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人生と経済に関するhiruhikoandoのブックマーク (2)

  • 金持ちのお嬢様と付き合った時の話 - シークレット・イノベーション

    2016 - 03 - 06 金持ちのお嬢様と付き合った時の話 大学生の時の彼女はお嬢様だった。 親が医者の医者家系だった。 一方、僕の家は普通である。両親が共働きであったため、世帯年収は1000万を超えていただろうし、今思うと比較的恵まれた家庭だったと思う。両親には感謝している。特にお金で困った記憶はない。 しかし、彼女の家はレベルが違った。 彼女とは共通の友達が開いた飲み会で知りあった。 僕は彼女に一目惚れした。 彼女も僕に一目惚れしたらしい。 出会ってから程なくして僕たちは付き合った。 学生だったので彼女とは週3、4ぐらいであっていた。 <スポンサーリンク> ある日、夜ご飯で何をべるかの話になり 吉野家行こうよ と僕が言った。 吉野家?美味しいの? 彼女が言った。 美味しいじゃん、吉野家。 べたことないよ。 彼女に聞くと生まれから一度も吉野家の牛丼をべた事がないらしい。 俺は一

    金持ちのお嬢様と付き合った時の話 - シークレット・イノベーション
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2016/03/07
    お互い覚悟し合って付き合っていた事が見えるなあ。六麓荘のイカリスーパーの話とか聞いたことがあるからリアリティがあった。/ただし最近は減っていると聞く。特に阪神大震災以降。
  • 華氏451度:勝ち組になりたいと思いながら過労死した、ある男の人生

    我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。 その男は旧制中学を出て就職した。まだ帝国憲法が生きていた時代――と言うより、人々が治安維持法で締め上げられ、戦争に駆り立てられていた頃のことだ。当は高校→大学は無理としてもせめて高等商業学校(というのが昔はあった。神戸高商は現・神戸大、東京高商は現・一橋大)に行きたいと思ったが、家計の事情がそれを許さなかったのである。彼の家は母子家庭で、母親は裏庭の小さな畑で芋などを作るかたわら、近くの街の工場で、当時の言葉で言えば「雑役婦」(臨時雇いの形で雑用をする女性労働者)をして働いていた。彼には既に社会に出ている姉がいたが、その頃は家を離れていて、家計を支えるのは母親の乏しい給料だけ。しかも彼の下にもまだ2人子供がいたから、カツカツべられるかどうかの生活であった。 もともと彼が中学に行く

    hiruhikoando
    hiruhikoando 2006/06/29
    ふと山下達郎の「蒼氓」が聴きたくなった。
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