生前、彼の教育論は、あまり高い評価を受けていたわけではないが、1931年、ソ連でまだトーキーが始まったばかりの技術で、彼の著作のいくつかから着想を得た映画「人生案内」が製作され、大きな反響を生んだ。この映画は翌1932年、日本でも公開された。この映画のヒットから、ソ連でもその映画の影の登場人物であるマカレンコの弟子が、別の少年院で教育実践を続けていくといった小説も書かれた。ヴィグドローヴァの『新人生案内』、邦訳もある。(草鹿 外吉訳、新評論社、1955年) 日本においては、1970年代にいわゆる全生研教育の一環として、マカレンコの教育理論の影響を受けた「学級集団づくり」という教育手法が、主に全国生活指導研究協議会に所属する一部の教員の間で流行した。原武史は,小学生時代に東京都の滝山団地でこの「集団づくり」教育を体験し,後に『滝山コミューン一九七四』としてその記憶をまとめ,発表した。 『マカ