白山比神社(山口県岩国市)をフォトギャラリー(山口、本州)に掲載しました。 山口県岩国市の錦帯橋近く吉香公園にある白山比神社、岩国城のある標高約200メートルの城山の麓にあります。 境内から山頂に向かう登山道にでられます。 白山比神社(しらやまひめじんじゃ) <通称>白山神社(はくさんじんじゃ) 【鎮座地】〒741-0081 山口県岩国市横山2丁目8-10 旧周防国 玖珂郡 【御祭神】白山比神 (配祀)大己貴神 【御由緒】 貞観18年(876)加賀の白山比神社を勧請、元慶8年(884)社殿を創建、天正年間には毛利輝元公により神田を賜る。慶長年間、吉川広家公岩国の地に移封されてより封内の鎮守と仰ぎ、吉川家歴代の産土神として崇敬せらる。 享保年間社殿の大造営、同13年神社林として城山の一部を奉納、元禄7年大鳥居の建立等歴代藩主の尊崇厚し。当時の社殿は、壮麗豪華にして工作の妙を極め、殊
これは宇多天皇の日記である『寛平御記』に載っている話です。子の醍醐天皇・孫の村上天皇の日記とあわせて『三代御記』なんて言い方もあります。 宇多は、初め皇孫として源氏姓を賜い侍従として出仕していたという、官僚生活の経験を持つ異色の天皇です。それが父が光孝天皇として即位し、さらに光仁から譲位を受け、仁和3年(887)に親王宣下を受け、その翌日皇太子となり、更に同日のうちに即位したという、即位への経緯もまた異色の人物でした。 そういう経歴を持つためか、宇多は自分を即位させた最大の功労者である藤原基経とも一定の距離を守って、親政を行おうとします。しかしながら藤原基経の関白就任に関わる問題(いわゆる阿衡事件)で譲歩せざるを得ませんでした。 基経の死後は有名な菅原道真を取り立て藤原氏に対抗させたりと、その政治は後に「寛平の治」として称えられるようになります。のち、譲位出家して寛平法皇・亭子院と呼ばれま
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