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情報に関するhikabuのブックマーク (5)

  • あざらしサラダ:問題意識のない報道

    ●先日エントリーした記事(▼しっかりしろ共同通信!)に対して、刺客に怯えながらも医療界の闇を情報発信している(笑)彰の介さんから(医療ミス報道について)の記事をTBして頂いた。 ○彰の介さんは、『当に訴訟になった場合は、当然「故意に打たれるようしむけられた」と主張することになるのでしょうが、そこまでいかなければ、間違えて点滴してしまった以上謝るしかありません』と病院の対応については常識的な普通の対応だったと説明するとともに、『昨今の医療界への報道は、バッシングと、名医崇拝の両極端に集中してしまっています』と、現行マスコミがバッシング目的の報道に偏っていることについて問題提起している。 私も、医療現場だけにとどまらず教育現場や鉄道現場なども含め、昨今の報道は、とにかく現場のミスをバッシングしておけばいい、という傾向が強くなっているように感じている。 今回の事件についても、一方では医療現場へ

  • 文章メディアの限界と可能性(後半) - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 内容と表現は分離可能か 文章メディアが表現する中身というのは、その物語の「内容」と、「文章の起伏」とに大別される。 物語の内容のみ読み出す方法として、「斜め読み」に代表される速読の方法があるが、 そこで置き去りにされた「文章の起伏」とは、文章メディアにとってどういう存在なのだろうか。 内容が肉ならば、レトリックは骨。分離すれば、文章は死ぬ。 レトリックというのは、着せ替え人形の服のようなもの。着せる服によって、同じ中身でも違って見せられる。 どちらの立場が正解に近いのだろう。 古い物語は、それが文書として形成される前に、長い口づたえの時代を経ている場合が多い。 昔話に代表される民間伝承もまた、初期の頃はすべて口伝で次の世代へと受け継がれた。

  • 文章メディアの限界と可能性(前半) - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 小説漫画映画ゲーム。 作家や監督の「思い」や体験、意図といったものを伝える様々なメディアは、技術の進歩とともにどんどん増えている。 メディアには、それぞれの特徴がある。長所や短所。得意分野や欠点。果ては製作にかかるコストや流通経路。考え出したらきりが無い。 様々な表現メディアを比較する上で鍵になるのが、時間軸の主導権という問題だと思う。 「一手間かける」重要さ 作家は何かを意図する。それは自分の想像したことであったり、自分が過去に体験した物語であったり。あるいは、単に観客の「度肝を抜く」ことであったり様々だが、その意図の伝わり方というのは、メディアにより大いに異なる。 作家の意図を、受け手の頭に「刻みつけたい」とき、その意図の理解にはあ

  • ネット学習の奥義を伝授

    ネット学習の奥義を伝授 2000年3月6日[日経産業新聞]より ずいぶん長くこのコラムに寄稿してきたが、私の担当は今回で最終回となる。そこで、特に十代、二十代、三十代前半くらいまでの読者(二十一世紀のニューエコノミーの担い手たち)を意識して、「シリコンバレーを中心として日々激動するネット産業やニューエコノミーの現実」をいかにして勉強するかについてまとめたいと思う。 これは私が毎朝5時から8時までの三時間を原則充当して、シリコンバレーでプロとして生きていくために、「必要最低限の日課」として年々も続けている勉強法の一部でもある。プロスポーツ選手が毎日毎日続ける筋力トレーニングのようなものだ。 やるべきことはシンプルではある。英語で書かれた「筋の良い」記事や論文を読み、自分の頭でその意味をリアルタイムで考えることである。重要なのは、知識を詰め込んで「オタク」になることではなく、情報を触媒にして考

  • http://www.shinoby.net/2005/08/post_306.html

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