マックス・ウェーバーの『プロスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の新訳が出た。出版社である日経BP社の編集委員は「学者の翻訳は学問的な正確さを期すが、日本語としてはいかがか。今日の翻訳技術は格段に進歩しています。」新訳には専門領域にも詳しく、複数言語に通じ、なによりも日本語として伝わる翻訳ができる在野の実力者を選んだという(朝日新聞1/31朝刊読書欄)。哲学文献の翻訳でも、ドイツ語ルールの翻訳でも思い当たる節がたくさんある。 欲を言えば単語の一対一対応にこだわらずこなれた訳をめざしたいが、分かりやすい訳語の選択も重要な要素。学者は正確さを期すあまり、わざと一般的でない言葉を使ったり、ときには造語までしたくなる。そのため一般の人が読むと、てにをは以外全然分からないなどということも。学術論文ならそれでよいが、一般の目に触れる本ではそうはいかない。 ゆうもあのレビューでは「プレイヤー」という言