南郊壇は京城(フエ旧市街)の外の香江(フーン河)を跨いだ南側の安旧社(楊春社)という地に位置する(『大南一統志』巻之1、京師、壇廟、南郊壇)。現在はナム・ザオと称されるが、これは「南壇」の現地語読みである。郊祀を行なう壇である。 郊祀前史 郊祀とは都城郊外の南北に天地を祀る壇を設けて祭祀を行なうことであり、中国前漢代より始まった。建始元年(前32)に丞相匡衡(生没年不明)の建言によるもので、翌年の建始2年(前31)正月にはじめて南郊祭が実施された。その理論的根拠となったのが、『書経』にみえる周の文王・武王・成王が行なった郊の祭りであり、また『礼記』祭法篇にみえる円丘で柴を燃やして埋めて天を祀り、方丘で絹と犠牲を埋める祭祀であった(『漢書』巻25下、郊祀志第5下)。 郊祀は元始5年(5)の王莽(前45~後23)によって整備され、夏至・冬至・正月上旬の辛日ないし丁日が祭祀の日と定められた。この