「正論」や「届かない他者幸せ」は、事実ある人間にとっては暴力として働く。で、どうすんの? 暴言を言う自由はあっても正論を言う自由はないとはこれいかに http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2007/1119003234.php ふたつの主張のぶつかり合いのうちどちらが「正しい」かをおのれ自身は「価値判断」し、それを表明していながら、一条さんに対しては「自分が正しいという絶対の自信を持つことは暴力である」といっているわけである。めちゃくちゃな話である。 自信を持って「正論」を言うことが、ある人にとっては暴力になるということは、ただの事実です。僕は一条さんを「批判」したのではなく「事実」を指摘したつもりです*1。 それを「正しいから暴力ではない」などとするのは、嘘で正当化でオナニーです。「正論」はそこまで潔白ではありません。「暴力である」ことを知った