1917年、父・茂、母・キヨノの長男として高知県南国市に生まれた樫尾忠雄氏(以下、忠雄氏)はわずか5歳の時に両親と妹の親子4人で東京に移り住んでいます。農業以外に焼き物などの副業を行っても食べるのが精いっぱいという暮らしの中、東京で大工として働いていた叔父からの「東京に出てきて大工の仕事を手伝ってくれないか」という誘いを受けての上京でした。 上京してしばらくは大工仕事を手伝っていた父・茂氏ですが、その後は左官の仕事、建築材料問屋の配達の仕事などを懸命にこなします。しかし、一家の暮らしは決して楽なものではありませんでした。そんな両親を見て育った忠雄氏は、尋常高等小学校を卒業するとためらいなく就職の道を選びました。「いよいよ、自分で働いて両親を助けられる」(『兄弟がいて』p28)と思って、とてもうれしかったといいます。 1931年、14歳の忠雄氏は治工具の製造会社・榎本製作所に旋盤工見習いとし
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