加藤鷹のエリートセックスを読みました。当初、私はこの本に対して、モテる方法だとか相手をとりこにする裏技みたいな内容が書いてあると思っていました。しかし、実際には全くの逆で、女性と幸せにセックスをするために男性がどのような態度で臨めばよいかということが語られていました。本書は、小手先の応用技術・手順でなく、どうやったら相手に喜んでもらえるかという基本について紹介しています。例えば、野球でも、投げる・捕る・打つ・走るといった基本なくして、いきなりダイビングキャッチなどの応用練習をしても上手くいきませんよね。基本、感謝、相手を思いやるといったワードがこの本の中では繰り返し何度も何度もでてきます。 読後の著者の加藤鷹についての印象は、「勉強家」「体験から学べる人」というものです。彼は、女性のからだのしくみをしっかりと勉強しています。セックスと受精の関連がどんなものなのか、性差というものがどのように
中学の時、英語の辞書忘れたから隣の女子のを共同で使わせてもらった。 家も近所だし気さくで話しやすいやつだったもんで、 彼女が見てない隙に、ふざけてその辞書の「vagina」の項を○で囲んでやった。 …あれから10年以上が経ち、そんな事ずっと忘れてた。 盆休みで実家に帰省して仕事の整理をしてた時の事。 英語の辞書が必要になって、中学時代のを探し出して使った。 そしたら憶えの無い落書きをみつけた。 「penis」が○で囲んであって余白に「お返しだバーカ昼休みに図書室で待つ」と書いてある。 それで思い出した。 あの時あたりからだったか、彼女は昼休みになると真っ先に教室から出て行くようになった。 俺は「何委員だか知らないけど忙しいんだなぁ」なんて思ってた。 中学最後の昼休みも、彼女は教室にいなかったっけ…。 で、嫁にそれ見せたら顔真っ赤にして「今頃みつけるな!」だって。
子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私は本を読むのが大好きだったし、父はよく本を読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理のレシピ本くらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは本読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、
1 VIPがお送りします。 2008/02/23(土) 21:56:02.09 ID:NmMNUqAo0 阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。 夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。 「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」 うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。 阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。 そして最後に残された西宮北口〜夙川間の高架部分の再開によって、 ついに神戸本線は全通した。 再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。 運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。 夙川を渡るそのとき、川の土手に近
2006年11月からテレビや新聞で繰り返し紹介された「銚子電鉄」は、自社で販売するぬれせんべいの購入を呼びかけ、その売り上げを車両の検査などの安全対策費用にあて、窮地をしのぎました。この、現代のおとぎ話のような復活劇の陰には、インターネットによる情報発信の力があります。銚子電鉄をめぐる騒動は、ホームページに掲載された一つの文章から始まったのです。 このエピソードは、地方景気の後退にあえぐ中小企業や、インターネットによるコミュニケーションで悩む企業にとって、大きなヒントとなるものです。この連載では、銚子電鉄で鉄道部の次長をつとめる向後功作氏に、「ぬれせんべい騒動」から見えてきたネットの可能性について語っていただきます。 (本連載は、向後氏が1年にもおよぶ騒動をまとめた単行本『がんばれ! 銚子電鉄 ローカル鉄道とまちづくり』をWeb向けに再構成したものです) 「銚子電鉄」というローカル鉄道をご
去年の年末の話だ。 ひいばあちゃんが死んだと、実家から連絡が入った。 すぐ実家へとび、すぐに通夜、お葬式が開かれた。 つっても、あんまり親戚は集まってなかったし、集まった親戚も葬式特有の暗さは全く無かった。ていうか、久しぶりにあった親戚同士談笑していた。 それもまぁ有る意味当たり前で、ひいばあちゃんは結構前からもう、老人ホーム的なところで、「ただ生かされてる」状態だったから。言い方悪いが、ぶっちゃけほとんど死んでたも同然だったのだ。もうここ1年ほどは、誰に会っても何の反応もできない状態。ときどきスタッフの人が寝返りうたせて、点滴うたせて、痰とって……本当にただ生かされているという状態だった。それが、ある時熱を出して、ころりとそのまま逝っちまったらしかった。 「まあそろそろかと思ったよ」皆そんな感じの雰囲気だった。不思議な雰囲気だった。皆別に、ひいばあちゃんが嫌いだったわけじゃない。つーか寧
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