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音楽に関するkusukusunokiのブックマーク (11)

  • ジャズの巨匠K・ジャレット氏、脳卒中で復帰ほぼ不可能に

    音楽祭「ジャズ・ジュアン」で演奏するキース・ジャレット氏(2003年7月18日撮影、資料写真)。(c)JACQUES MUNCH / AFP 【10月22日 AFP】ジャズ・クラシック界を代表する世界的なピアニスト、キース・ジャレット(Keith Jarrett)氏(75)は21日、2度の脳卒中により体の一部がまひしており、公演活動に復帰できる可能性は低いことを明らかにした。ジャレット氏の容体公表を受け、音楽界には衝撃が広がっている。 ジャレット氏は米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)に対し、2018年に2度脳卒中を発症し、まひ状態となったと説明。「左半身の一部はまだまひしている」「つえを使って歩くことはできるが、ここまでくるのに長い時間、1年かそれ以上かかった」と語った。 現在は片手でしか演奏できず、「両手演奏のピアノ曲を聴くと、非常にもどかしく感じる」という。「

    ジャズの巨匠K・ジャレット氏、脳卒中で復帰ほぼ不可能に
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/10/22
    18年に2度脳卒中、つえを使って歩くことはできるようになったが「シューベルトや、何かソフトな演奏を聴いたりするだけでも、うんざりする。自分ではできないとわかっているから。そこまで回復する見込みもない」
  • 日本が歌下手アイドルの国になったのではなくて洋楽にはもはや音痴と

    が歌下手アイドルの国になったのではなくて洋楽にはもはや音痴という概念がないという話日が歌下手アイドルの国になった戦犯は誰なの?https://anond.hatelabo.jp/20200924204657 あたかも洋楽エンタメの世界は歌が上手い人がもてはやされているような論調だが10年代以降のポップスの状況を顧みると、元増田は今の海外シーンを旧来の日のエンタメ観で捉えてしまっているような気がする。 じゃあ今の海外シーンは昔とどう変わったのかって話をすると、それは大きくいってヒップホップがメインストリーム化したことじゃないか。 ヒップホップがメインストリームになったというのはEminemや50 Centみたいな音楽ばっかりになったってことではなくて、ポップスがヒップホップの感覚で作られるようになったということね。 旧来のポップスもとい今の日の一般的な制作体制ってのは、基的に作家

    日本が歌下手アイドルの国になったのではなくて洋楽にはもはや音痴と
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/09/28
    ハラスメント排除もあり、作曲家等の意図に沿うのでなく制作自体に歌手が関わる(クレジットもされる)ことで音痴(意図から外れた音)がなくなった。ヒップホップの手法(音源を買って自分で歌メロと歌詞のせる)の影響も
  • 志村けんさんの「変なおじさん」うれしかった 「ハイサイおじさん」の喜納昌吉さん - 琉球新報デジタル

    歌手の喜納昌吉さん 新型コロナウイルスによる肺炎で死去したタレントの志村けんさんは沖縄県出身のミュージシャン・喜納昌吉さんの代表曲「ハイサイおじさん」を使って「変なおじさん」のコントを披露し、お茶の間を楽しませた。 喜納さんは「志村さんが『ハイサイおじさん』を使ってくれたことはうれしかった」と振り返った。「自分が書き下ろした『ハイサイおじさん』と彼が演じる『変なおじさん』はどこか重なる部分があった」と語った。 「まだ一度もお会いできていないので、いつか感謝を伝えたかった。急な訃報でとても残念だ」と声を落とした。

    志村けんさんの「変なおじさん」うれしかった 「ハイサイおじさん」の喜納昌吉さん - 琉球新報デジタル
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/04/02
    "「志村さんが『ハイサイおじさん』を使ってくれたことはうれしかった~『ハイサイおじさん』と彼が演じる『変なおじさん』はどこか重なる部分があった~一度もお会いできていないので、いつか感謝を伝えたかった~」"
  • 志村けん「変なおじさん」と沖縄戦 傷を引き受け生き抜いた人たち - 琉球新報デジタル

    志村けんさん=2006年、群馬県 「このおじさん、変なんです」「そうです、私が変なおじさんです」―。新型コロナウイルス感染による肺炎で死去した志村けんさんが生み出したキャラの一つ、「変なおじさん」。有名なこのコントのオチで使われていた歌「変なおじさん、だから変なおじさん♪」は沖縄のミュージシャン・喜納昌吉さんの代表曲「ハイサイおじさん」が原曲だ。明るく踊り出したくなるようなメロディーで高校野球では沖縄代表の応援歌としてアルプススタンドでも響くこの歌を掘り下げると、過酷な沖縄戦、戦後を生き抜いた沖縄の悲しさ、強さが刻まれていた。 「ハイサイおじさん」は喜納さんが中学生の時に作り、1969年、21歳の時に、沖縄民謡の大家だった父親、喜納昌永さんのレコードに収録したもの。「ハイサイ」とは沖縄の言葉で「こんにちは」。歌詞の内容は、酔っ払いのおじさんと少年の会話で、「おじさんのはげは大きいね」「おじ

    志村けん「変なおじさん」と沖縄戦 傷を引き受け生き抜いた人たち - 琉球新報デジタル
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/04/02
    原曲「ハイサイおじさん」のモデル。戦前遊郭の馬車引きをしていたおじさんが酒と狂気に呑まれ、病んだ妻が子を殺害し村八分に。それでも家に来て酒をせがみ笑い続けた。沖縄の傷を体現したおじさんへの愛情の歌。
  • 687億以上のメロディーをアルゴリズムで作り、著作権登録した弁護士

    音楽は単に数学的な組み合わせであり、椅子取りゲームである。 未使用のメロディーはいつか誰かが作曲してしまい、他のミュージシャンたちが自由に作曲する機会が日に日に奪われてしまう。という危機を回避するべく、多才な弁護士が将来の音楽家達が盗用で訴えられないよう、作曲されていない全メロディーをアルゴリズムで作曲し、それらを公開してパブリックドメインにしました。 それらを参照すれば、今後は「俺の曲パクっただろ!」と訴えられることが(もしかすると)激減するようになります。 訴訟が起これば莫大な額がフっ飛ぶ毎日のように新しい音楽が生まれていますが、作曲家が美しいと感じるメロディーには限りがあるようで、リズムや歌詞が違うだけで実は過去のミュージシャンが書いた曲とソックリだった! と訴訟で法外な金額を請求される現代社会。聴いたこともない曲なのに、似ているからという理由で著作権を請求され、共同作曲者として記載

    687億以上のメロディーをアルゴリズムで作り、著作権登録した弁護士
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/03/02
    "12拍までの中で考えられる1オクターブの組み合わせをすべて、アルゴリズムに割り出させ"GitHubでMIDIファイルを公開、著作権を放棄して登録。今後だれかがパクリ疑惑で訴えられてもGitHubに公開されてると主張できる。
  • 「一度全てを失って、半分はもう死んだ身」――成功と挫折を経たSUGIZOが今、ボランティアに励む理由 - Yahoo!ニュース

    この秋、SUGIZOは中東を旅した。9月下旬から約2週間かけてイラクとヨルダンの難民キャンプを回り、自身のソロプロジェクト「COSMIC DANCE QUARTET(C.D.Q.)」や難民キャンプ専用3人組ユニット「BABAGANOUJ(ババガヌージュ)」によるライブを通して、難民たちと交流した。 「お客さんのなかには、ステージに上がってきて、僕の横で写真を撮ろうとする若い子もいました。彼らにはまだエンターテインメントを楽しむ上でのモラルがない。でも、かつて若者が革命を求めていたような60年代から70年代のロックって、ああいう制御不能のエネルギーで盛り上がっていたんだと思います」

    「一度全てを失って、半分はもう死んだ身」――成功と挫折を経たSUGIZOが今、ボランティアに励む理由 - Yahoo!ニュース
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2019/12/06
    両親が東京都交響楽団員で3歳からバイオリン。同じ間違いを3回したら父にぶたれ涙をボロボロ垂らしながら弾く。常に怯え、褒められたことは一度もない。母と同居する父方の祖母は怒鳴りあう。両親は高3のとき離婚。
  • ビル・エヴァンス

    ビル・エヴァンス(英語: Bill Evans、名:ウィリアム・ジョン・エヴァンス(英語: William John Evans  /bil ʤɑnˈɛvənz/)1929年8月16日 - 1980年9月15日)は、アメリカのジャズ・ピアニスト。 モダン・ジャズを代表するピアニストとして知られ、音楽活動30年足らずの間に、リーダーとして50枚以上のアルバムをリリースし、グラミー賞に18回ノミネート、うち7回受賞、さらに2回のグラミーの殿堂入りを果たし、死後にはグラミー特別功労賞生涯業績賞(英語版)を受賞した[1][2]。 ドビュッシー、ラヴェルなどのクラシックに影響を受けた印象主義的な和音、スタンダード楽曲を題材とした創意に富んだアレンジと優美なピアノ・タッチ、いち早く取り入れたインタープレイといった演奏は、マイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、

    ビル・エヴァンス
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2019/12/03
    51-54年兵役"不快な期間"で麻薬常習開始。61年Waltz for Debby収録11日後ベーシストが交通事故死。73年別れを告げた長年の内縁妻がほどなく地下鉄で投身自殺。79年兄が拳銃自殺。80年肝硬変・出血性潰瘍で51歳没。
  • 1ヵ月で2億再生!「This is America」の衝撃とクリエイターのたくらみ(池田 純一) @gendai_biz

    1ヵ月で2億再生!「This is America」の衝撃とクリエイターのたくらみ ただのミュージックビデオではない ヒップホップの流儀 ここのところ、アフリカアメリカ人のアーティストの動きが際立っている。 不思議と一つの時代の空気を作り出しているようにすら思える。 そう思ったのは“This is America”というMV(ミュージック・ビデオ)を目にしたからだった。前回取り上げたビヨンセ(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55525)や、ラッパー初のピューリッツアー賞を受賞したケンドリック・ラマーに続く衝撃だった。 チャイルディッシュ・ガンビーノは、ドラマ監督/脚家/俳優として有名なドナルド・グローヴァーのラッパーとしての名であり――グローヴァー自身は「もう一つの自我(alter-ego)」と言っている――、この曲自体は、彼がホストとして出演し

    1ヵ月で2億再生!「This is America」の衝撃とクリエイターのたくらみ(池田 純一) @gendai_biz
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    kusukusunoki 2019/02/16
    ミンストレル・ショーと国家の共犯関係(黒人を嘲笑することで欧州各地からの移民を白人としてまとめる)。それをシニカルに再演(黒人のふりをした白人を黒人が演じる)することで二項対立を促す仕組み自体を問題とする
  • 平成と共に育った音楽ジャンル“J-POP”の始まり

    の大衆音楽を意味する言葉としてすっかり定着した“J-POP”。この言葉はいったいどのように誕生し、どのように我々の日常に入り込んできたのだろうか。平成も終わる今、平成と共に育ったJ-POPの始まりについて、再考しておきたい。 取材・文 / ばるぼら なぜ“N”ではなく“J”なのかJ-POPとは日製のポップスである、とまずは定義しておこう。しかしこれがなかなかクセモノである。平成最後の年である西暦2019年現在、この言葉が持っていた意味はほぼ消失している。多くの人は単にCDショップの邦楽フロアに並ぶ作品のジャンルの名称だと思っていないだろうか。しかしJ-POPという言葉が来背負っていた意味は別にあった、はずだ。 1987年4月に国鉄が民営化に伴いJRに名称変更、日たばこ産業が1988年10月からJTの略称を使い始め、1992年4月に農協がJAに、1993年5月にサッカーのJリーグが

    平成と共に育った音楽ジャンル“J-POP”の始まり
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2019/02/08
    洋楽しか流さないJ-WAVE(1988開局)が流す日本の音楽として作られた言葉。J-WAVEはセゾンの堤清二、部下から上がったFM24という名前を「おしゃれじゃない」と一刀両断、代わりにJ-WAVEと名づけた。
  • ゆずと椎名林檎に学ぶべき「愛国ソング」の作法(増田 聡) @gendai_biz

    愛国ソングの誕生を振り返った前編に続き、「反リベラル」の動きが盛んとなって以降のポップミュージックの流れをたどる。桜ソングの流行、そしてW杯からの影響……こうして愛国ソングの30年を跡付けた先には、「排外主義なき愛国」をいかに実現するかという課題が見えてくる。 「反リベラル」なヤンキーポップ 90年代の歴史教科書論争、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言SPECIAL・戦争論』(1998)のヒットにより準備されてきたサブカルチャー領域の右傾化動向は、2002年の日韓ワールドカップをきっかけに顕著になる。 この時期のサブカルチャーの右傾化動向については、倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー』が詳細に分析しているが、90年代から2000年代にかけての「右傾化」は、素朴な愛国心の発露というよりも、朝日新聞や岩波書店に象徴される「戦後リベラル」に対するサブカルチャー的な反抗であると考える方が理解し

    ゆずと椎名林檎に学ぶべき「愛国ソング」の作法(増田 聡) @gendai_biz
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    kusukusunoki 2018/07/08
    90~00年代の右傾化は愛国心の発露というより朝日・岩波系「戦後リベラル」に対するサブカルチャー的な反抗。リベラルの個人主義→共同体主義や家族主義。サッカー・ナショナリズムや「ふわふわとした愛国心」。
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

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    kusukusunoki 2018/02/02
    "「歌による演説」を意味した演歌の流れは昭和の流行歌で断絶""70年前後に藤圭子のヒットでレコード会社が新たなジャンルとして"安保以降の反体制思潮も背景に日陰の存在に大衆性を見いだす言説が広がり「日本的」に。
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