阪神・淡路大震災が発生した1995年1月17日、「もしスマートフォンがあったら」をテーマにした再現特集です。壊滅的な被害を受けた神戸市長田区、灘区、中央区、北淡町…。当時の映像や音声、写真を時系列で追います。

命と触れ合う17日の朝は雨で明けた。6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災から丸23年。発生時刻の午前5時46分に合わせ、被災各地で追悼行事が営まれた。神戸市内では昨年、犠牲者鎮魂のモニュメント2カ所が傷つけられる被害が発覚し、記憶継承の難しさが指摘された。自治体が賃貸で被災者に提供する「借り上げ復興住宅」は2018年度、20年の契約期限を迎える団地数がピークの60を数え、「終のすみか」と入居した高齢者が退去を迫られる問題も起きている。あの日凍えるような寒さの中、助け合い、声を掛け合い、共に泣き、励まし合った。生かされた私たちは原点に立ち戻り、次なる災害への備えを進めたい。 追悼行事「1・17のつどい」が開かれる神戸・三宮の東遊園地。暗闇に浮かぶのは「1995 伝 1・17」の文字だ。公募で決められた。 遺族やボランティアらが、約7000本の竹とうろうに浮かべたろうそ
神戸観光局【公式】 @feelkobe_jp 2017年1月17日になりました。 今から22年前の1995年1月17日は火曜日でした。そして、今日も火曜日。あの日は3連休の翌日の平日でしたね・・・ なかのひとの記憶では、両親と前日の月曜日に確か明石家さんまさんのテレビ番組を見て就寝し、その日を迎えました。。 2017-01-17 00:22:33
pxf03241 @pxf03241 なぜ、阪神大震災の時のダイエーの行動にみんな触れないんだ? あの時、乾電池1000円とかになって、絶望的な空気が漂っていたときに、ダイエーは船をチャーターして、生活必需品満載で神戸港に横付けして、全国から職員トラック総動員して、「いつもの値段」で災害の奥地まで持って行ったんだぞ! 2017-01-17 15:17:12 pxf03241 @pxf03241 @pxf03241 あれで被災地の空気は一変した。日本人の心に火が付いた。 オレもあれでどれほど力を得たか! 「頑張ろう神戸!」も、あのダイエーをきっかけに生まれたものだと思っている。 毀誉褒貶激しい中内氏とダイエーだけど、あのときの行動だけで歴史上の大きな役割果たしたと思ってる 2017-01-17 15:34:56 リンク Wikipedia 中内功 中内 功(なかうち いさお、1922年〈大正
こんにちは、らくからちゃです。 この『ゆとりずむ』は、関西地方で放送されていたあるCMを紹介したくて書き始めました。 地震発生当時、わたしは小学2年生でした。わたしが住んでいたのは、神戸の片田舎。火災や家屋の倒壊とは全く無縁のエリアで、気が付かずに寝ていていたくらいでした。 東京出身の父は、祖父母から『関東大震災発生時の教訓』みたいなものを伝えられていたようで、いろいろとテキパキと行動してくれました。幸いにも、水道もガスもすぐに利用でき、しばらくすると電気も復旧しました。その後、黙々と落ち着き払って作業をしていた父が、テレビに映った燃え盛る長田の街をみて、『大変なことになったな・・・』と言い、初めて自体の深刻さを感じました。 テレビの向こう側には大変な景色が写っていましたが、我が家の周囲は、普段と変わらない寒い冬の朝でした。そのため近所の同級生と共に、いつもと変わらないように登校しました。
阪神・淡路大震災で被災した自治体から、東日本大震災の被災自治体へ中長期派遣された職員を対象に、朝日新聞が支援活動に関するアンケートを実施したところ、阪神大震災の経験や教訓を生かせたと答えた職員が回答…
6434人が死亡した阪神・淡路大震災から17日で20年になります。 地震の激しい揺れの瞬間を記録した20か所の防犯カメラの映像が見つかりました。 そこには数秒で激しい揺れが襲う直下地震の危険性が捉えられています。 阪神・淡路大震災では住宅およそ24万9000棟が全半壊し、神戸市や兵庫県西宮市など、特に被害が集中し震度7を記録した長さおよそ25キロ幅1キロ前後の地域は「震災の帯」と呼ばれました。 見つかったのは、この震災の帯の中や周辺で激しい揺れの瞬間を記録した20か所のコンビニエンスストアの防犯カメラの映像で、東京大学に保管されていました。 地震の激しい揺れは、地震計の記録から15秒ほどと分かっていますが、映像のほとんどは数秒で途切れていて、揺れ始めの数秒間の破壊力を物語っています。 数秒間を詳しく見ると、揺れ始めた直後に激しい揺れが襲い、店の棚などが勢いよく倒れる様子や、揺れに耐えきれず
20歳になった“震災遺児” 1月16日 17時20分 発生から20年になる阪神・淡路大震災。 震災前後に生まれた人たちはことし、成人式を迎えました。 その中には、生後4か月で母親を亡くした1人の女性もいます。 母親の死後、残された家族が、女性を支え続けてきました。 それぞれの震災20年の思いを神戸放送局の右田可奈記者が報告します。 祖母が母親に 神戸市灘区の短大生、浦田楓香さん(20)。 20年前の阪神・淡路大震災で母親を失った「震災遺児」です。 震災で、楓香さんと家族が住んでいた2階建ての集合住宅は全壊。 母親の智美さん(当時19)は住宅の下敷きになり、亡くなりました。 楓香さんが生後4か月の時でした。 楓香さんは、「震災当時のことを全く覚えていなくて、祖母から話を聞くくらいしか記憶がありません。祖父母がお父さん、お母さんだと思って私は成長してきました」と話しています。
@hozuki_kyoさんの画像(完成形かつ綺麗) 2015年の1月17日、阪神淡路大震災から20年が経ちます。Remember 1.17 KOBE Projectは、17日当日の混雑や式典の警備なども鑑み、本日(1/11)一足早く三宮周辺に追悼CFアートを描きました。 N@01@Na_O1神戸三宮でIngressフィールドアート、まだ未完成っぽいけど不死鳥かな? ちなみに大震災追悼20周年てことで作成中だそうだ http://t.co/5i39CiRLqB2015/01/11 16:19:32 ozero dien@ozero神戸Ingressフィールドアート、無事、完成スクショとれました。お疲れ様でした。2015/01/11 16:19:07 ozero dien@ozero暫しの祈りを。 #hanshineq20th2015/01/11 16:20:02 20分ほど経つと首の一部
※エリア・カテゴリを選択し、検索ボタンをクリックしてください。 エリア 全て 東灘区 灘区 中央区 兵庫区 北区 長田区 須磨区 垂水区 西区 カテゴリ 全て 住宅 ビル・商業施設 鉄道・駅 道路 観光・文化施設 みなと 公共施設 航空写真 火災 液状化 捜索・救助 避難所 仮設住宅 復旧・復興 式典・行事 行政 阪神・淡路大震災の写真 国道2号小路付近 (東灘区/1995年) 西岡本2-25-1(旧:神戸市立神戸商業高等学校 現:住吉川東緑地) (東灘区/1995年2月13日) 神前町3丁目 春日神社 (灘区/1995年1月18日) 森後町3丁目周辺「宮前商店街」 (灘区/1995年1月19日) 神戸ポートタワー付近岸壁 (中央区/1995年5月12日) 港島中町1丁目周辺 (中央区/1995年1月17日) 阪神淡路大震災1.17のつどい (中央区/) 大開通 (兵庫区/1995年) 鹿
阪神・淡路大震災では、倒壊を免れた鉄骨のビルの中に柱と「はり」のつなぎ目が破断しているケースが相次いで見つかりました。 鉄骨の破断は今も隠れている可能性があるとして、神戸大学などの研究グループが、破断した建物が巨大地震に襲われたという想定で実験した結果、破断していない状態と比べて揺れの影響は2倍以上になることが分かりました。 阪神・淡路大震災では、商業ビルなどに使われる鉄骨の建物のほとんどは倒壊を免れましたが、直後の専門家の調査で柱と「はり」がつながる構造上重要な部分の破断が相次いで見つかりました。 建物の数は、神戸市を中心に67棟でしたが、鉄骨の破断は建物の外観に変化がないことがあり、内装材をはがさないと分からないため、実際の被害はさらに多いものとみられています。 このため神戸大学や防災科学技術研究所などの研究グループは、鉄骨が破断した状態で南海トラフの巨大地震の揺れに襲われた場合にどの
1995年1月17日午前5時46分52秒に発生した大地震、それが「阪神・淡路大震災」です。 この大地震が発生した直後のNHKの第一報、さらにその後、夜が明けるにつれて少しずつ判明していく被害の実態、関東ではあっという間に特番体制からCM放送ありの通常放送に移行したものの、関西ではその後も延々と地震関連情報が流され続けていたこと、そのときのACのCM、世界中で報道されたNHK神戸放送局で地震に見舞われた男性のその後、さらには淡々と流れ続ける当時の状況を記録したラッシュテープなど、いろいろと集めてみました。 真実の姿の再生は以下から。 YouTube - 阪神大震災第1報(0:33) この時、ちょうど大阪にいたのですが、すべての食器棚が倒れ、すさまじい轟音とともにすべての電気が停止、最初は地震だとは全くわかりませんでした。停電していたので家の中で何が起きているのかもわからず、とにかく懐中電灯を
【水戸部六美】神戸市長田区の街頭でスマートフォンをかざすと、その場所の阪神大震災当時の写真が画面に表示される「震災写真アーカイブマップ」を神戸市が開発した。復興した風景と見比べながら、19年前の震災の記憶を継承するのが狙いだ。 対象は、JR新長田駅周辺の「新長田南地区」と「新長田北地区」、JR鷹取駅南側の「野田北部・鷹取東地区」の3地区98カ所。専用のアプリを起動して画像データがある場所に立つと、当時の写真が画面に表れる。撮影時と同じ方向にスマホを向ければ、現代と当時の風景を重ねて見ることができる。
『あまちゃん』が東日本大震災を描いて大きな話題になった。震災の回はかなりの緊張感を持って迎えられていたね。作品の中で東日本大震災と向き合うというのはまだまだ難しいんだなと感じる一方で、これで「あまちゃん以降」という区切りが生まれたので今後は色々な作品の中で東日本大震災が描かれることになると思う。 ところで阪神淡路大震災はどうやって映画の中で描かれたのだろうか。俺が印象に残っている3本の映画を取り上げます。寅さん以外の2本は両方とも関西映画で日本映画史に残るレベルの大傑作です。 まずは阪神淡路大震災と同じ1995年に公開された『男はつらいよ 寅次郎紅の花』から。阪神淡路大震災は1月に起きて、『寅次郎紅の花』は12月に公開された。本作が阪神淡路大震災を取り上げたことは公開大きな話題になった。 劇中の時期は1995年の夏の終り。オープニングは寅さんへの連絡を乞う新聞広告から始まる。寅さんが199
1995年1月17日に発生し、甚大な被害を与えた阪神・淡路大震災から一昨日で17年が経過。 人の住む土地の真下で発生する直下型地震だったこともあり、建物や道路などが激しく破損した光景は、今でも鮮明に思い出されます。電気やガス、水道、交通といったライフラインはすべてストップ。当時の震災としては戦後最大規模の被害を出し、世界中に衝撃を与えました。 ツイッターでは、当時の災害に思いを馳せ、多くの人々が心境や写真を掲載しています。 @acocuchara1173さんは、「今日は、おむすびの日」として、シンプルな塩むすびの写真を掲載。ご飯は土鍋で炊いたそうです。被災したあの日々を忘れないように、との思いかもしれません。 @hiko_taさんのツイッターでは、「1.17 思い出してや 今日やんか!」と見出しが付いた関西学生報道連盟が作成した号外を紹介。「震災後に生まれた世代が入学してくる。彼らにとって
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