2017 - 06 - 17 日々の詰め合わせ 十六号 円野まど・日々の詰め合わせ シェアする Bookmark! Facebook Twitter Google+ Pocket もっと読む コメントを書く
英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム、今週はサッカー女子日本代表のワールドカップ優勝についてです。単なる勝ち負けではないもっと大きなものを背負い、ひたすら走ってひたすら粘った「なでしこ」たちの勇姿に、多くの英語メディアは「うちひしがれていた国」日本の復活宣言を見て取ったようです。(gooニュース 加藤祐子) ○その者、青き衣をまとい… 先週の時点では今週も、原発の話を書くつもりでした。数十年かけて段階的な脱原発を目指すという方向性を示したはずの首相発言が、(原発推進派の猛反発にあったからなのか)あれよあれよと「個人の考え」に過ぎないことに後退させられてしまった事態に、私はかなり苛立っているので。けれども、なでしこジャパンの見事なワールドカップ優勝のニュースが英語メディアに溢れているため、ここは予定変更です。実に震災以来初めて、震災や原発とは直接関係ないことを書
2010.03.04 NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容 高校時代は4番を打っていて、捕手でした。19年間プロ野球選手をやって、最後は2番・セカンドになった。そのいきさつを話そうと思います。 1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。当時は6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争でした。僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。 でも入ってみるとちょっと違っていた。新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。僕はキャンプ初日にシートノックでボー
今日で息子が生まれてから1年。 これまでは「いくつですか?」と尋ねられたら、「○ヶ月です」って答えていたのが、1年間ずっと「1歳です」になるというのは、ちょっと不思議な気がします。 これまでは、5ヶ月と6ヶ月のたった一ヶ月でも、できることが全然違っていたから。 息子が生まれて、失ってしまったもの、あるいは、不自由になったな、と感じるものは、けっこうあります。 気軽に妻と出かけられないし、「ちょっとそこまで送って」というのも難しい。DVDも本も、寝静まった夜にがんばって観たり読んだりしようとしても、翌朝6時になると、「うあ?」とか言ってニコニコしながら、眠くてしょうがない僕の髪を引っ張ります。「痛い痛い!」と叫ぶと、またニヤリ。 パソコンが大好きで、ノートパソコンのディスプレイにしょっちゅう突撃してきます。本のカバーをめくってボロボロにするのが大好きです。DVDは、見つけ次第そこらじゅうにぶ
ニート&パチプロ(職歴なし男28歳)から海外留学、海外就職、海外ニート。現在はシンガポールにてクソ日系から外資系に転職 H.N. 海外ニート。元パチプロの職歴なし男。日本のクソ労働環境が嫌で海外脱出。オーストラリア留学後、現地のデザイン会社に海外就職。シンガポールでのクソ日系勤務、海外ニート生活を経て、シンガポールにて外資系に転職、勤務中。夢はネオニートw。 さて、今回はちょっと手短に個人的な話。まあ、このブログで個人的な話を書くのはどうかな?って思ったけど、後々ブログでの話の辻褄が合わなくなるのもマズいのでちょっと書いときます。実は今月、シンガポール人の彼女と結婚します。:) いつも読んでくれている人は知っているはずだけど、俺がオーストラリア→シンガポールという一般的に不可解(?)な動きを取った理由は彼女なんで。正直、シンガポールから留学中の彼女とオーストラリアで出会うまでは、シンガ
無題のドキュメントとは ブックマークして頂けると光栄です。 「管理人にまとめさせたいスレ」 を募集しています。 面白いスレがあったら、そのスレの URLを教えて下さい! メールフォームはこちら TOP絵も募集中です! 今までに頂いた絵←4/13更新!! うちの母ちゃん凄いぞ うちの母ちゃん凄いぞ2 〜ニート風雲篇〜 うちの母ちゃん凄いぞ3 〜マグロ女激闘篇〜 うちの母ちゃん凄いぞ4 〜飛翔篇〜 うちの母ちゃん凄いぞ 完結 〜社員か否か迷走篇〜 この流れなら・・・姉ちゃんの下着うpできる・・・! 堂本剛と草なぎ剛の違い 誰かこの画像を面白くして 本当は怖い学校の昼休み 水銀燈が麻雀を覚えるようです みんなで泣きながらウンコ食おうぜwwwwwwwwwwwwww かっこいいオッサン、老人の画像ください 戸愚呂「どうした浦飯・・・早く俺の息子を1
子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私は本を読むのが大好きだったし、父はよく本を読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理のレシピ本くらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは本読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、
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