関連トピックス村上春樹尖閣諸島村上春樹さん=郭允撮影(C)2012 by Elena Seibert 作家の村上春樹さん(63)が、東アジアの領土をめぐる問題について、文化交流に影響を及ぼすことを憂慮するエッセーを朝日新聞に寄せた。村上さんは「国境を越えて魂が行き来する道筋」を塞いではならないと書いている。 日本政府の尖閣諸島国有化で日中の対立が深刻化する中、北京市出版当局は今月17日、日本人作家の作品など日本関係書籍の出版について口頭で規制を指示。北京市内の大手書店で、日本関係書籍が売り場から姿を消す事態になっていた。 エッセーはまず、この報道に触れ、ショックを感じていると明かす。この20年ほどで、東アジアの文化交流は豊かになっている。そうした文化圏の成熟が、尖閣や竹島をめぐる日中韓のあつれきで破壊されてしまうことを恐れている。 村上作品の人気は中国、韓国、台湾でも高く、東アジア
3月の原発事故から8月の原爆投下前後の時期を経て、「原発と原爆」をめぐるテーマがずいぶんとさかんに論じられた。 バルセロナでの村上春樹のスピーチで、日本人はそもそもすべての核を捨てるべきだったと主張されたあと、この主張はぼくの周辺の左翼に実にスンナリと受け入れられた。それまで核兵器と原発についての「区別」を論じていた身としては戸惑ってしまった。 同時に「朝日新聞」的なものの周辺では、「こんにちの原発の悲劇をのりこえられなかったのは、核兵器の惨禍を味わったにもかかわらず、その対抗思想が『核の平和利用』であり、これを克服できなかったせいだ」という議論がおこなわれた。 本書はタイトルとサブタイトルにもあるように、「核」をめぐる戦後日本の精神史である。冒頭に、日本がアメリカに輸出した「文化」として『ゴジラ』『アトム』『AKIRA』をあげ、 アメリカにとって、いや日本を除く全世界にとって、日本という
村上春樹氏のこのスピーチは、もし「良質な」という形容詞を、人の発言に使うことが許されるならば、それを冠するにふさわしいものに違いない。率直にいって感銘した。ただ僕はここで言及されている「効率」を追求したことが、今回の原発事故の背景に本当にあったのか、まず立ち止まって考えてみたいと思っている。簡単にいうと、問題は効率と非効率の問題であり、それをふまえて効率と安全のトレードオフを考えるべきだ、というのが僕の私見である。 村上春樹氏のスピーチ全文は以下に記録が残っている。 http://megalodon.jp/2011-0611-0101-51/www.47news.jp/47topics/e/213712.php?page=all 戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪め
話題となっていた村上春樹さんのエルサレム賞受賞講演について書こうと思っていながら、つい忙しさにかまけて時期を逸し、書きそびれてしまったなと思っていたら、きょうの毎日新聞の夕刊とサイトに講演の英文と日本語訳(夕刊は日本語訳だけですが)の前半部分が載っていました。残りは火曜日に載るようですが、この機会に書いておこうと思います*1。とはいっても、受賞講演のテキストは、共同通信エルサレム支局長の長谷川健司特派員が、エルサレム賞主催者から提供を受けたテキストを基に、実際の講演での修正部分も録音を使って再現したものを使うことにしますが*2。日本語訳は拙訳です(といってもまずい訳という意味ではありませんよ)。 さて、レヴィ=ストロースの「真正性の水準」の帰結のひとつは、人は社会の二つの層を二重に生きているというものです。すなわち、近代になって地球上のあらゆるところで非真正な社会が真正な社会を包摂するよう
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