小林よしのりの本を電車で読んでる人を よく見かけるのは、自分だけだろうか・・・ それは置いておくとしても、 『国家の品格』100万冊突破には驚いてしまう。 ほんとにみんな武士道万歳なんて思ってるのか? 世界を救えるのは日本人だけなのだ!とも? こうした社会の右傾化を、その要因により 2つのタイプにわけ、以下に簡単に書いておこうと思う。 1.人間的要求としての右傾化 ポストモダン的社会規範状況、つまり、 価値規範の分裂/多様化という現代の状況において、 かつて絶対的だった価値はおしなべて相対化される。 宗教・経済的成功・理想の家庭・会社への忠誠...... これまで幸福の形とされていたものは、いまや 数ある幸せへの選択肢の中の一つに成り下がってしまった。 もはや絶対的価値への盲目の信頼=思考停止はかなわない。 こうなると、いわば価値の真空状態が生じてしまい、 それは人々の心理的負担となるので
内田樹の研究室: サラリーマンの研究 内田樹の研究室: 不快という貨幣 巷で話題になってるらしい内田樹氏の論考。<労働とは、自らを供物として捧げること>というのは同意する。しかし、現代社会(資本主義体制)においては、供物として捧げた労働の成果を誰かが囲い込んでしまってるんであって、つまりは、供物として捧げようと思ってもできないような仕組みになってるのが問題なんだろうに。 自らを供物として捧げるのは、それによって生きられる人が増えたり、困難な情況にある人がその状況を少しでも和らげられたり、そういうことがあるから捧げることに意味がある。他方で窮乏している人がたくさんいるにも関わらず、物質的にもう十二分に満ち足りた連中のBMWがもう一台増えるとか、そういうことのために供物を捧げるのは疑問を感じて当たり前だし、むしろ疑問を感じないことは問題だとすら言っていいと思う。奴隷根性が奴隷制を支えるという意
前回の記事に対して、kawakitaさんから質問がありました。 1 まず最初の質問に関してです。 一見資本主義社会と、等価交換原理を批判しているように見えながら、結局は、資本主義のシステムを肯定し、擁護しているのだ、ということです。 と書かれておりますが、内田氏がどこで「資本主義社会」「を批判している」か教えていただけますでしょうか。僕にはどこか検討がつきません。 ということは、一見批判的に見せかけるポーズすらなく、最初から資本主義肯定、擁護である、ということでしょうか。とすればもうなんともはや、という感じではあるのですが、私はやっぱり一見批判的にみせるポーズがあるのではないか、と思います。 たとえば、ちょっと話はずれますが、先日安倍官房長官が、教育基本法改正の意義について「損得を超える価値、つまり家族を大切にする、地域のために頑張る、国に貢献することの尊さを教えるための教育改革を行いたい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く