笙野頼子『絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男』を読んでいますが今週は田中和生「文学閉塞の現状――笙野頼子氏に尋ねる」「三田文学」2008冬季号について。 感想から言うと田中和生と仲俣暁生はそっくりー。まるで先週書いた仲良しカニバットとタコグルメみたいじゃん。そう。田中和生のほうが既に腐った死体であるカニバット(タコグルメのほうはやや頭が良く左翼っぽいのだ)。これは高橋源一郎が言った次の「屍」からも連想した事です。 引用 高橋 いま、僕と田中さんの間で文学論争があるとされています。論争自体は生産的にもなりえる貴重なものですが、僕自身は、相手の弱点を攻撃することへの危惧があり、相手の屍から有意義ななにかが得られるとも思わないので、実はこの件について改めてお話しする気持ちはありませんでした。新潮2008/02「小説と評論の環境問題 高橋源一郎+田中和生+東浩紀」 開口一番、当の相手の弱点だの屍