申します。 メーリングリストのほうは、 これまでずっとROMだったのですが、
出先で、京都の有名な寺の若い僧侶と知り合いになっていろいろ話を聞いた。 推定年齢30才くらいの青年。短髪で目元涼しく姿勢良し。 とても静かな口調の京都弁で知的に穏やかに話す。 私が、お坊さんと会話をした経験がほとんどないと言ったら 「どうぞ何でも質問してください」と柔和に微笑む。 ご飯を食べたり茶を飲んだりしながら、あれこれ教えてもらった。 聞いたことをメモ。ただし、間違った聞き方をしているおそれあり。 日本はコンビニの店舗数よりも、お寺の数の方が多い。 経典は全てサンスクリット語からチベット語に翻訳されて残っている。 サンスクリット語のもともとの経典は今はもう残っていないものが多い。 サンスクリット語とチベット語が分かると、まだ中国語に訳されていない経典が読める。 梵字は勉強すると簡単に読めて楽しいです。 サンスクリット語から中国語に訳されたお経を、 文面は中国語のまま読み方だけ日本風に
わたくしが実存で忙しく、ぱそ世界をだらくさとサボっておった間になにか大変に面白いことが起きていたようですよ。 sumita-mさんとこ経由で知りました。 ○Living, Loving, Thinking http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091009/1255033275 ■カトリックもプロテスタントもユダヤも どうもこういうことがあったらしい↓ ○薔薇、または陽だまりの猫 http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/c3d3e606c558725afd5e85827bc90f98 ■主権回復を目指す会ら「カトリック正義と平和全国集会2009さいたま大会」の「靖国」分科会を攻撃 せいへーきょーがついに右翼の攻撃に遭ったか。まぁ、今までなかったのが不思議だ。傍観。 ・・・という気持ちに一瞬、陥りたくもなるが、こういう弾圧的行為
芥川龍之介の遺作、『或る阿呆の一生』(昭和2年)に以下の一節がある。 殊に「新生」に至っては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。 芥川龍之介 『或る阿呆の一生』 四十六 嘘 同年、島崎藤村は芥川の追悼文を著し、上の箇所を引用しながら、次のごとく述べている。 ……ここに引いた『新生』とは私の『新生』であるらしく思われる。私はこれを読んで、あの作の主人公がそんな風に芥川君の眼に映ったかと思った。 知己は逢いがたい。『ある阿呆の一生』を読んで私の胸に残ることは、私があの『新生』で書こうとしたことも、その自分の意図も、おそらく芥川君には読んでもらえなかったろうということである。私の『新生』は最早十年も前の作ではあるが、芥川君ほどの同時代の作者の眼にも無用の著作としか映らなかったであろうかと思う。しかし私がここで何を言って見たところで、芥川君は最早答えることのない人だ
カトリックのギョーカイ誌を出版するドンボスコ社から、殉教者特集の雑誌が送られてきた。T先生の推薦からいただき文章を書くことになったのだが、文章脳に切り替わらない羽目に陥り、春に苦しんだアレだな。絵描き脳と文書脳はどこか違う。大脳皮質の動きを見てみたいもんである。 日本のカトリック教会は今年、過去の殉教者を列福するその式典で大忙しであるらしい。島は隔離環境なので世の動きをよく掴んでいなかったが、各教区でもそのための祈りなんぞしていたらしいよ。へぇ。 日本人の聖人ってぇと殉教者しかないのも能がないというか、なんだかなぁと斜に構えていて、そういうのをブログでだらだらダラと書いていたのをギョーカイ関係者に目をつけられたという按配。そういうわけで列福に向けてお祭りムードで盛り上がっているギョーカイ人に少しばかり水を指すようなことを特集誌に書いた。 超要約すると・・・ 「今更、殉教者の列福?馬鹿じゃね
タイトル別名 I Medici e le confraternite fiorentine : da Cosimo il Vecchio a Lorenzo il Magnifico メディチケ ト キョウダイカイ コジモ カラ ロレンツォ エ <p>L'interessa al fenomeno confraternale come associazioni e corporazioni volontarii dei laici e stata cominciata dalla conferenza sul movimento dei disciplinati tenuta a Perugia in 1960 in commemorazione del settimo centenario di Ranieri Fasani e data lo spinto dal congresso
裁判員制度絡みでカトリックがニュースになっていた。 これ↓ ▼「聖職と裁判員、両立できない」カトリック団体が文書 http://www.asahi.com/national/update/0911/TKY200909110131.html キリスト教の宗教団体「日本カトリック司教協議会」(東京都)は11日、聖職者が裁判員候補者に選ばれた場合に辞退を勧めるとする会の方針について、最高裁に文書を提出し、理解を求めた。 同会によると、国内のカトリック信者の総数は約45万人で、そのうち聖職者は約8千人。聖職者に辞退を勧める理由として「国家権力の行使にかかわる公職につくことを禁じる」とする宗教上の規律があることや、信者から罪の告白や相談を受ける聖職者の守秘義務と、裁判員の職務とは両立しないことを挙げた。 また、キリスト教の教えには「罪を犯した人に対するゆるし」があり、同会は死刑廃止の方向を支持してい
最近忙しいんで真面目な事を書きたくないうえにそもそもブログも落ちがち。ここ1ヶ月はニュース読む以外、はてな界隈しか見てない。ちっとぶくまして、アンテナに入れたりブクマしているサイトを読む程度。日によっては気象庁のサイト覗いてメールのチェックして終ったり。色々書きたいネタもあるんだが、文章書くと絵描き魂が死滅するんで。不器用なんです。 で、まぁ本日はたまたま信仰問題で苦しんでいる人の叫びめいた増田(はてなに於ける匿名日記)エントリを読んだんで、筆をとってみました。 ■物心つかないうちから親にキリスト教信じさせられて苦しい人、いませんか。 http://anond.hatelabo.jp/20090910014230 (前略) やめました。やめたつもりです。でもべっとりとこびりついてくるのです。 小さい頃、みんながワイワイしていた中、1人「僕はあんなことしちゃいけない」と思いながら、「でも、ク
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