あの震災から2ヵ月。 東日本大震災の犠牲者を追悼する「祈りの踊り」に同行してきました。 震災直後からギリヤークさんは亡くなられたみなさんの無念を思い、 特に以前東北地方を公演旅行した際に芸に自信を付けさせてくれた気仙沼で踊りたいとおっしゃっていました。 ギリヤークさんは昭和47年(1972年)8月、東北各地を旅しながら公演したのですが、 気仙沼の漁港では、多くのこどもたちが握りしめた10円玉をカンパしてくれたという思い出があるそうです。 そのときのこどもたち、今はもう40代から50代のかたも犠牲になったのではないかと心配されていました。 その気仙沼の特に大きな被害があった港湾地区に車で向かいました。 そこにはすさまじい光景が広がっていました。 折れて鉄筋がむき出しになった電柱 倒れた信号機 原型がわからないほど損壊した旅館 打ち上げられた巨大な漁船 ギリヤークさん