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careerに関するjune29のブックマーク (209)

  • 「いつかGitHubで働きたい」10年来の空想を現実にしたソフトウェアエンジニアの紆余曲折な人生 - Findy Engineer Lab

    長永健介(@kyanny)と申します。現在はGitHubで働いています。10年前、「いつかここで働きたい」と夢見た会社です。 私は子供の頃から「考えること」が好きでした。難しいこともくだらないことも、真面目に考えて自分なりの意見をまとめる癖がありました。成長するにつれて私の思考様式は洗練され、Webとブログに出会ったことで「書く」という手段に昇華されました。書くことで考えていることを言語化し、言語化した自分の考えを読みながらさらに考えを深める ── この活動を繰り返すことで、起こりうる問題に備えたり、問題を多角的に見つめて活路を見出してきました。 とりわけキャリアの選択において「(思考|志向)を言語化する」習慣が大いに役立ちました。この記事では私のキャリアにおけるいくつかの選択と、その時々で考えていたことについて紹介します。 望んでなかった「けものみち」を変えた日記の言葉 Shut the

    「いつかGitHubで働きたい」10年来の空想を現実にしたソフトウェアエンジニアの紆余曲折な人生 - Findy Engineer Lab
  • 他人がやっていない事こそ強みになる。テキストエディタに人生を全振りしたエンジニアのキャリア戦略とは - Findy Engineer Lab

    はじめまして。Shougo(@ShougoMatsu) という者です。私は現在、日中ソフトウェアエンジニアとして働く傍ら、GitHub Sponsorsで支援を頂いてテキストエディタ(Vimneovim体を改善する活動やテキストエディタプラグイン開発を行っています。 今回「自分自身のキャリアを振り返り、スキルを向上させるために取り組んできたこと」について解説してほしいという依頼がありました。自分がプラグイン開発を始めてから、もう15年という長い月日が経っていて、世間ではテキストエディタの大ベテランと思われているようです。もうそこまで来てしまったのかと思うと同時に、時間さえかければ誰でもここに到達できると私は考えています。 私をはじめ誰しも最初は初心者です。右も左も分からない状態から始まるのです。私の経験が「自分はこれからどうすればよいのか分からない」「何か強みを持ちたい」と思っている

    他人がやっていない事こそ強みになる。テキストエディタに人生を全振りしたエンジニアのキャリア戦略とは - Findy Engineer Lab
  • 技術者としての強みを探すヒント - Qiita

    この記事は、KLab Engineer Advent Calendar 2021 の25日目の記事です。大遅刻してしまいました、ごめんなさい。 こんにちは。KLabで今年の2月からCTOをしています@hnwです。 CTOに就いて以降、社内のエンジニアの方とお話をする機会が増えました。1on1だったり少人数の会議だったり形式は色々ですが、興味深い話をたくさん聞けて、自分にとっても会社にとっても必要なことだと感じています。 そうした際にエンジニアとしての将来の理想像やキャリアパスといった悩みを聞くことがあります。私もその場で言えることは言っているつもりですが、うまく伝わったか、もっと言えることがあるんじゃないか、とモヤモヤすることがあります。稿ではそのモヤモヤを「○○問題」として整理してみました。 最初にお断りしておくと、キャリアの話は基的には個人の問題ですから、あまり他人の話を真に受けす

    技術者としての強みを探すヒント - Qiita
  • 41歳のエンジニア、マネージャーからICへのキャリアチェンジ | おそらくはそれさえも平凡な日々

    最初にお断りしておくと、このエントリは驚くほど僕固有の私的な話に終止するので、他の人の参考にはならないでしょう。 ICというのはIndividual Contributorの略で、最近だとHashiCorp創業者のあのMitchell Hashimoto氏が、HashiCorp社内でICになるというのも話題になりました。日でも、こにふぁーさんがそういう動きをしていたりして、ちょいちょい聞くようになってきた印象です。 今回の僕の転職は、言ってしまえば、自分が培ってきたソフトウェアエンジニアとしてのスキルを活かして世界の舞台で戦いたいという気持ちを抑えきれなかった、という幼稚な理由です。自分が求めているものがLaunchableにはあるように感じて入社しました。 振り返ってみると、最近の自分の転職における決め手は「自分を一番必要としてくれるところ」という側面が強かったと感じています。その結果

    41歳のエンジニア、マネージャーからICへのキャリアチェンジ | おそらくはそれさえも平凡な日々
  • 一時的に無職だったころを思い出す - 覚書

    前職を辞めてから今の会社で仕事をはじめるまでの数か月間、まったく収入の無い無職でした。ふとそのときのこと振り返ってみたくなったので書きます。とくに悲壮感に満ち溢れていたり、面白おかしかったりはしない話です、これから無職になりたい人とかなりそうな人にはもしかすると参考になるかもです。 無職になってから数か月は当に何も収入が無かったです。びっくりしたのは何も悪いことをしていないのに毎月お金が減ることでした。これはふざけて言っているんではなくて当時の偽らざる思いです。長期間っていくだけの貯金はあって金銭的には余裕があったはずなんですが、これまで毎月増えていた持ち金が突然減りだしたので「このままでは減っていく一方」「これが尽きたら死ぬかもしれない」という感覚が出て、なかなかスリリングでした。定期収入大事。 お金が減るスピードもなかなかのもので、前年の収入を基準に支払額決まる住民税や国保はえらく

    一時的に無職だったころを思い出す - 覚書
  • Webな事業をする会社のエンジニアから再びコンサルの世界に戻るはなし - 42歳シニアエンジニアの大冒険のはじまり - Lean Baseball

    文脈的には「誕生日迎えましたやでー」という前回エントリーの続きです. まず報告ですが, 今日がJX通信社最後の出社でした。 今月いっぱい休んで次に備えます。 データ基盤からAIワクチン接種予測から何から何まで最高のお仕事を最高のチームでさせてもらいました! おせわになりました&shinyorke先生の次回作にご期待ください pic.twitter.com/hlJlsHeIMW— Shinichi Nakagawa / 中川 伸一 / Senior Engineer (@shinyorke) 2021年9月10日 先日, JX通信社での最後の仕事を終え, 9月末で退職することになりました. 今月残りの期間は有給休暇を消化し, 10月から外資コンサルタント企業(社名は公開しません)のエンジニア部門のマネージャーとして新たな挑戦をします.*1 このキャリアを決断したのが7月末(今から一ヶ月ちょい

    Webな事業をする会社のエンジニアから再びコンサルの世界に戻るはなし - 42歳シニアエンジニアの大冒険のはじまり - Lean Baseball
  • 苦手を捨てる決断により広がった世界 - 限られたリソースしか持たないエンジニアの戦い方 - Findy Engineer Lab

    サムネイルは筆者が住むイスラエルの写真。 はじめまして、Sukuda Peppei(@knqyf263) と申します。現在はイスラエルに住んでいて、セキュリティ企業でソフトウェアエンジニア(以下エンジニア)をしています。もともとコンテナイメージの既知の脆弱性を簡単に検知できるOSSを趣味で開発していたのですが、今の会社から買収の申し出を受けたため、そのまま自分も入社しフルタイムでOSSの開発を続けています。過去に個人ブログでも説明しているため、詳細が気になる方はご確認ください。 今回キャリアについて書く機会をいただいたのですが、あまり長期的な計画というのは持たずに生きてきたため、多くの人に参考になるようなキャリア設計はお伝えできそうにありません。一方で改めて振り返ると自分の中の判断軸には気が付いたので、そのことについてお話しさせていただきます。 現在は経歴や会社の肩書を取っ払っても「こうい

    苦手を捨てる決断により広がった世界 - 限られたリソースしか持たないエンジニアの戦い方 - Findy Engineer Lab
  • Dropbox Engineering Career Framework

    What’s a Career Framework? The Engineering Career Framework is your source for how to achieve impact for your role and team and how to grow in your engineering career. For managers, it can help you set expectations with your teams and hold them accountable for their work. What the Career Framework is not This framework is not a promotion checklist for your role; rather, it’s designed to help you f

  • CircleCI がエンジニアのキャリア パスを見直した理由とは

    私たちは、CircleCIエンジニア全員にとって学びと成長の場となることを願っており、入社時のレベルや目指すキャリア パスにかかわらず、当社で働くすべてのエンジニアのキャリア構築を後押ししたいと考えています。その一環として、エンジニアに期待されるスキルと成長パスを大まかにまとめた「エンジニアリング コンピテンシー マトリックス」を作成しています。このマトリックスを見れば、職務内容や採用プロセスの概要がひと目で確認できるので、とても便利です。また、学習およびスキル開発についての面談や、目標設定など、エンジニアと一緒に期待値を設定するときの基準としても役立っています。このマトリックスを作成しておくと、より客観的にパフォーマンスについて話し合うことができ、エンジニアを管理するマネージャーの先入観やスキルに影響されにくくなります。つまり、CircleCI のビジョンを明確にすると共に、人材雇用

    CircleCI がエンジニアのキャリア パスを見直した理由とは
  • 「楽しい・おもしろい」を選び続けた先に今があった GMOペパボ VPofE 兼 技術部長とOSSとの20年間 - Findy Engineer Lab

    皆さん、はじめまして。GMOペパボ株式会社の執行役員 VP of Engineeringと技術部長を兼任している柴田(@hsbt)と申します。私はOSSのプログラマーとして、プログラミング言語Ruby体と周辺ツールの開発にも携わっています。 今回、「私の選択」と題した寄稿の機会をいただいたので、一定規模の組織のエンジニアリングマネージャーのトップ、OSSのプログラマーの一人として普段考えていることをご紹介したいと思います。稿が皆さんのキャリアやソフトウェア開発への取り組みへの一助となれば幸いです。 OSSとの出会い ─ コミュニティと仕事との関わり tDiaryとの出会いがOSSとの関わりを決めた ソフトウェアを届けるために必要なこと Rubyの開発で必要なことを全てやる プロダクトの成長に必要なことは全てやる ソフトウェアを届けることにフォーカスする 技術だけではなくビジネスについて

    「楽しい・おもしろい」を選び続けた先に今があった GMOペパボ VPofE 兼 技術部長とOSSとの20年間 - Findy Engineer Lab
  • デジタル業界で働きながら、複業でパン屋を始めた理由|NISHIDA Takeshi / Breadart

    2020年の6月末にBreadartというパン屋をオープンしました。 パンをつくり始めたのは2018年から。身近な人に美味しいと喜んでもらえるのが嬉しくてハマってしまいました。パンづくりは科学的で大変に奥深く、エンジニア気質の自分に合っていたのか、のめり込んでしまい、理想のパンを追求して毎日試作するように。 2019年頃から自分のパンづくりが世の中に通用するのか試してみたいという気持ちが強くなりました。業界未経験でわからないことだらけなので、ウェブで調べたりを読んだりセミナーに通ったりしながら事業立ち上げの準備を進めてきました。同時に自分がパン屋をやる意味は何なのか、何を得て何を失うのか、ということを何度も何度も自問自答しました。 最終的には複業という形でスタートすることを決めました。週の内訳は会社勤めが4日、パン屋が3日(準備1日、営業2日)。そこに至る経緯をつらつらと書いてみたいと思

    デジタル業界で働きながら、複業でパン屋を始めた理由|NISHIDA Takeshi / Breadart
    june29
    june29 2020/09/08
    異業界転生事例だ。
  • 「やりがいとか、何難しいこと言ってんだよ!」西川貴教にキャリアを相談したら最強に励まされた|新R25 Media - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

    将来のキャリアのこと、どこまで考えてますか? 「なりたい未来から逆算して、キャリアを考えよう」。そんな言葉も耳にしたりしながら、僕たちはそれなりに将来のことも考えつつ、会社を選んだり仕事をしたりしてますよね。 しかし! 今回はそんな「逆算型キャリア論」とは真逆のキャリア論を持つ方のインタビューです。 【西川貴教(にしかわ・たかのり)】1970年生まれ。滋賀県出身。1996年5月、ソロプロジェクト「T.M.Revolution」としてシングル「独裁 -monopolize-」でデビュー。「HIGH PRESSURE」「HOT LIMIT」「WHITE BREATH」「INVOKE」などヒット曲を連発する。故郷滋賀県から初代「滋賀ふるさと観光大使」に任命され、県初の大型野外ロックフェス「イナズマロック フェス」を毎年主催している。 1996年にT.M.Revolutionとしてデビューして以来

    「やりがいとか、何難しいこと言ってんだよ!」西川貴教にキャリアを相談したら最強に励まされた|新R25 Media - シゴトも人生も、もっと楽しもう。
  • Infra Study Meetup #4 で登壇した後日談 #InfraStudy - ローファイ日記

    forkwell.connpass.com id:matsumotory さんからお誘いいただきお話しと、若干のライブコーディングをした。 なぜライブコーディングをしたのか 松さんから投げられたテーマがものすごく無茶なフリというか、「インフラの面白い技術」であった。正直最初の感想は、「えっ...」だった。これが関西人か、って思った。面白いってなんですか! 自分が面白いと思うことを考え続けた結果、プログラミングだなという気持ちになったので、それをなるべく直接的に表現するスタイルを選んだ。また、ここ最近のオンライン登壇に関してある程度実験してみたいという気持ちも強かったので。インフラ運用者にとってプログラミングの技術はある意味諸刃の剣だとは思っているのだが、それでもSRE(僕はソフトウェアエンジニアの一ポジションだという理解になっている)などの風潮もありチャレンジしてみた。 正直当日終わるま

    Infra Study Meetup #4 で登壇した後日談 #InfraStudy - ローファイ日記
    june29
    june29 2020/08/07
    さらっと書かれている後日談に人生のお話もあったりしておもしろかった。
  • オープンソースは誰もがヒーローになれる平等な空間 ─ 小さくてもソースコードを公開することが「チャンス」 - Findy Engineer Lab

    こんにちは。mattn(@mattn_jp)です。一部の方はご存じかもしれませんが、僕は普段あまり皆さんの前に登場することはありません。どちらかというとお堅いSI業で仕事をしています。社会人になってから今まで一度も、Web業界と呼ばれるB2C(Business to Customer)な職種に転職したこともありません。 ですが、今ではOSS(オープンソースソフトウェア)を通して、多くのエンジニア友達になり、カンファレンス等で何度かお話しする機会をいただくまでになりました。この記事では、OSSに縁遠いはずの僕が、いかにしてOSSと出会い、そして多くの方たちと知り合うチャンスを得たのかをご紹介したいと思います。 オープンソースとの出会いはVimVimコミュニティを作る VimConfで作者Bram Moolenaarと握手 Vimから得られたチャンスや出会い GoコミュニティからGo

    オープンソースは誰もがヒーローになれる平等な空間 ─ 小さくてもソースコードを公開することが「チャンス」 - Findy Engineer Lab
  • マネジメントも「技術」のひとつ。技術志向だったエンジニアが、開発チームのディレクターに挑戦するわけ - Findy Engineer Lab

    こんにちは。粕谷大輔(@daiksy)です。インターネット上では「だいくしーさん」と呼ばれることが多いです。現在は株式会社はてなで、Mackerel開発チームのディレクターを務めています。Twitterなどで使っている、地獄のミサワ風のアイコンをご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね。このアイコンは、前職のフロントエンドエンジニアに描いてもらったものです。 今の自分の仕事は、エンジニアとデザイナーで構成される開発チームを指揮し、プロダクトの安定稼働と、定常的なデリバリーに責任を持つことです。「エンジニアリングマネージャー」という言い方をすると、分かりやすいかもしれません。 自分のこれまでのキャリア選択を振り返ると、もちろん結果論のようなところもありますが、ある程度狙いを定めてキャリアを歩んでこられたのではないかと思います。記事では自分のこれまでのキャリアについて、「どのように狙いを

    マネジメントも「技術」のひとつ。技術志向だったエンジニアが、開発チームのディレクターに挑戦するわけ - Findy Engineer Lab
  • 元銀杏BOYZの安孫子と中村、憧れの農家と「農業とパンク」を語る | CINRA

    元銀杏BOYZのふたりの動きが面白い。すでに知られている通り、チン中村こと中村明珍は現在山口県の周防大島に移住し農業を営んでいるが、彼が最初の研修で向かった先は埼玉県三芳町の明石農園だった。代表・明石誠一の実践方法や考え方については映画『お百姓さんになりたい』を見てもらうとして、ふたりに感化された安孫子真哉(現KiliKiliVilla代表)もこのたび農家になるべく勉強を開始。 「音楽家になりたい」というより「自分自身であるために」パンクロックをやっていたふたりが、今まったく同じ理由で自然農やというテーマを見つめている理由とは。明石誠一さんを交えて語り合った農家鼎談は、面白いほどパンク用語満載で進みます! 嫁も子供もいるのに、まだ「自分の納得した生き方がしたい」みたいな青臭いこと言っちゃいました(笑)(安孫子) ―今日は、おふたりがなぜ農業の道に進んだのかを聞かせてください。専門用語が出

    元銀杏BOYZの安孫子と中村、憧れの農家と「農業とパンク」を語る | CINRA
  • もう一つの海を目指して ─ Webエンジニアからクリエイティブ系にジョブチェンジして見えてきた世界 - Findy Engineer Lab

    はじめまして、天城孝義(@amagitakayosi)です。 Webエンジニアとしてブログサービスなどを運営している会社で3年働いた後、クリエイティブ系のスタジオに転職し、現在は主にフリーランスとしてUnityを使ってゲームやインスタレーションを制作しています。 クリエイティブ系の仕事には学生時代の頃から興味がありながら、Webエンジニアの働き方に影響されてフロントエンド開発の道を選択した僕ですが、やがてキャリアについて考え直すなかで、クリエイティブ系への転職という選択肢に直面しました。 目の前に選択肢が現れたとき、迷わずリスクを取れる人は少ないでしょう。僕の場合、周りの人々に励まされつつ面白い方を選び続けたところ、気が付いたら今の状況になっていました。 この記事では、Webエンジニアからクリエイティブ系へ転職することになった契機や、キャリアチェンジに際しての葛藤など、僕の考えてきたことを

    もう一つの海を目指して ─ Webエンジニアからクリエイティブ系にジョブチェンジして見えてきた世界 - Findy Engineer Lab
  • VP of Engineering やめた - @kyanny's blog

    2018年4月から務めた Quipper Limited の Vice President of Engineering を、2020年3月末日付で退任*1した。 なぜやめるのか 一言でいうと、 VPoE として担っていたミッションを完遂したため。 二年前に VPoE 就任を打診されたとき、自分が所属していた開発組織の課題は明白だった。人が辞める。定着しない。人が増えない(むしろ減る)ので現場の負荷が上がる。ムードも悪くなる。お世辞にもおすすめできる職場とはいえなかった。 そこで、「二年で開発組織を立て直す」をミッションに掲げ、上司と約束した。 結果、二年間でエンジニア組織は 25 名から 54 名へと倍増。かつ、ミスマッチを防ぐ採用方針を徹底したことで離職者を低く抑えることに成功。開発組織を安定化させた。 2017年3月 2018年3月 2019年3月 2020年3月 エンジニアの人数

    VP of Engineering やめた - @kyanny's blog
    june29
    june29 2020/04/01
  • プログラマーのキャリアについて考える|Keisuke69

    プログラミングはクリエイティブワーク. 音楽、キャンプが好き. クラウド関係のお仕事してます. なお、投稿はすべて個人のものであり、所属する組織の意見でも代表するものでもありません。https://www.keisuke69.jp/

    プログラマーのキャリアについて考える|Keisuke69
  • 40歳を超えてエンジニアから異職種に挑戦。唯一無二を突き詰めて見出した、自分の価値 - Findy Engineer Lab

    技術もイベントも分かることが、唯一無二の価値 自分のやりたいこととカンファレンスの運営を合致させる イベントを運営する仕組みを実装する 同じパーティでも参加者より主催者として ずっと「自分がやれることは何か」を考えてきた こんにちは。牧大輔(@lestrrat)です。これまで自分の会社を立ち上げたり、ライブドアやLINE、それからHDEなどでプログラマとしてコードを書く傍ら、並行してJPA(Japan Perl Association)を組織してPerlコミュニティのイベント「YAPC::Asia Tokyo(以下、YAPC)」を運営したり*1、より新しいカンファレンスとして「builderscon」の運営に携わってきました。 そして、およそ1年前(2019年2月)から、職業プログラマとしてコードを書く仕事を辞め、株式会社メルカリで、主に会社関連のイベント運営を主眼とした活動を仕事としてい

    40歳を超えてエンジニアから異職種に挑戦。唯一無二を突き詰めて見出した、自分の価値 - Findy Engineer Lab