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「昭和の大修理」で素屋根の解体が進み、白亜の姿を現し始めた大天守(1963年ごろ、姫路市立城郭研究室提供) 「平成の大修理」を終えた世界文化遺産・国宝姫路城(兵庫県姫路市)の大天守内部が27日から、5年ぶりに一般公開される。築城からおよそ400年。廃城の危機、火災、空襲…。白鷺(しらさぎ)に例えられる美しい姿は、多くの人の尽力と幸運によって守られてきた。今、平成の職人たちの手でよみがえった白亜の城が、未来へと受け継がれる。 現存する大天守は関ケ原の合戦後の1601年、“西国将軍”と呼ばれた池田輝政が築造に着手した。その8年後、日本城郭建築の最高峰と称される城が姿を現す。 「継続的な修理で伝統技術が伝えられ、城は維持された」。26日の完成記念式典。文化庁の青柳正規長官がそう強調したように、城の歴史はまさに「修理の歴史」だった。 当初の姫路城は、優れた防御の工夫で「難攻不落」とされたが、大天守
1、 ようこそ ようこそ ロータリアン 今日の思い出 いつまで どこで会っても 笑顔で ヨウ ヨウ と手を振ろう 世界の仲間 輪 輪 輪となる 龍野ロータリー
旧龍野市の「龍」をタツノオトシゴで表し、その中に神岡町の「神」を左右に配し、中心には小学校の「小」を記したものである。 そして、梛の宮居にちなみ、「一切の願いを叶える」と言われる宝珠の玉をいただきに掲げたものである。職員の子どもに対する願いが、今も感じ取れる校章である。
初代事務局長 笹尾 誠一 1901(明治34)~1981(昭和56) 鳥取市の出身。鳥取一中を卒業後、因伯時報社に入社したが、翌’19年(大正8)、毎日新聞鳥取支局に移った。 記者生活のかたわら詩人として活躍、ザーザ誠一の名で町のモダンボーイとして、はなやかな青春舞台に登場。鳥取文芸連盟結成の一端をにない、いくつもの同人誌とかかわりを持って作品を発表した。 毎日新聞堺支局長時代に小野十三郎、安西冬衛らと親交を結ぶ。のち姫路支局長として転任すると、阿部知二を盟主とする城ペンクラブ結成に参加。内海繁、黒川録朗、初井しづ枝、大塚徹などと文学だけでなく、市の文化振興策についても日夜議論し、紙面にも反映させた。また姫路在住の鳥取県人をまとめ、その世話をやいた。それらは姫路・鳥取両市が姉妹都市として提携されていく先導となったのである。 一新聞支局長が退職するのに全く例のない市民集会が姫路市公会堂ホール
本名 柳井秀一(やない ひでいち) 姫路市北平野の出身。 戦時中友人達と同人雑誌発行などしていた。 大谷大学在学中に学徒出陣による徴兵で、中国戦線に派遣される。 復員後、大塚徹を中心に出した「新涛」に参加。同じ大塚門下にいた向井孝や大阪の山口英と共に詩人集団IOM同盟を結成、歌う詩と決別、主観的叙情を排して、徹底した客観的描写手法による詩の確立にめざした。即物形象主義をかかげたIOMは、戦争と平和を柱にした作品化に挑み、国内だけでなく海外でも高い評価を受け紹介された。 『平和』『戦争』『イオム同盟詩集』など同盟員の共同詩集があるほか、個人詩集に『どびんご』『定本柳井秀詩集』がある。また、一方で西播磨の民衆を対象にした『西播民衆運動史』(近代編・現代編二冊)の労作を上梓し、反響をよんだ。これはアメリカの学者からも研究資料として注文が相次いだ。 記 市川宏三
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